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八.黄風大王との戦い
あれほどに騒々しかった寺の境内が、妖群が元の世界に帰った事で嘘のように静かになった。妖魔たちが残して行った刀や槍、弓矢などが、騒動の足跡となってそこら中に散らばっている。
口笛のような音を立てて、風が吹き始めた。不自然な流れ方だった。寺の敷地内をぐるぐると回っているのである。木々や草木の揺れる様で、それが分る。まるで目に見えない大蛇が今まさにとぐろを巻こうと、木々や草木の上を這っているようだった。
風は徐々に勢いを増す。
砂埃が上がり、落ちている武器がずりずりと引きずられはじめた。
八戒が、衣を必至に合わせながら、「あいやあ、裾がはだけちゃう~」と声を裏返らせた。
「さっそく吹かしてきやがったな」
顎を上げた悟空が鼻を上下させ、風の匂いを嗅いだ。
「イタチ臭ぇ。毛まで混じってやがるぜ」
そう言うと、小さなくしゃみを一つした。
「怪風が来ますぞ師父! 目を守らねば」
「目を閉じちゃ駄目よ! 煙の動きをしっかり見なさい!」
沙悟浄が発した警告を、沙羅が遮った。
袈裟を燃やしている煙の動きで黄風大王の位置を特定するのだという。
黄風大王が使う『三昧神風』という怪風を起こす妖術は、吹かす前に一旦風を集める事を、沙羅は術を受けて知った。故に、ここで怪風を起こせば煙が引っ張られ、自ずと黄風大王の居場所が知れるのだ、と。
成程。袈裟を集めたのはこういう理由だったのか。玄奘は納得した。
けして、黒風怪の号泣を誘う為ではなかったらしい。
風向きが変わった。渦巻く強風に散らされていた煙が、一本の筋となり、やがて一つの方向へ引き延ばされる。煙の先は、小さな仏堂を指し示していた。
「悟空、壊せ!」「はい喜んで!」
沙羅が古びた六角堂を指差し、如意棒をふりかぶった悟空が跳躍する。
暴れん坊がおみまいした渾身の一撃。六角堂は、こっぱみじんになった。
そこから現れたのは仏像ではなく、頭をおさえてしゃがみ込んでいる一人の老人だった。長い髭をたくわえ黄色い衣を羽織り、道士のような姿をしている。
「見つけたぜ黄風大王!」
「あいやぁ見つかってしまった!」
「『見つかってしまった』じゃねえだろ! 菩薩からの慈悲を無駄にして何やっとんじゃ!」
「やかましい! ワシにも事情があるのだわい!」
二人は面識があるらしい。悟空と口論した黄風大王は、ぷっとフグのように頬を膨らませた。
「おっとそうはいくか!」
悟空が老いた横面に張り手をかました。振りかぶってはいなかったので、手加減はしたのだろうが、頬袋を割られた黄風大王は、「ぶっ」と口から破裂音を出すと、瓦礫の上に倒れ込んだ。
しばかれた頬を手で庇い、キッと悟空を睨みつける。
「痛いではないか乱暴者め!」
「やかましい! 今、風吹かそうとしただろうが!」
言い合っている様子は、もはや子供同士の喧嘩にしか見えなかった。
玄奘は、八戒と悟浄をちらりと見た。妙に静かだったからである。なるほど、二人はこれでもかというほど冷めきった目で、老人と猿の喧嘩を眺めていた。完全にやる気を失くしている顔だった。
「虎先鋒! 虎先鋒はいずこ!?」
迷子になった子供が母親を呼ぶように、黄風大王が仲間らしき者の名を叫んだ。悟空は面倒くさげにボリボリと頭を掻く。
「ボケてんじゃけえよ。虎なら八戒のまぐわ受けて死んだじゃねえか」
「牛魔王の妖術で生き返ったのじゃ阿呆!」
黄風大王が唾を飛ばす。
牛魔王は今この瞬間も精力的に、あちらの世界の闘いで命を落とした妖魔や、仏に連行された妖魔を地上に蘇らせ、次々とこの世界へ送りこんでいるのだと、黄風大王は説明した。
虎先鋒はあちらの世界で三蔵をさらい、黄風大王の酒の肴にしようとした。そこで悟空や八戒を相手に戦い、八戒のまぐわでざくりとやられ、絶命したのである。
それがまた生き返ったのだと言うが――――
「しっかしなぁ。お前の妖群なら今さっき、まとめて送り返しちまったぞ」
その中に虎先鋒もいたのではないか、という悟空に、黄風大王は「そんなわけあるかい!」と声を荒げた。
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