愛を望む

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 親は私を放任しているので、リーベPを組み始めてからは制作会議ということで一人暮らしをしているエイミーの家に時折泊まるようになった。エイミーの家にはグランドピアノがある。いくらでも新曲づくりは捗った。  3連泊をした日、エイミーはさすがに私が家に帰らないことを心配した。 「大丈夫か」  あからさまに言葉を濁していた。無断外泊の罰で折檻されたりはしないのか、それとも家に帰るのが辛いのか……そのどちらともとれるように聞かれた。 「親、私に興味ないからさ。お母さんさ、今はお義父さんの浮気調査に夢中。特に夜は寝てる間にスマホ見ようとしたり、いない日は探偵みたいな人に調査頼んだりしてさ。笑えるよね」  母はお金目当てで大分年上の父と結婚していた。義両親の介護問題や将来の老々介護が現実味を帯び始め母はやがて父を疎ましく思うようになった。その一方で父もまた、若さを失った母からもっと若い女性に目移りするようになった。最初からうっすらと破綻していた結婚生活は私が小学三年生の夏に正式に終わった。 「年の差婚で一回失敗してるくせにさ、また同じことするんだもん。学ばないんだよ、あの人」  自由の身となった母は、若いつばめを囲うように二十代前半の顔の整った男性と交際した。妹を妊娠した責任を取らせる形で、今の法律上の父親と結婚した。彼は今も妹のことは溺愛しているけれども、母への愛情はやがて枯渇した。 「私も大人になったらさ、浮気したりされたりするのかな。って、彼氏もできたことないのに、何言ってんだって感じだけどさー」  昔から血は争えないと言う。私も実父や母と同じ運命を辿らないとどうして言えるだろう。エイミーに言ったところでどうなると言うわけではないが、わざと自虐することで否定してほしかっただけなのかもしれない。 「誰もが両親と同じ生き方をするわけではないさ。私の両親は人間として死んだが、私は300年ヴァンパイアとして生きているぞ」  エイミーの白い手が私の髪を撫でた。それだけで心が軽くなった。 「男の人も女の人もさ、大人って結局若い人が好きなのかな。年、取りたくないな」 「やめておけ。不老不死になってもいいことなんてないぞ」  ヴァンパイアになりたいとまでは言わなかったけれど、無意識の中にあった羨望をエイミーが諫める。 「それに愛する人は老いても変わらず愛しいものさ」  エイミーは過去にふたりの恋人を天国へ見送っている。だから、真実の愛は存在するのだと信じてみてもいいかもしれない。それを私が手に入れられるかは別として。 「愛にも、いずれ運命の人が現れるさ。その人とともに年を重ね、添い遂げるといい」  根拠のない慰めも、エイミーの言葉ならそんな未来もあるかもしれないと希望が持てた。リーベPの言葉担当は私のはずなのに、私が紡ぐ言葉よりエイミーの言葉の方が心に響く。 「ありがと。ごめんね、メンヘラっぽいことばっか言って」 「構わないさ。私が出来なかったこと、愛が代わりにしてくれるかい?」 「うん、するよ。それでもし女の子が生まれたら、名前は恵美にする」  私はエイミーの肩にもたれかかったまま答えた。  連日泊まることが増えるとエイミーが夜な夜な出かける日があることに気づいた。 「夜中にどこに行ってるの? 夜に出歩いたら危ないよ」 「人間の血を吸いに」  当たり前だが、エイミーはヴァンパイアだから血を吸うことが食事だ。血を飲まなくても死にはしないが、エネルギー補給が出来なければ生活は出来ない。 「清三郎が恋しくて、なんて綺麗な表現でごまかしたが、体が清三郎の血とかけ離れた血の味を受け付けなくなってしまったから日本に来たんだ。我ながら浅ましいな」  エイミーは自嘲した。 「人間だってお腹すいたら動けなくなるし、食べられるものと食べられないものがあって当然だよ」  私はこの年になってもトマトが食べられない。ケチャップやミートソースの形になっていれば食べられるけれど、生のトマトはあの独特の断面を見るのも遠慮したい。 「愛は私が怖くないのかい? 人に嚙みついて、生き血を啜っているんだぞ。恋人をこの牙でふたりも殺したんだぞ」  エイミーはギラリと光る犬歯を指差した。かつて、恋人の血を吸った歯。今、エイミーは血を吸う相手がいる。それはどんな人で、エイミーとどういう関係の人なのだろう。 「怖くないよ。それよりさ、エイミーは今、彼氏いるの?」  私の心に浮かんだのは恐怖ではなく嫉妬の二文字だった。エイミーとの子供が欲しいとか、エイミーとキスが死体だとか、そういう願望はない。でも、エイミーの特別で唯一無二でありたかった。私以外にそういう代わりのきかない関係の相手がいて、ましてやその人との間には「恋人」なんて名前のある関係を築いているなんてその相手に対してはずるいと思ってしまう。何より、そんな人がいるならばそんな重大なことを私に教えてくれなかったことが寂しかった。 「いないよ。もう恋愛は懲り懲りだ」  呆れたようにエイミーが笑う。私はほっと息をついた。私の様子を見てエイミーがまた笑った。 「笑わないでよぉ」 「ああ、すまない。愛の反応が可愛くて、つい」 「だって、気に鳴ったんだもん。エイミーが今はどんな男の子の血を吸ってるのか」 「特定の誰か、ではないよ。今は男も女も関係なく名も知らない人間の血を吸っている。元々エヴァーハルトと会う前はそうしていたからね。ははは、まるで通り魔だな」  闇に紛れてどこからともなく現れ、血を吸ってまた闇夜に消える。多くの人が持っている吸血鬼のイメージそのものだ。 「ただ、昔からの性で善良な人間に牙を突き立てると言うのはどうも良心が咎めてね。悪行に勤しんでいる人間の血を吸うようにはしている。正義の裁きをできるような身分でもない癖にな」 「刑務所に侵入してるってこと?」 「いや。法が裁かない人間たちさ。我が子を愛さず邪険にする親や人に心無い発言をする者たち。そういう人間を昼間に見つけて居場所を突き止めて、夜に血を吸いに行く。でも、いくら相手が悪人とはいえ致死量を吸って殺したりはしていないから安心してくれ。少し懲らしめる程度さ」 「殺さないってことはちょっとだけ吸ってるんだよね?ばれないの?」  相手の意識があれば見つかるリスクがあり、かつひとり当たりの量が少なければ多くの人から吸血しなければならない。 「今のところは。でも見つかれば、この町にはいられなくなるだろうな」 「そんなの嫌だ!お願い、もう危ないことしないで」  私にはもうエイミーのいない生活が考えられなかった。エイミーを失うくらいなら、他のすべてを捨てても構わなかった。 「私の血、吸っていいから」 「何を言っているんだ。君は罪人でも私の恋人でもないだろう」  エイミーがあからさまに動揺する。 「ヴァンパイアの制約、4つってエイミーが言った。その中に、普通のいい子からは血を吸っちゃいけませんなんてルールなかったもん。もし、そういうのがあるんなら私悪い子になるよ」 「いや、そんなルールは無いんだが……確かに、おかしいな。懲罰と求愛にまったく同じ手段を使うなんて。愛し方が分からないから、平気でそんなことができるんだろうな。本当に私は訳の分からない生き物だよ」  エイミーはいつも自分を否定する。やたら自分を人殺しだと言うし、2人以上の人間を過去に愛したことを悪いことだとでも言うように自嘲する。私よりもずっと、ちゃんと愛を知っているのに。 「あのさ、エイミー。私はエイミーのこと嫌ったりしないから。エイミーは私に叱られたいのかもしれないけどさ、悪いことだなんて思えないんだもん」  否定してほしくて「自分は人殺しだ」と言っているのなら、何度だって否定してあげる。でも、罰を求められても私はそれには応えられない。 「だってエイミー、優しいじゃん。私がメンヘラっぽいこと言っても見捨てないで付き合ってくれるしさ。だから、私もちょっとはエイミーの役に立ちたいんだよね」  制服のブラウスの第2ボタンまで外して首筋を指さした。 「血の味ってよく分かんないけど、たぶん不味くはないと思うよ。子供だから、お酒とかタバコとかやったことないから綺麗な方だと思う。大人になってもやるつもりないけどさ」  エイミーの喉がゴクリと鳴った。そして、私の首筋にそっと歯を立てた。 「痛っ!」  普通に生活していて、誰かに噛まれるなんてことはない。不慣れな感触は激痛に変わった。 「すまない」  心底申し訳なさそうにエイミーは歯を離すと、自らの腕を噛んだ。エイミーの右腕からは血が流れた。 「何してるの?」 「せめてもの贖罪に、愛と同じ痛みを味わおうと思って」  その深紅の血潮の美しさを、私は生涯忘れることはないだろう。
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