遠い場所にいる君へ。

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 人にはそれぞれの事情があって、人生がある。 「好きな人が遠いところにいる。それってなんだか、とても不幸なことだと僕は思う。  部屋で一人寂しく暮らす瞬間。自分の力ではどうしようもないその『距離』が、ガーン! と、僕の脳みそにキツイ一発をお見舞いしてくるんだ。  ——遠いところにいる人でも心と心は繋がっている。そんな心の綺麗な部分だけを都合よく切り取った言葉を、僕は受け入れることができない。だから僕は、意地悪でも屁理屈でもなく、しっかりとした理由を持って、綺麗事を抜かす貴方たちを否定してやる。  遠距離恋愛をしている自分に酔っている人は論外。こういう人たちは自分の辛い境遇そのものが恋人になっていることが多い。酔いならいつか醒めるから、僕が否定するまでもない。  これを聞いている貴方たちが誤解しないように言わせてもらうけど、僕は遠距離恋愛をしている全ての人を応援しているの。(けな)したいわけでも、憎んでいるわけでも、憐れんでいるわけでもない。ただ、『不幸』だと思っているだけ。  当然見知らぬ人——つまり僕——にいきなり『貴方は不幸だ』と言われたら……そりゃあ、ムッとするよね。何度も言うけど、僕は遠距離恋愛をしている人たちが『不幸』だから応援しているの。  僕が否定したい部分は、先ほど言った通り、心の綺麗な上辺だけ都合よくを切り取った言葉、なんだ。  遠距離恋愛なんて、したくないよね?  本当は好きな人と一緒にいたいよね?  そんな当たり前の心を否定して、必死に抑えてまで、『僕たち、私たちはそれでも幸せです』なんて(のたま)うのが気に入らないんだ。  うだうだ喋るだけ喋って結局お前が気に入らないだけかよ、と思ったそこの貴方。ああそうさ! 僕の個人的な意見だよ! 気に入らないね!  ……ごめん。少しばかり熱が入った。そもそも遠距離恋愛なんてものはね、不幸であると同時に仕方のないことでもあるんだよ。  遠距離恋愛には必ず、結末がある。遠い距離が縮まったり、その恋愛における『距離』という概念そのものがなくなったりして、恋は終わりを迎える。それがどんなに悲しくても、幸せでも、どんな結末だとしても終わりがあるから僕は臆することなく貴方たちに『不幸』だと言える。  そういった『遠距離恋愛は不幸なこと』という前提を踏まえた上で、それでも、そういう経験をしたおかげで結果的に愛が深まったと言うのなら、僕はそれは否定はしないよ。要は、現実をしっかりと受け止めて、それを糧にしている人なら許せるってこと。  好きな人に会えない苛立ち、関われない日常への焦燥感、世界が僕たちを引き裂こうとさえしているんじゃないかと嘆きたくなるような怒り……エトセトラ。そういった感情たちを大人ぶったりせずに真正面から受け止めた方がいい。強がりだったとしても、『遠距離は苦じゃなかった。むしろありがとうって感じです』なんて言われた日にゃ、それはもう……!  いいじゃない。不意に『会いたい』なんて言って相手を困らせたり、どう考えても会うのは無理なスケジュールを強行してみせようとする子供っぽさを見せても。  加減はしなきゃいけないだろうけど、友達に会えないことを愚痴ることだってなら……」 「——おい、口調が私に戻ってんぞ。素が出てる」  彼女に注意をすると、すぐ耳元で機械越しの声が返ってくる。 「やっちゃった……。入れ込みすぎかなあ」 「まあ、やたらと長いし難しいセリフかもな。でもここで頑張ったら夢が叶うかもよ」 「はーい」  少しムッとしていて、それを必死に押さえ込んでいるような声。ついつい出てしまった俺の説教じみた言葉に、なにかを言い返したい気持ちが滲んでいるような気がした。 「このオーディションに受かったら、ずっと憧れてた大女優に一歩近づくんだぞ。知らんけど」 「だよねえ。なれたらいいなあ……えへへ」  大女優になった自分を想像したのだろうか、とろんとした声で彼女が言う。彼女は嬉しい時、口角をグッと上げて幸せそうな顔で俺を見る。今、彼女のそばに俺がいないことが、それによって俺の大好きな彼女の笑顔を見られないことが、妙に腹立たしかった。 「俺、本気で応援してるから」 「なに? 急にマジメになっちゃってさ」  モヤモヤしながら、それでもなにか言わなきゃ、と絞り出した言葉は彼女を困惑させてしまったようだ。 「なんだか大人ぶってるみたい」 「大人ぶってなんかねえよ。ただ……好きな人の夢を応援したくなるのは当然だろ」  彼女のことを改めて、好きな人だと表すことに少し恥ずかしさを覚えて、少しだけ乱暴な言い方で携帯に声を飛ばす。 「あれ、怒った?」 「怒ってねえよ」 「そっか。応援してくれてありがとうね。……私、頑張るから」  柔らかいけれど芯のある声。無性に彼女を抱きしめたくなって、胸が苦しくなる。そして後から襲ってくる、どこか、どこか遠くへ行ってしまうような焦燥感。 「あ、そうだ。前々から言おうと思ってたんだけど、私の夢を勝手に決めないでくれる?」 「え?」 「私の夢は女優になることじゃないよ。女優は私の目標」 「じゃあ、夢ってなんだよ?」 「それを教えたら意味がないよ。私の夢は自分だけの力じゃ叶えられないものだし、それが叶った時点でわかると思うよ」  いくら聞いても彼女はきっと、本当に夢の内容を教えてくれはしないだろう。 「わかったよ。というか、女優は目標って言ってたよな? もしも本当にオーディションに合格して女優になれたら、その後はどうするんだ?」 「どう、って……ずっと女優としていられるように努力して、いずれはみんなが羨むような大女優になって、大女優としての人生を楽しむんだよ」  そうやって自分の将来について語る彼女はとても輝いていた。遠く離れた場所にいるけども、それは確かに感じる。  今ならまだ、手を伸ばせば届くかもしれない。ずっと俺のそばにいてくれ、なんてわがままも聞いてもらえるかもしれない。でもそれは、彼女を『不幸』にしてしまう選択なのかもしれない。  二つの意見が俺の中で静かに揺れる。 「……それにしてもこの長いセリフ、まるで私たちに言ってるみたいだね」  パラパラ、と紙の音が彼女の声に混じって聞こえる。携帯のすぐそばで彼女が台本をめくっている姿が頭に浮かんだ。 「遠距離恋愛って、不幸だと思う?」 「俺は……どうだろうな」  焦燥感、苛立ち……エトセトラ。少し前から俺の頭の中にいるそれら負の感情が考えることを邪魔する。いや、本当は現実と向き合いたくないだけなのかもしれない。  でも、一つだけ言えること。今の俺は間違いなく『不幸』だった。 「私はね、不幸だと思う」  いつもより少しだけ、マジメな彼女の声。 「好きな人に会えないのなんて、どう考えても不幸だよ。私は今すぐにでも会いたい。余計なものなんて全て捨てて、君だけを見つめていたい。ああ、私はなんて『不幸な女優志望』なの」  と思ったら、いつもよりずっと子供みたいな駄々のこね方。終いには芝居がかったセリフも付け加えて。 「ガキンチョみたいな言い方だな」  俺は小さく笑いながら言う。彼女のそんな一面も大好きだった。 「悪い?」 「いや、むしろ最高」  開き直った彼女には見えていないのはわかっているけど、寂しい部屋の誰もいないところに思いっきりサムズアップした。 「じゃあさ、俺がオーディション受ける前に『会いたい』って言ったらどうするよ?」 「嬉しくて、大女優になっちゃうと思うな」  俺が本当に欲しかった答えとは違うけど、彼女らしい答えに今度は大きな声で笑った。俺が笑っている間だけは、この部屋の寂しさは希薄になる。 「そうか。それなら俺たち、ますます会えなくなるな……」  一頻(ひとしき)り笑ったらあとはいつもの通り。ボロいアパートの一室はまた同じように寂しくなって、耐え切れずに本音をこぼしてしまった。  きっと彼女はこのままどこか遠く、俺の手の届かない世界に足を踏み入れるんだろう。 「ちょっと。そんな切ない声でやめてよ……」 「悪いか?」 「うん。悪いよ。全然最高じゃない」 「なんで?」 「嬉しいのに、今度は大女優になれなくなりそうだから……」  声が、震えていた。  涙を堪える彼女を抱きしめられないことは変わらず悔しかったけど、そうじゃない。 「……遠くの世界とか、手が届かないとか、そういうんじゃねえよな」 「え?」 「心では繋がってるとか、そんな綺麗事でもねえんだ。要は、この距離をどうするか、なんだよ」 「急にどうしたの?」  彼女からすれば急に変なことを言い出したんだ。困惑するのも当然だろう。それでも俺は続ける。 「大女優になっちまえよ。ずっと、ずっと応援してやるから」 「……意地悪だね」 「それで俺は、そんな大女優の隣にいたい。君がどんなに遠いところに行っても、俺の近くにいて欲しい。『不幸な女優志望』な君を、俺が絶対に幸せにしてみせます」  人にはそれぞれの事情があって、人生がある。俺だってそうだ。  きっとこの『距離』がなかったら、君は俺の人生から離れていっただろう。 「……ずるいよ」 「仕方ない。今言わないと本当に会えなくなる気がしたんだ」  声を聞いて、彼女が泣いていることがわかる。俺もつられて泣きそうになって、でもそれはなんだか恥ずかしいから、ぐっと堪えた。 「……というか、私はもう『不幸』なんかじゃないからね」 「え?」 「私の夢、なんだと思う?」 「ん? えっと……さっきも言ったけど、女優じゃないならわからないよ」 「私の夢はね——」  *******  遠い距離が、俺の背中を押してくれた。  君が『不幸』なら、俺が幸せにしてみせよう。  遠い距離が、私の夢を叶えてくれた。  もう、『不幸な女優志望』はいない。  ******* 『……あ、そうそう。初めてこの番組に出てくださった方に、この質問するのがお決まりみたいになっているんですけどもね、聞いてもいいですか?』 『なんでしょう?』 『いやね、貴方の下積み時代の夢を聞いているんです。つまり、売れっ子になる前』 『あ、それは僕も気になってました! やっぱり「売れてやるぞ!」って思っていたのかな』 『皆さんそうおっしゃいますけど、実は私の夢ってそれじゃないんです。女優になることは夢というより、目標というか』 『あ、夢って別にあるんだ。目標は十分すぎると言っていいほどに達成してますけど、夢の方はどうです? 叶いました?』 『はい。女優になる前に』 『そうなんですか!? その夢の内容が気になるなあ』 『教えていただいてもよろしいですか?』 『……ちょっと恥ずかしいんですけど、当時付き合っていた彼のお嫁さんになること——』 「ちょっと! 恥ずかしいんだから見るのやめてよ!」  彼女が俺の背中に触れた。 「おわ! びっくりさせんな! 変なボタン押しちまったじゃねえか! これで録画消えてたらどうすんだよ……」  好きな人と遠いところにいる。それってなんだか、とても幸せなことだと俺は思う。
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