炎の杖と望遠鏡と

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 チュンチュン。小鳥のさえずりが晴れた空に響く。  晴天の街道はとてものどかで風もやさしく頬を撫でていく感覚がむずがゆく感じられる。でも、気持ちがいい。  全身汗まみれで寝台から起き上がったジョン少年は、危うく自分が寝ていた二段ベッドの天井に勢い良く頭をぶつけそうになった。  部屋の窓から差しこんでくる白い光が彼の胸中を満たす恐怖を和らげてくれたが、今の気分は最悪であった。  今日は大事な【懐刀】の鍛造日なのに、昨晩見た夢のせいで朝になるまでずっとうなされていたのだから。  昨晩、不安と楽しみがないまぜになった気分で年季の入った二段ベッドの下段に潜り込むとそのまま寝入ったのだが、その時に見た夢がこれまた酷かった。  寝付くと共に夢の中に入り込んだ事に気づいたジョンは目の前に広がる空間に息をのんだ。  薄っすらと赤みがかった壁を覆うコバルトブルーの垂れ幕が部屋の四方に掛かっている広い部屋の中央。  そこには背の高い四角形の台ような形の石造りの祭壇が佇んでおり、その台の上には【懐刀】の鍛造のための小ぶりの槌が置かれていた。  ジョンは周囲に誰かいないかと視線を巡らせたが、そこには誰も居なかった。 「誰かいませんか?」  おずおずと部屋の中央へと歩を進めるジョン。もちろん、途中で誰かが乱入してこないかと慎重に周囲の様子を探りながら。  そして、彼が祭壇へとたどり着いたその時、祭壇の上に置かれていた槌はぐにゃりと歪み、形を変え始めた。  ジョンの目の前でおもむろに形を変えていく槌の成れの果ての様子に言葉も出ない。  ……そして、形を変え終えた槌だったものを見たジョンは悲鳴を上げた。  そこで彼の悪夢は終わったのだ。                               ※ 「あっはっはっは!」  ガタゴトと音を立てて進む一頭立ての馬車の中。  14歳らしき一人の少女が大きく口を開けて大笑している。  それも彼女の向かい側の席に座っている少女と同年代のジョン少年の目の前でだ。  質の良さそうな素材で仕立てられた、肌を一切晒さない造りの外出用のドレスに身を包み、ハーフアップでまとめた金色の髪をしなやかに揺らしながら口を大きく開けて大きい声で笑っているのに、一切下品さを感じさせない仕草で笑い倒している白いかんばせの少女ことカルロッタは美しかった。  カルロッタの傍には様子を楽しそうに横目を細めて眺めていた青年がいた。質のいい仕立てのスーツの上にジャケットを纏ったその男は後ろに流した黒髪を一つに纏めた明るい色の肌をしていた。ただ、よくよく見ると肌の色はどこか黄色みがかっていたが。 その青年ことアルトマーレはカルロッタの従者としてその場に立っている。  カルロッタはジョンの住む街・アンディの有力者の一人、貿易商から成り上がった『一代男爵・アンジュール卿』の娘であった。  カルロッタには上に二人の兄たちがいるが、全員成人しており、年齢も現在では20歳以上となっている。  二人とも14歳になるとすぐ両親のアンジュール&ウィクトリー商会を手伝う形で商売の術を学び、長男は次期商会長、次男はのれん分けという形で長男の商会を手伝う形で実に付けた商売人としての技術を大いに活かしている。   カルロッタは手の離れた息子たちを成長を喜びながら祝っていた反面、一縷の寂しさを感じていた。しかもいい歳をした両親たちはしんみりした場の空気に流される形で大いに頑張った。その結果、一人のとても可愛らしい女の子を天から授かった。  生まれたばかりのカルロッタは両親から大いに愛されて育った。もちろん、上の兄たちも天使のように愛らしいカルロッタにめろめろとなった。  そんなこんなで時に厳しくも愛に包まれたカルロッタは14歳になるころには炎の芯を持つ美少女として街の有名人となった。  大抵の事は笑い飛ばす明るい性格であり、卑怯な事は大っ嫌い、言うべきところはきっちり言う、大変気の強い14歳の少女へと成長したのだ。  異性でありながらも腕が立つという事でアルトマーレがカルロッタの従者になったのもこの頃であった。  「カルロッタは男性というものに一切関心が無いから」という理由からである。  当初、それを耳にしたジョン少年は胸中からカルロッタに複雑な感情を覚え、何とも言えぬ表情を浮かべていたそうな。 「あー、ホントおかしい。夢の中で変化した槌にびっくりして悲鳴を上げるなんてね、アルトマーレ」 「そうですねお嬢様」  エイドスは涼しい表情で追従する。 「むぅ」  夢の中とは言え、自分が経験した恐怖経験を軽くあしらわれたジョンは不満そうに頬を膨らませる。 「でも、目の前で槌が僕の大嫌いな赤羽が生えたクサリヘビになったら誰だって悲鳴上げるよ」  自分が苦手とするものを笑われたことへの抵抗心からムキになって言い募るジョンにカルロッタは「フン!」と鼻を鳴らした。 「確かにあのクサリヘビは毒はもってるし生意気にも羽を羽ばたかせていやらしく噛みつき攻撃をしかけてくるけど、対処法もしっかりとあるのよ?」 「ええ、お嬢様。確か害獣対策用の氷の嵐を封じた玉を投げつけると良い…でしたね?」 「そうよ、腕に自信があるものなら魔法や武器で仕留めることも出来るみたいだけどね」 「僕は蛇を見るのもいやなんだからね!」  ジョンは苦手を如何に武力で克服するかにシフトしていったクサリヘビの夢への話題にうんざりした。 「とはいえ、大事な【懐刀の儀】の前日に見たのであれば、もしかしたらジョンも戦に向いた懐刀を得るのかもしれないわね!」 「うわぁ、ホント勘弁してよ…!?」  【懐刀の儀】。  それは14歳になった子供たちが迎える、人生の相棒を得る日である。  魔法の槌を手にした若い鍛冶師たちが『子供達の今後の人生に必要な【懐刀】を』と、世界にたゆたう姿無きものたちへの祈りと共に槌を振るい、形無きエーテルから姿ある物を生み出す神聖な儀式である。  【懐刀】には様々な形があり、武術に向いた【懐刀】もあれば、生産職や労働者向けの【懐刀】もある。  更に、【懐刀】の姿形も持ち手によってさまざまな形に変化する。  ただし、ジョンが夢で見たような、無機物が生き物へと変化をすることは一切ない。  どこまでも形無きエーテルから形ある生無き物体が生まれる。ただそれだけである。 「お嬢様、ジョン少年の父君は技術職の懐刀を【懐刀の儀】で得ています」 「あ、そっか。ジョンのお父さまは建築職人なんだっけ」  ジョンの家は両親ともども庶民の出である。だが、生業は設計図を起こし、建築に必要な技術をもった人材を集め、どのようなトラブルに見舞われても燃え落ちたり崩壊することが無い家づくりを行う建築職人であった。  小さい頃から建物の構造に関心があったジョンの父アルトスは細部にわたる設計技術の存在を知り、それを手掛ける職人になりたいと願うようになっていた。ただ、彼の出生では筋の良い職人の元で修行できるか分からなかった。  出自のために得られる可能性がかなり低い未来の自分の姿に不安を感じながら挑んだ【懐刀の儀】では、アルトスは見事に建築職人の命と言える魔法の定規【エンセル】を得た。だが、それでも現実の重みはアルトスの未来を押し潰そうとした。   建築に纏わる業務全般は建物の様式を始め、家の強度を保つための技術を多岐に渡って学ぶ必要がある。しかし、そのためには数多の技術が書籍として図書館に収蔵された大学へ進学せねばならなかった。  当時、大学へ進学できるのは裕福な家の出の子のみ。  ジョンの祖父母に当たるアルトスの両親は装飾職人で、稼ぎは年を越せる分を得ていた。だが、一人の少年を大学へ送る事は難しかった。 アルトスの未来を叶えてやれない事に罪悪感を感じ打ちひしがれていた両親の姿に思わず涙を流すアルトスたち。  そこに声を掛けた人物がいた。  カルロッタの祖父にあたる、ジュロン・アンジュール卿である。  既に逝去しているが、彼もまた一代男爵の地位にある資産家にして商売人であった。  当時、アンディの街は拡大途中にあり、将来有望な建築職人の卵を一人でも多く必要としていた。  アンディの街の拡大のために数多の建築家が招聘される中、幼い頃から建築技術に関心はあるが、庶民、しかもあまり収入も高くない出自のためにその道を諦めなくてはならない少年の事をしったジュロンはそれとなく人手を使い、アルトスの事を観察していた。  アルトスが親を思いやり、出自の為とは言え自身を大きく見せる事は無かった。控えめな性格ではある彼に降りた【懐刀】が建築職人にとって必要なものとして姿を現した。これ以上放っておいたら他の誰かに掻っ攫われてしまうと危惧したジュロンは彼の後見人となった。  立派な後見人を得たアルトスは大いに学び、数多の技術を【エンセル】と共に吸収し、建築職人としての肩書を得ることが出来た。ジュロンの元でアンディの街の拡大事業に一人の職人として参加し、それ以来の縁でジョンの家とカルロッタの家は今も関りを持っている。  もっとも、カルロッタにしてみれば弟分のようにジョンを可愛がっているので彼を「男性」として見做す可能性は限りなく低いとしか言いようが無いのだが……。                              ※ 「ようこそ【懐刀の儀】へ! 俺は今回の儀式の責任者の鍛冶師ギルド所属のヘンゼルだ!」  中年の男性が大きな声を張り上げる。  アルトスが夢で見た、赤みがかった壁面にコバルトブルーの垂れ幕が掛けられた部屋の中。  部屋の中には14歳を迎えた少年少女たちが集められていた。  誰もが期待と不安をないまぜにした表情で部屋の中央に立つヘンゼルと背の高い祭壇に視線を向けていた。  ヘンゼルの後ろには若手の鍛冶師たちが控えており、少年少女たちを怯えさせないよう抑えているものの、体全体から緊張感を漂わせていた。 「俺の横にある祭壇で、君たちの未来の良き相棒となってくれる【懐刀】を呼び降ろす! 君たちの相棒は実に様々な形をしている! 武器から日常で使われる物といった、実に豊かなバリエーションの【懐刀】たちが君らの相棒になるべく降りて来てくれる!」  ヘンゼルは祭壇に優しく手を当てると後ろに控えていた鍛冶師たちに合図を出し、彼らを少年少女たちの前に並ばせた。 「この若い鍛冶師たちは君らの相棒を呼ぶ手助けをしてくれる! 何から何まで緊張して警戒する子もでるかもしれないが、彼らは君らの助けをしてくれる、君らよりもちょっと年上の人生の先輩だ!」  その言葉に子供達から若干緊張の色が薄れたのを確認したヘンゼルは言葉を続けた。 「君らに就く先輩たちはすでに決めている。これから番号と共に君らを呼ぶので、呼ばれたらこちら側に来てくれ!」 「はいっ!!」 「よろしい、それではこれから【懐刀の儀】を始める!!」                   ※  その後は、若い鍛冶師たちの祈りの言葉と共に振り上げられる槌から淡い光が生まれ、光が鍛冶師たちの前に立っている子供達の手のひらへと降り注ぐ。  光はしばらくもやもやと無形のままでいたが、徐々に姿を変えていき、武器やら日常生活で使われる道具だったり、見た事も無い、専門職向けのツールっぽい姿へと現していった。 「次、31番、32番!」  番号を呼ばれたカルロッタとジョンが前に出てくる。  二人とも、表情がどことなく緊張で固まっていた。  そんな二人を優しい目をした鍛冶師たちが二人を温かい視線で見守っている。 「今日の【懐刀の儀】の鍛冶担当になった鍛冶師です。どうぞよろしくお願いします」  彼らは胸に片手を当て、挨拶の言葉と共に深くお辞儀をした。 「私はカルロッタ・アンジュー。本日はどうぞよろしくお願いいたします」 「ぼ、僕はジョンと言います。本日はどうぞよろしくお願いいたします」  二人も胸に手を当て、深くお辞儀をして返す。  カルロッタはしとやかに。  ジョンは若干言葉を噛みながらも礼儀正しく。 「それでは、これからお二方の【懐刀の儀】を執り行います」 「良き人生の相棒に出会えますよう、お二方もお祈りくださいね」 「「はい……っ」」  ちなみにアルトマーレは部屋の隅に控え、二人の人生の相棒を得る瞬間を穏やかな表情で見守っていた。                   ※  鍛冶師たちは祈りを捧げる。彼らが握る小ぶりの槌に宿る、鍛冶師たちの【懐刀(あいぼう)懐刀】たちへと。  鍛冶師たちは祈りを捧げる。古き言葉で自分たちの人生の後輩たちのために良き相棒(ふところがたな)相棒が降りて来てくれるように。  鍛冶師たちは祈りを捧げる。子供達の元に彼らのこれからを共に支えてくれる半身が得られるように。  子供たちは祈る。自分たちの未来を切り開く【懐刀】が得られますように。  カルロッタは祈る。「炎の心」を持った私のために半身となる相棒が訪れる事を。  ジョンは祈る。僕の元に未来を切り開く「目」が来てくれますように。                ※  部屋の隅にいたヘンゼルは子供達の元に降りた【懐刀】たちの様子を見て微笑んでいた。  今年も、全員に彼らの人生を支えてくれる相棒が無事に降りて来てくれた事を。  同じくヘンゼルの隣に控えていたアルトマーレは二人の子供達と相棒の姿を見て微笑んでいた。  主の宝物であるカルロッタお嬢様には無事炎の杖の【懐刀】が降り、その証として金髪が鮮やかな炎の如き赤髪へと変わったこと。  そして、ジョン少年は金色に輝く望遠鏡を手に入れ、くすんだ色の髪が見事な金髪へと変貌を遂げた事を。  【懐刀】を得る子供たちに訪れる変化は、単に人生を共にする武器を得るだけではない。  武器を得たという証として体の一部に変化が訪れるのである。 「これからのお二方の未来がとても気になりますし楽しみです。これからもどうぞよろしくお願い致しますね」
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