甘州にて

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九.虎先鋒、再来 「虎先鋒は赤銅色の刀を持った、白虎のツワモノである! 千騎の妖群に匹敵するほどの将であるぞ! 雑魚と一緒に送り返されるようなヘマはせんわい!」 「あ」  玄奘は思い出した。赤銅色の両刀を持った白虎なら、確かにいた。  沙羅に火ダルマにされ、池に飛び込んでいた妖魔である。  それを聞いた黄風大王は、大地にどうと伏して、涙を飛ばし大いに嘆いた。 「おお我が雄々(おお)しき名将よ! 前世では豚にまぐわで九つの穴をあけられ絶命し、蘇ってもなお火に巻かれて死んでしまうとは、なんと哀れな部下であるか!」 「死んでないわよ多分。火傷はしただろうけど」  沙羅がいけしゃあしゃあと言った。 「黙らっしゃい!」  黄風大王がキンキン声で怒鳴った。  その時、遠くから「うおー」という吠え声が聞こえてきた。 「やあやあ我こそは虎先鋒(こせんぽう)! 火吹き犬はどこにおる! 我と今一度、勝負せい!」 「おおお、生きておったか虎先鋒!」  黄風大王は感涙にむせぶ。 「しぶといんだなぁ」 「だがしかしボロボロだ」  八戒と悟浄が、両手に赤銅色の刀を握り擦り足で駆けて来る白虎の姿を見て、顔をしかめた。千騎の妖群に匹敵する武将も、今やその姿は白虎というよりは、二本脚で歩く巨大な禿げ猫である。 「あたしは禍斗(かと)(火を吐く犬の妖怪)!」  『火吹き犬』という呼び方が気に入らなかったのであろう。沙羅は一喝で訂正すると、続いてすう、と息を吸い込む。また火を吹くつもりだと察した玄奘は、火柱が発射される前に、大慌てで沙羅の口を手で塞いだ。 「これ以上やったら殺してしまいます!」 「でも勝負しろって、あいつが!」  玄奘の手を口から引っぺがした沙羅が、異議を唱えた。玄奘は目で訴えながら首を横に振る。    黄風大王が玄奘に駆け寄り、足元にひれ伏した。 「なんという慈悲(じひ)であろうか! 悟空の一打から我が命を救った霊吉菩薩(れいきつ)にも勝るとも劣らぬ!」  そして、傷ついた虎の部下を横に跪かせた黄風大王は、玄奘の恩に報いる為にも、ここは虎先鋒(こせんぽう)と二人、大人しく元の世界へ帰ってやろう、と言った。  悟空が不満げに鼻を鳴らす。 「菩薩に恩を感じてんなら、なんでこっちの世界に来ちまったんだよ」 「仕方あるまい。牛魔王の妖術を受けてしもうたのじゃからして」  そう答えると黄風大王は、左の襟をぐいと開いた。  左胸に、杀悟空(悟空を殺すべし) 吃三藏(三蔵を喰うべし)という二つの墨文字(すみもじ)が並んでいた。  その墨文字を見た沙羅の表情が明らかに緊張した事に、玄奘は気が付く。  牛魔王の怒りに触れると、この墨文字に傷めつけられるのだと黄風大王は説明する。 「お前の輪っかみたいなもんじゃ、悟空。正に死の苦しみじゃよ」  長い白髭を揺らし、やれやれとばかりに首を横に振った。そして、やや混濁した目で沙羅をじろりと見る。 「やい、お(ぬし)。最初に蹴りだされたという『火付け番』であろう」  沙羅は返事をしなかった。『恐怖』の二文字が、その青ざめた顔にあった。  黄風大王は気にせず続ける。 「何故、よりにもよって悟空に(くみ)しておるのか知らんが、気をつけよ。牛魔王は目ざといぞ」  悟空が黙って、虎先鋒と黄風大王の顔面に赤札を貼った。  二人は仲良く並んで消えていった。 「おい、メス犬」  悟空がその金赤に輝く両目で、沙羅を見据えた。 「分っただろ。オメエの競争相手は山のようにいるぜ。他の奴らにおっしょさんを横取りされたくなけりゃ、裏切るんじゃねえぞ」  玄奘を含め、そこにいる全員の視線が沙羅に集まった。  沙羅は悟空と睨み合ったまま、やはり一言も発しなかった。
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