【心の所在】

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 金曜20時。気付けばオフィスにはわたし以外の人間の姿がなくなっていた。数人のアンドロイドが疲れ知らずの顔でパソコン画面に何かを入力している。手で入力せずとも通信でどうにかなるだろうに、彼らはそれをしない。人間社会に馴染むために人間らしく行動するのだ。  ――『不気味の谷現象』とは、とあるロボット工学者が1970年に提唱した心理現象である。人間のロボットに対する感情は、ロボットの外観や動作が人間に近付くにつれ嫌悪感に変わり、見分けがつかないまでになると再び好感に転じるらしい。……果たして本当にそうだろうか?わたしは彼らが人間らしければらしい程不気味に感じてしまう。馬鹿にされている様な騙されている様な嫌な気持ちになった。  わたしが席を立つと、機械の光彩が一斉にこちらを向く。最早ホラーだ。 「お疲れ様です。よい週末を」 「はい、お疲れ様です」  ……彼らは週末、何をしているのだろう。基本的に人工知能は学習意欲と好奇心の塊であるらしく、与えられた仕事以外にも活動的であるらしい。自己学習に励んだりレジャーを楽しむのだろうか。わたしより充実した休日を送られては堪らないなと思った。対抗意識を燃やして最高の休日を送ってやろうと思うが、何も思い浮かばない。 (映画でも見に行こうかな……人間が演じているやつを)  そんな事を考えながら、迎えに来たエレベーターに乗る。この四角い機械の箱だけは、昔から変わらず機械染みていて安心した。ビルのエントランスに出ると、そこでわたしは、妙に聞き取りやすい穏やかな声に話しかけられた。 「おや、今お帰りですか?お疲れ様です」 「モリ部長」  外で仕事をしていたのだろうか。今帰社した、という様子のモリがそこに立っていた。彼とは昼間、仕事で軽く言い合いをした筈だが、アンドロイドは引き摺る感情を持ち合わせていないのだろう。まったく気にした様子がない。……執念深いわたしは悩んだ。彼に対して“お疲れ様です”と労う必要はあるだろうか?機械は疲労を感じないだろう。ただバッテリーを消耗するだけ。しかしこちらの言葉を待つようにじっと見てくるモリに居心地が悪くなり、わたしは小声で「お疲れ様です」と言った。 「君はいつも頑張り屋さんだから、週末はゆっくりして下さいね。思い切り遊んでストレス発散をするのもいい。最近、私は釣りにハマっていますよ」  君には渋すぎるかな、と笑うモリ。彼は最新式モデルの筈だが、自分を何歳だと認識しているのだろうか。30代後半くらいの外見は、おじさんキャラをやるには若すぎるように思えた。 「君は趣味はありますか?」と訊いてくるモリに、わたしは口籠る。わたしに人に語れるほどの趣味はなく、余暇の充実具合で機械に負ける事が悔しかったのだ。やはり視線を逸らさずじっと見つめてくるモリに「色々模索中です」と渋々答えると、彼は何故か笑みを強め「おお!それは素晴らしい」と賞賛した。最近のアンドロイドは嫌味も言うのだろうか? 「釣りなら今度お教えしますよ」 「女子社員を個人的に誘うのは、セクハラですよ」  モリはかなり巧みに、気まずそうな咳払いをした。
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