甘州にて

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六.牢破りで全員集合 「あいやぁ恥ずかしい。おっしょう様、ちょっとあっち向いてて下さいな」    目薬の効能で視力を取り戻した八戒が、胸と股間を隠しながら洋ナシ型の身体をくねらせる。  実のところ股間は出腹に隠れて見えず、胸などは隠す必要もないのだが、八戒は沙羅よりも恥じらいがあった。玄奘は八戒の面目を潰さぬように、言われた通り指し示された方に顔を向けた。――が、顔を向けた先で沙羅が着物を脱ぎはじめたので、慌てて別の方を向く。 「ほら、豚」  バサリという音から察するに、沙羅は脱いだ法衣を、八戒に被せたようだった。沙羅の服は牢の隅に脱ぎ捨ててあったので、それを着るのだろう。 「沙羅お(ぬし)、服くらい畳んで行かぬか」  悟浄の説教が聞こえた。 「すいませんね、おっしょう様。宿屋に戻るまで、しばらく(ころも)をお借りします」  八戒が法衣の紐を結びながら、玄奘に何度も頭を下げた。法衣は辛うじて打ち合わさっているが、ぱんぱんだった。   「面目ありません。我ら三人、こうもあっさり捕まってしまうとは」  悟浄が短く刈り込んだ赤頭を下げ、玄奘に詫びた。  微笑んで首を横に振った玄奘は、三人の無事を喜び、(ろう)(ねぎら)った。続けて、悟空が一人で妖群(ようぐん)を相手にしているので心配だと伝える。 「兄貴なら大丈夫ですよ、おっしょう様」  八戒が豪快に出腹を叩いて笑った。 「悟空兄貴は殆ど不死身のような奴ですからね、案ずる必要はございませんよ。厄介なのは黄風大王(こうふうだいおう)の風かなぁ。でも奴は臆病だし、最後まで出て来んでしょうね。今は寺のどこかに身を隠しているはずですよ」  八戒の憶測に、悟浄が頷いて同意する。 「前の戦いでも、悟空は黄風大王の風に難儀(なんぎ)しましたからな。あれさえ防げれば、なんとかなるはずです」 「風については、策があるの」  きっちり着物を着た沙羅が、袈裟部屋で見せたのと同じ、悪巧みをしているような笑みを作る。 「だからさっさと武器を取り返して、さっきの袈裟部屋に行きましょ」  牢屋番は、沙羅と玄奘が後頭部を叩いて気絶させた。牢の扉は開いている。しかし、二日間の失明と牢獄生活で鬱憤(うっぷん)が溜まっていた妖怪三名は、せーの、で牢の鉄柵を蹴破った。  岩から蹴り外された鉄柵は砂埃を上げながら、気絶している牢屋番二人を下敷きにして倒れた。    僧に化けた妖魔に玉龍を渡してしまった事を悔やんでいた玄奘だったが、幸い玉龍は無事だった。傷一つつけられず、厩舎で飼葉を()んでいた。  袈裟部屋に飾られていた袈裟を全て玉龍の背中に乗せた四人は、岩窟堂に向かった。そこではまだ、悟空が妖群と闘っているはずである。  中庭を抜け、伽藍(がらん)(寺の建物)の(あいだ)を通り抜ける通路を走っていると、伽藍の向こうに岩窟堂の屋根が見えた。その屋根の上に、二人の人影を玄奘が発見する。  一人は細長い棒のようなものを持った小さな生き物。身軽な動きで、屋根の上を飛び回っている。もう一人は、槍を持っていた。体の大きさは身軽な方の三倍はある。  堂塔の下に辿りつくと、屋根の上から武器で打ち合う音とともに、会話が聞こえた。   「待たれよ悟空! 我は腹が減った。飯を食ってくるから休戦としよう!」 「またお前はそんな事を! ちっとも変わってねえな!」  そしてまた、武器がぶつかり合う音が幾度が響く。 「待て待て雨が降りそうだ。戦いは明日に持ち越そう!」 「カンカン照りだド阿呆!」  どうやら、悟空の相手は戦意を喪失しつつあるらしい。何かしら理由を付けては休戦に持ち込もうとしていた。  「あー。こりゃ相手は黒風怪(こくふうかい)だなぁ」 「話には聞いていたが、自由(マイペース)な奴だ」  八戒と悟浄が、堂塔を見上げながらのんびりと言った。 「戦いたくなきゃ逃げりゃいいのに」 「自尊心(プライド)が邪魔してるんだねぇ、きっと」  沙羅のごもっともな意見に、八戒がうんうんと頷きながら答える。   「悟空!」  玄奘が堂塔の屋根に向かって大声で呼びかけると、ほどなくして赤い棒を持った白い毛玉が、屋根の端やら柱やらを足場にして、落ちるように跳んで降りて来た。  着地より先に、玄奘に飛びつく。 「ああよかった! おっしょさん。無事だったんですね!」  両脚でしっかり玄奘の胴体につかまった悟空は、感極まった表情で、短い髪を残した玄奘の坊主頭を、両手でわしゃわしゃとかき混ぜた。  胸に飛び込んできた子供サイズの温かさに、玄奘の頬も緩む。 「悟空も無事でよかった」  玄奘は、悟空の後頭部を撫でた。ふわふわと細い毛は、想像通りの柔らかさだった。  そういえば先程まで握っていた如意棒はどこへ消えたのか。不思議に思って探してみると、巻き付いた尻尾の先が支えているのが悟空の肩越しに見えた。器用なものだと、玄奘は感心する。 「悟空よそこに直れ!」  黒熊の頭に黒い皮鎧を着た妖魔が、綿毛が落ちるように屋根の上から降りて来た。黒風怪である。 「この猿めが! 一対一の闘いを途中放棄するとは、けしからん奴だ!」  激昂している黒風怪は、悟空に槍先を向けて責め立てる。しかしすぐさま 「「「「どの口がゆーとんだ!」」」」  と悟空、八戒、悟浄、沙羅に返された。  黒風怪は「むむむ」と唸ると、岩窟堂に向かって声を張り上げる。 「三蔵法師がいたぞ! ものども、であえであえー!」  すると、勢いよくお堂の扉が開き、武器を手にした妖群がわっと飛び出してきた。その数は、百をゆうに越えている。  まだこんなにいたのかと、玄奘は面食らった。 「兄貴! 『身外身(しんがいしん)の法(毛から分身を作る術)』は!?」 「不調(スランプ)中だ!」  八戒に対する悟空の回答をきっかけに、玉龍が袈裟を担いだまま逃げ出した。続いて沙羅が。八戒と悟浄が。最後に玄奘が、黒風怪(こくふうかい)に舌をベロベロさせている悟空を胸にへばり付けたまま、妖群に背中を向けて走り出す。 「ふははは! 待たんか卑怯モノがーっ!」  妖群を率いた黒風怪(こくふうかい)が、歓喜して追いかけて来る。 「おっしょさん、真言(しんごん)を唱えてくれ! それで黒助の輪っかが絞まるんだ!」  悟空が玄奘の胸に捕まりながら言った。  なるほど、と玄奘は頷いた。先鋒を落とせば、後ろをついてきている妖群も戦意を喪失するかもしれない。しかし、真言といっても山ほどある。 「どの真言ですか!」 「忘れた!」  前途多難だった。
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