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「おいおい、タクミ。何だよこの寒さは」
カシミヤのコートに通した両手を震わせ、色白で長髪の男が車から地面に降り立つ。薄暮に差し掛かった外気は真夏でありながら、まるで冷蔵庫でも開けたかのようだ。
「僕は季節が変わるほど長く眠っていたのか? 王子様のキスは無いのかい。とんだ白雪姫気分だってのに」
本州からフェリー経由で遠征してきた改造マイクロバスの排ガスが白く揺らめく。
「何が『キス』だ。だから言っただろう、カイト君。『目的地は北緯44度以北、夜は寒いぞ』と。聞いてなかったのか?」
短く刈り込んだ清潔感のある髪。細い銀縁のメガネが引き締まった顔の輪郭によく似合う『タクミ』と呼ばれた男がつれなく返事をする。
「このド田舎、デリバリーピザはあるのか? 夕食にボンゴレビアンコのパスタは食えるのか? 生魚とシイタケは食わないからな」
尚も不服そうにするカイトに。
「仕事ですよ、文句言わない! そもそも車の運転はあたしたちに任せっきりで、カイト社長はずっと後部の仮眠室で寝てただけじゃないですか」
小柄でショートヘア、丸いメガネが印象的な若い女性が頬を膨らませる。だがカイトはその抗議にも、ふんと鼻を鳴らす。
「アオイ、君は我が社の住み込み助手なんだろう? それにインドア派の僕をこんな最果ての地まで引張りだしたのは、我が愛しきタクミ教授自身じゃないか。運転ぐらい任せて当然だろう」
「全く、相変わらず口ばっかり達者な男だな」
タクミが大袈裟にため息を吐いてみせる。
「アオイさんも、こんなぐーたらな男の所ではなく私の研究室に来たらどうだね? あなたのような可愛くて聡明な女性なら大歓迎だ。住居なら私のマンションの一室を提供しよう。何なら永久就職でも……」
「いーやーでーすぅ!」
アオイが『べー』と舌を出す。
「あたしはカイト社長の才能に惚れ込んで同棲してるんですから」
「何が同棲だよ。無理やり押し掛けてきて勝手に住み込んでるストーカーじゃないか。それに僕が愛しているのはタクミ、君だけだ。ああ、なのに君はこの女にご執心という。このロリコンめが。全く混沌なチームだよ」
すると。
「あ、あのぉ、儂は連絡差し上げたゲンタちゅう猟師だけんども、おたくらは帝都大学の方で?」
嘆くカイトの横、車の陰からやや困惑の表情を浮かべた髭面の壮年男性が姿を現した。
「え? ええ、初めまして。私が帝都大学で動物行動学の教授を務めるタクミです。そしてこの妖精の如き麗しき女性がカイト・データアナリシス社のアオイ女史。……ああ、それと忘れるところだった」
タクミが無造作にカイトを指差す。
「このふてくされた男が、アオイ女史の上司でAI研究の鬼才、カイト代表です」
自信溢れる笑みを浮かべ、タクミがゲンタに握手の右手を差し出す。
「我々とあなた方猟師のタッグで必ず仕留めましょう。この地を恐怖に陥れている狂暴な羆、山神とやらを」
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