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その時、静まり返っていた、真っ暗な客席にひとつ、またひとつと明かりが灯り始めた。
明かりは瞬く間に客席全体に広がっていった。
それは、客席にいるファンたちが、次々にスマホを開いた明かりだった。
SNSで今の内容を発信する人、週刊誌の写真を添付して、この人を探して欲しいと発信する人、空港で働いている知り合いにメッセージを送る人、空港から旅立とうとしている友人や家族に電話をかける人…。
すると、私の周りが先ほどよりもさらにざわざわしはじめた。電話をしながらこちらを見ている人、テレビやスマホを見ながらこちらを指差す人、いつの間にか私の周りには人垣ができていた。
そして、その人垣を押し除けて、岩崎がやって来た。
「岩崎くん、私…」
岩崎は頷いた。
「わかってる。さあ、彼のところへ行こう」
岩崎が私の手を引いた。
「でも、だめよ。もう決めたことなんだから。私は岩崎くんと行くって、そう決めたんだから」
私は岩崎の手を振り払った。
「そんな辛そうな顔してる君を、僕が連れて行けると思うかい?僕はそんなに無神経な男じゃないよ」
岩崎は私の腕をしっかりと掴み、エスカレーターへと向かった。
「でも、岩崎くんは…」
彼は私の手を引いたまま、どんどんエスカレーターを降りて行った。
たくさんの人たちが私達を見ていた。
「気にしないで。残念ながら、僕はまた遅れをとってしまっただけなんだから」
私と岩崎は、周りの人たちに誘導されて、迷うことなくタクシー乗り場に到着した。
タクシー運転手はドアを開けて待っていた。
「幕張ドームまでですよね」
運転手はそう言うと、ドアを閉めた。
私は窓を開けた。
「岩崎くん、ごめんなさい。それから、ありがとう」
私はそれだけしか言葉が出なかった。
「うん。幸せになってね。荷物はあとで送るから」
彼は優しく微笑むと、タクシーから離れた。
運転手は車を走らせた。
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