第一話『深海の魔女は底を見渡す・上』

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 ……僕こと言読 栞(ことよみ しおり)は、目の前で起こっている出来事を目の当たりにして、深く嘆息してしまう。隣には、産まれたての子鹿のように震えるバイトの後輩が一人。露草 未散(つゆくさ みちる)が背後に抱きついてきて、影に隠れていた。 「さてさて、はてはて……これはどうした事か」  白髪の先を指でこすり合わせつつ、目の前から飛び込んでくるストレスを出来るだけ避けようとする。しかし、現実は非情である。この個室の中で起こった不可解な事件は、夢のように覚めてくれないだろう。霧散するわけでも、ドッキリでもない、紛れもない事実。だからこそ、僕は一旦現実から逃げ出すことにしよう。  ──その日も、うだるような蒸し暑い雨の日の夜であった。  真夜中のほぼ客が居ない時間。カラオケ店でのアルバイトは僕と後輩の露草さんの二人だけ、客の人数は5人。3人組の男女と、カップルが一組のみである。飲み物はセルフで、僕たちは暇潰しにしりとりで遊んでいた。ちょうど、ら行返し合戦で盛り上がっていた所で、注文が入りササッと作った品を彼女が持っていったのだ。  そこまでは、いつも通りであった。  注文してきたのは、3人組の男女。注文の品は、バラエティプレートと呼ばれる。唐揚げやフライドポテト、イカリング等々が盛り付けられた大皿だ。歌いすぎて、小腹が空いたのだろうと思われる。なので、露草さんは急いで持っていった。ただ、それだけだ。  そして、その注文した3人が死んでいたのである。  現実逃避を終了、個室の中で3人組の男女は天井を見上げてお亡くなりになっていた。未散ちゃんは、驚き慌てたのか大皿を落としてしまい、泣きながら僕の背中に隠れていたのである。ハチャメチャとしか言いようがない。 「……兎に角だ、一度スタッフルームに戻ろうか?」 「ぁ、ぁ、でも、私……」 「大丈夫だよ、まずは落ち着くために戻ろう。露草さんが泣いているのを見るのは、僕も悲しいからさ」  茫然自失な状態の露草さんを言いくるめて、スタッフルームに戻る。スタッフルームに備え付けられた薄型テレビの画面からは、ノイズが走り甲高い音しか流れてこない。スマホを見ても、ネットは繋がらず電話もかけられない状況である。 「どう、なるんでしょうか……私たち」  不安そうに言葉を漏らす露草さん、彼女の気持ちは理解できる。電話も繋がらず、テレビも見れない遮断された状況。こんな状況で、おかしくならない方が普通ではないだろう。だからこそ、僕はおかしい。 「大丈夫だよ、僕に任せて。露草さんは何があっても、ここから出てきたらいけないよ」 「せんぱい……?」 「生きたいと思うのなら、僕の言葉を信じて待っていて欲しい。──必ず、戻ってくるからさ」 「いや、です。一緒に居てくださいっ! 一人は寂しいですっ!!! お願いしますっ、お願いします!!!」  僕の足にすがりついて、離れようとしない露草さん。だけど、僕はその手をやさしく解き、出来る限りの笑顔を浮かべて口を開く。 「もし、言うことを守れたら、露草さんの願い事を一つだけ叶えてあげるから……どうかな?」  わがままを言う我が子に母親が言うような、そんなその場しのぎの言葉。でも、彼女は不安そうに僕を見上げながら、頷いて離れてくれた。 「ほんとうに、ほんとうに……ですよ?」 「大丈夫、嘘はつかない。約束は必ず守るから、不安に思うなら指切りげんまんでもしようか」 「……はい」  小指通しを絡め合い、指切りげんまんの音頭とともに指を離す。これで約束を破ってしまえば、僕は今後信用されなくなるだろう。それだけは阻止したい。 「じゃあ、鍵は閉めて開けないように。──また、終わったら戻ってくるよ」 「はい、先輩も気を付けて……」  スタッフルームの扉を閉めて、先ずは玄関の自動ドアを調べる。普通ならセンサーで開くはずなのだが、今はうんともすんともしない。そして、3人組の男女の個室以外のドアも()()()()()()()のだ。  仕方なく、3人組の男女が死んでいる個室へ戻る。  薄暗い部屋の中、男女は天井を見上げたままの状態で死んでいる。死体やその他のものを触らないようにしながら、原因を調べてみる。机の真ん中には小瓶が3本、蓋が開いていて中身がない。女性の口からは水が溢れ出し、中には赤い熱帯魚が泳いでいたのである。それは他の二人も一緒であり、色鮮やかな熱帯魚が窮屈そうに泳いでいた。
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