序章

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三.もう一人の三蔵  仏界でも、似たような事が起こっていた。  釈迦如来(しゃかにょらい)がおわす霊山の雷音宝寺(らいおんほうじ)には、  旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)となった三蔵法師(さんぞうほうし)。  闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)となった孫悟空(そんごくう)。  供物の残りを食べて祭壇を清める役である浄壇使者(じょうだんししゃ)となった猪八戒(ちょはっかい)。  金身羅漢(こんしんらかん)という菩薩となった沙悟浄(さごじょう)。  そして、仏教を守護する神である八部天竜(はちぶてんりゅう)となった玉龍(ぎょくりゅう)。  この四人と一匹が、集められていた。 「よお八戒。こっちでも腹いっぱい食ってるそうじゃねえか」 「兄貴こそ。相変わらずガラが悪いんだからぁ」 「息災であったか玉龍――そうか。それは結構なことだ」 「静かになさい。もうすぐ如来様がおいでになりますよ」  悟空と八戒が冗談を言い合い、悟浄はするすると宙を滑るように飛ぶ玉龍と近況を報告し合い、三蔵が弟子達を窘める。  竜神である玉龍以外は、四人ともが人の容姿をしていた。三蔵は生前のままであるが、悟空も八戒も悟浄も、妖魔であった頃の面影は残しつつも美しい仏の姿となっている。  さしずめ同窓会のような雰囲気の中、四人と一匹の前に、見事な螺髪をした仏が二人の尊者(そんじゃ)伴って、しずしずと現れた。釈迦如来(しゃかにょらい)である。 「困った事が起きました」    一斉に拝した四人と一匹の前で、釈迦如来は開口一番、こう言った。静かに呟いているような声が、拡声器で広げられたように、神々しく響きわたる。 「何が……で、ございましょう?」  三蔵が遠慮がちに訊ねた。  釈迦如来は、牛魔王の逃亡そして、仏界に連れて来た妖魔達が次々と魔性を蘇らせ仏界を去り、地上へ降りた事。更には、異界への道が何者かによって開かれた事を説明した。 「牛魔王の怨念は仏の力をもってしても昇華が難しかった。恐らくは全て、あの者がやった事なのでしょう」  その言葉を最後に、小さく嘆息する。   「異界への道――で、ございますか」 「なんじゃそりゃあ?」  首を傾げた三蔵の隣で、悟空が耳をほじりながら顔をしかめた。即座に三蔵に叱られ、耳から小指を引っこ抜く。  釈迦如来が目の前の四人と一匹を見渡しながら、たおやかな口調で説明する。   「異界とは、枝分かれした地上界のこと。天界や仏界とは異なり、地上界は樹木が枝を伸ばすが如く、同じような世界が幾つも存在するのです」 「へえ。全然知らなかった。ね、悟浄」  八戒が隣の悟浄に向かってヘラヘラと笑った。  沙悟浄が釈迦如来に訊ねる。 「それで、異界への道が開かれたらどうなるのでございましょう?」 「開かれるだけであれば大して害は無い。しかしそこを通る者が悪意を持っておれば、大変な事になりましょう」  「だからさあ、どう大変になるってんだよ」  仏になっても悟空の短気は変わらなかった。釈迦如来のまどろっこしい喋り方に苛立ちを隠そうともせず、貧乏ゆすりを始める。  釈迦如来は悟空の無礼を気にする事無く説明を続けた。 「繋がれた異界は、仏界や天界から遠く、介入が難しい場所です。そこには、その世界のお前――玄奘もいる。もし妖怪達がその世界へなだれ込めば、玄奘。その世界のお前は葬られるでしょう。そしてその世界の仏教は潰え、妖怪達が地上を治める事になりましょう」 「おっしょさんがいるなら、オイラだっているでしょう。心配しなくてもそんな妖怪どもはね、オイラがやっつけちまいますよ」 「そうですよ。兄貴がいればね、なーんも心配ないんです。余裕余裕ヘノカッパ」  大口を叩いた悟空に乗る形で、調子のいい八戒が悟空の肩に肘を乗せた。速攻で悟空に払い落された。  釈迦如来は憂いに長い睫毛を伏せると、 「その世界に、お前達はおりません」  と静かに告げた。  三蔵の弟子たちは、「え?」と眉をひそめて一段高い場所に立っている釈迦如来を見上げる。 「悟空。お前が生まれた世界は、我らに近い分、少々特殊なのです。神気や妖気で溢れており、妖が生まれやすい。しかし、異界の地上は違います」  悟空が生まれた世界以外は、地上に居るのは殆どが人間および動植物だと、釈迦如来は教えた。そして、左に控える尊者、阿難(あなん)から一枚の紙を受け取り、それを差し出す。 「これが、異界にいる玄奘の身の上書。それから、旅の工程表です」  代表して押し頂いた三蔵の周りに、弟子達が集まった。四人と一匹はぎゅうぎゅうに身を寄せ合いながら、紙に書かれた文と地図を読み合う。 「幼名は陳諱(ちんい)。十歳で両親を亡くし、兄を追って寺に住む。十三で『度』に合格し得度(とくど) (出家する事)。二十歳で僧職を授与される」  悟空が読み上げた内容に、ここまでは自分と変わらない、と三蔵は言った。 「国禁を犯して出国? あいやぁ。なにやってんのこの人」  続いて、八戒が眉を寄せる。それに対し三蔵は、当時王朝が(ずい)から(とう)に変わったばかりで情勢が荒れており、西域への旅行は許されていなかったのだと説明した。 「恐らく、難民に紛れて長安を出たのでしょう。飢饉のため、住民の疎開が許されていましたから。なので彼はまだ、三蔵(仏教の聖典である経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通しているすぐれた僧に与えられる称号)の僧官を得てはいないようです」  はぁ~、と悟空が感嘆の声を上げた。 「菩薩様と皇帝から袈裟(けさ)(僧服)と錫杖(しゃくじょう)(杖)を頂いてお墨付きの旅をしていたおっしょさんとは、苦労が違いますねぇ」  これには三蔵も気を悪くした。しかし、本当の事なので何も言えない。 「弟子には苦労させられましたが」  代わりに弟子の不肖ぶりを嘆く事で、意趣返しとした。 「少林寺拳法を習得――まことですか」  続きを読んだ沙悟浄が驚いて、目を見開いた。  友に少林寺あがりの僧がいたので、その者から教わったのだろう、と三蔵は言った。 「この人、ホントにおっしょさんなのかい?」  成人してからの記述にズレがありすぎたため、悟空が釈迦如来に確認した。 「間違いありません」  釈迦如来は優雅に頷く。  悟空は「ふうん」と曖昧な相槌をうつと、続いてニカッと快活に笑った。 「まあいいや。ちょちょっと行って、妖怪やっつけたついでにおっしょさんを天竺に届けてやりゃあいいんでしょ? 今のオイラなら楽勝っすよ」 「仏の姿は保っていられません。生前の姿が精いっぱいでしょう」 「「「なんで?」」」」  三蔵の弟子三人のみならず、玉龍までがその大きな頭をもたげて釈迦如来を仰ぎ見た。  仏の力が届きにくいからだと釈迦如来は説明した。
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