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雪山翔子先生とわたしはプライヴェイトでのパートナーである。だから一日中、顔を合わせているわけだが、不思議と飽きない。見飽きない。こういうのを相性がいいって言うんだろうな。
今日はわたしが料理の当番だったので、晩御飯に翔子のリクエストで麻婆豆腐を拵えてみた。翔子は、チーズケーキやプリンのような甘いものも好きだが、ぴりりと辛い料理も好みだ。日に日に辛さのきついものを求めるようになってきたみたい。今日の麻婆豆腐はお替りをしてくれたので、辛さに関しては合格点だったらしい。わたしも酒好きだから、辛いものは大いに結構という質だが、こんなに辛いものばかり食していると、二人して、だんだん舌の敏感さがなくなっていくんじゃないかと心配ではある。
翔子先生は美術の教師だから、自分でも絵を描く。デジタルにはさほど興味がないらしく、絵筆や鉛筆を使うアナログ派だ。別にデジタルを否定しているわけではなく、ただ単に相性とか好みの問題だそうだ。
「だけど最近のAIによる作画は、あっという間に進歩したよね」
アナログ派といっても、翔子もAIアートを無視できないでいる様子。
「人間が描いたんだか、AIが作ったんだか、ぱっと見じゃ分からなくなってきたからね」
翔子は、感心半分、困惑半分という表情で言った。
「でも、著作権のことでもめてるみたいじゃん」
わたしは推理小説が好きなぐらいだから、盗む、もめる、法律に反する、といった話題は大好物だ。あんた、何だか嬉しそうに言うじゃん、と翔子からおでこをぽこんとつつかれた。
「結局、AIが描いたといっても、もとになる絵や写真をAIに学習させて、絵を生成するんだから、もとの絵の作者としては、勝手にひとの作品を盗るな、てことになっちゃうよね」
翔子はかわいい顔を苦い顔に変えて発言する。ピンクの部屋着にしかめっつらは似合わない。
「じゃあ、もとの作者から文句が来なけりゃいいんじゃない」
と、わたしは平然と言い放つ。
「どういうこと?」
「つまりさ、ネットに散らばってるスカートの中の盗撮画像なんかをAIに学習させて、それを加工して裏のサイトで売りまくる。そういうケースなら、もとの写真を盗撮した人から苦情が来ることはないと思うけど」
「もとの撮影者が文句を言わなくても、わたしがあんたに文句を言うわ!」
翔子先生は笑いながらわたしの頬をぎゅっとつねった。
「あんたって、時々、教師とは思えないような発言をするわね」
そうなのです。わたしも翔子と同じ学校で国語教師をつとめておるのです。ちなみにわたしは生徒たちから、島村先生は一日一回は問題発言をしないと気が済まない、と言われているのです。
「まあ、冗談はさておき、翔子の好きなクラシックだって、AIがからんでくるとややこしいことになるんじゃない」
「というと?」
「仮に、これが法律上許されるとするよ。
例えばショパンのピアノ曲なんかは色んな人が録音を残してるよね。すなわちこれは、たくさんのデータがあるってことでしょ」
「そうなるね」
「その、色んなデータをAIに学習させてニュー・ヴァージョンのショパンを生成することは可能でしょ」
「うーむ」
「『英雄ポロネーズ』のこの8小節はホロヴィッツからとって、ここの16小節はポリーニの演奏を持って来て。全体のテンポはやや速め。ピアノの音色は19世紀のフランス製のピアノの音で。何て風なこともやろうと思えばやれないことはない」
「あんたって、法律上問題あることを考えるのって好きね」
「まあね」
「でも、そんなの作って聴く人はいるのかな」
「そりゃ、わたしが作ったって誰も聴かないよ。でも世界的な指揮者がピアノ・アルバムを作ってみたとか、天才ヴァイオリン奏者がAIを使用したショパンを発表したとしたらどうだろう」
「指揮者の小澤征爾とかヴァイオリンのギドン・クレーメルみたいに、音楽の才能は抜群だけど、ピアニストではない。そんな人がピアノ・アルバムを作ったとしたら……」
「お金を出して聴いてみたいという人はいるんじゃないかな。あるいは、腕を怪我して弾けなくなったチェリストがAIを使ってアルバムを出したとしたら」
「なるほどねえ。逆にアルバムを買って支援しよう、なんて人も中にはいるかも」
「でしょ」
さらに、わたしは自分の専門と少し関わりのある分野の話をした。
「人工知能を使って、小説を書いちゃうとか、論文を執筆しちゃう、なんてのも問題になってるね」
「結局、それは、誰が書いたんだ、てことになっちゃうもんね。そういえば、どこかの学校で、生徒が読書感想文の宿題をAIにやらせて学校に提出した、なんてことがあったらしいじゃん」
翔子は教師の厳しい顔付きをして言葉を発した。
「それは学校側が悪いよ。生徒に宿題を出すなんて教師のやることじゃないね」
「あんた、本当に教師かい?」
翔子先生はあきれ顔で言ったが、自慢じゃないけど、わたしは教師になってから、今まで一度も生徒に宿題を出したことがないのである。
「ちなみに、19世紀が終わったあたりで、小説ではすべてのストーリーは出尽くした、と言われているし、推理小説の分野でも、20世紀前半ぐらいで、すべてのトリックは考え尽くされた、と見なされている。あとは、今までに出たものを、どう工夫して書くか、ということがテーマだから。その肝心な工夫を人工知能にやらせちゃう、てのはどうかねえ、という気がするな」
「出尽くしたからこそAIの出番、という考えもあるんじゃない?」
「まあ、それも言えるけどね。でもさ、翔子、AIが推理小説書いたら、厳密過ぎる作品になりはしないかな?」
「どういうこと?」
「つまり、このトリックは成立するかしないか、人工知能が的確に判断したらかえって詰まらないんじゃないかな。人間が考えた方が適度に雑になるから楽しいんじゃないかって感じがするんだよね」
「ああ、なるほどね」
「もちろん、実際に犯罪をやるんなら、厳密な方がいいよ」
「へえ、じゃあ、現実の犯罪にAIが使われるってこと?」
「緻密な計画を立ててくれると思うね。でもAIを犯罪に巻き込むのはどうかなあ。例えば、翔子が誰かを殺したいと考えたとするよ。そうしたらパートナーであるわたしが知恵を絞って立派な犯行計画を練り上げるはずだ」
「そういうことは力を込めて言わなくてもいいんだよ」
「そうするとわたしと翔子は共犯関係ということになるんだけど、もし翔子がAIに犯行計画を考えさせたらどういうことになるんだろう?」
「AIが共犯になる?」
「人間が捕まった場合は黙秘権があるけど、AIには黙秘権てあるのかな?」
「データを解析されちゃえば、犯行計画立案がばれちゃうよね」
「警察がデータを解析すると自動的にデータが消去される、なんて都合のいいプログラムが可能なら……」
「あるいはAI自体を消滅させちゃうとか」
「それは人間でいうなら、共犯者の口を封じる、と同様じゃないの」
「そうなるねえ」
わたしは腕組みをしながら考えをまとめた。
「もしもわたしが共犯者翔子の口封じをするんなら、死体をわからないようにどこかに埋める。そして周囲の人には、『翔子先生はどこかにふらっと旅に出たまま帰って来なくて……』なんて言いふらすかな」
「わたしの口封じを楽しそうに語らないでほしいなあ」
「でもAIはふらっと旅に出る、何てことはしないからねえ。フーテンの寅さんと違って」
「そりゃ、たしかに」
翔子は笑いながら同意した。
「まあ、わたしが誰かを無き者にしたくなったら、AIじゃなくてあんたを頼るよ」
翔子は冗談めかして言った。
「翔子の為なら立派な犯罪者になってみせるよ」
「そりゃたのもしいこって。犯罪といえば、わたしたちみたいな同性愛者も、国によっては法律で認められてないんだよね」
「じゃあ、既に立派な犯罪者だ」
わたしはにやりと笑って言った。
「AIはレズビアンについてどういう判断をするんだろう」
「その点は心配ないと思うよ。
コンピューターの歴史を語る上で最重要人物と言えばアラン・チューリングでしょ。あの人同性愛者だったから。もしもAIが同性愛を否定するんなら、自分で自分の生みの親を否定するようなもんでしょ」
「ああ、それならわたしたちも安心だ」
にっこり微笑んで翔子は言った。ほっぺたのすぐ近くで発せられたふふふという笑い声は、わたしの耳たぶを心地よくくすぐった。
おしゃべりを楽しんでいるうち、夜はしだいに更けていく。これからはおしゃべり以外のことを楽しむ時間だ。そして、くちびるとくちびるが接近すると、わたしたちの舌は、まだ敏感さを失っていないことがとてもよく分かったのだった。
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