第7章 御伽噺じゃない

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「麻里奈。…いつもあんた、家のことはお姉ちゃんに任せ放しで。いい加減少しは台所の手伝いくらいしなさい。お嫁に行ったとき困るわよ、それじゃ」 苛立って刺々した声を母から投げかけられてもまるでへっちゃら、怯みもしない。そういうところさすがというか。わたしにはとても真似できない。…根っからの末っ子気質なんだよな。すごい。 「わかってるよぉ。いざお嫁に行くのが決まったら、そのときはちゃんとやるもん。お料理なんてそれから憶えてもなんとでもなるもんね。…ね、高橋さん?それより、外の話とか聞きたいなぁ。大変だった?やっぱりみんな凶暴で荒んでてぼろぼろで、食べるものにも苦労してるの?民度やばい?」 いや、なんて失礼なことを。 思わず卵をかき回してる手を止め、キッチンから声を張り上げて咎めてしまった。…まあ、わたしも。彼が外から来たって知ったばっかりのときは。口には出さずとも内心そういう目で見てたことは。否めないけどさ…。 「麻里奈。そういう訊き方…。失礼でしょ。わたしたちが単に無知なだけで。外は外で、いろいろあるんだよ。その人びっくりするくらい教養あるから、迂闊な口利かないの。多分集落の大抵の人よりもの知ってるから」 「はーい。…すぐびびっちゃってぇ、うちのお姉ちゃん。別に悪口言ったわけじゃないのにねぇ。ただ,ほら。ここに住んでると。本当に外がどうなってるかなんて。何もわからないからさ…」 それでもちょっと言い過ぎたと思ったのか、後半はしおらしい声で弁解してる。高橋くんはいつもの卒のない態度で温厚に請け合った。 「いえ、それは無理ないですよ。僕だってここに生まれ育ってたら。全く同じように考えてたはずだと思う。当然ね」 「…あの人。頭いいの、そんなに?」 わたしたちの会話を耳に挟んだ母が、わたしに近づいてきて声を落としてそっと尋ねてきた。 こっちもオムライスの支度をする手を止めずに小声で返す。 「外では大きい建物は意外にそのまま残ってるみたいで。あの人、図書館を転々として育ったらしい。だから本当に何でも知ってるよ。栄養状態もよくて健康そうだし、わたしたちが思ってるよりも。ここの外の環境はだいぶ改善してきてるんじゃないかな」 ふむ、と生真面目な顔つきで深く考え込む母。どうせわたしを嫁にやるのに夏生と彼とどっちがよりベターか、少しずつ迷い始めたってとこなんだろう。いや、わたしのもだけど。高橋くんの意思とかはまるで無視? 彼だって自分で選んだ好きな女の子と一緒になりたいでしょうよ、何もこんな閉鎖的な空間であてがわれた適当な女と流れで仕方なく結婚するよりもさ。と喉元まで出かけたけど、表向きそれは言えないことになってるんだ。と思い出してとどまった。 彼もわたしも、お互いそんな気ゼロ。ってばれたら、向こうは再び毎晩のサルーン接待に逆戻り。一方でこっちはそろそろいい加減に身を固めなさい、菜由ちゃんはもう赤ちゃん生まれるんだってよ、あんたと同い年なのに。夏生くん逃しちゃったらどう考えてももう貰い手ないよのお小言がまたぞろ始まるんだ。 わたしだって絶対一生誰とも結婚する気ないって言ってるわけじゃない。でも、こちらの意思を誰一人確認せず勝手に、小さなときから自然とあんたの相手はこいつね。と押しつけられて、そのままわたしが周囲の思う通りにそれを受け入れないとわがまま。と言われるのがどうしても納得いかない。っていうだけの話。 その展開に何とか棹さしてストップをかけたいっていう、わたしのささやかな抵抗がこれなんだ。 それにしても、高橋くんは何だかんだ言ってここでの調査が終わって気が済めばどんな手段を使ってでも何とかしてここから出て行くだろう。っていう揺るぎない信頼があるけど。 わたしの方は高橋くんっていう楔がなくなったら、どうやって夏生との結婚を阻止すればいいんだろう。じたばたして足掻いても、結局せいぜい数年間先送りするのが限界って程度で。最後は周囲の思惑通りに落ち着くところに落ち着くしか、道はないのかなぁ。 他の人を見つけて結婚する、って言っても。同年代の他の男の子たちも何となく、将来一緒になる相手は早い時点で既に概ね決まってるような。そんな土地柄なわけだし…。 よりによって何でわたしとカップリングされた男は、これだからお前は駄目なんだよ。とか、いい加減まともな大人になれよとか、全くお前は俺がいなきゃ何にもできねーな。とかしか言わないようなやつなんだろ。 恋愛感情持てるかどうかは置くとしても、他にもっと普通の毒にも薬にもならない性格の子はいくらでもいるっていうのに…と改めて思うとため息しか出ない。 今はまだ何とか踏みとどまってはいるけど。この先のことを考えると、まじで気が重くて憂鬱しかないな。と思いつつ、わたしは熱したフライパンにじゅ。と音を立てて卵液を流し込んだ。 こういう初対面の相手だらけのアウェイのシチュエーションほど、高橋くんみたいな人物が本領を発揮する場は他にない。
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