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春は出会いの季節
「ただいま」
私は誰もいない部屋に向かって言いながら、ハイヒールを脱いで、キャリーケースを置き、上着を脱ぎながら移動して、リビングに入った。
そして、メガネを外してテーブルに置き、乱れないようにしっかりとまとめていた髪を解き、シャワーへ向かった。
シャワーを済ませると、クローゼットを開けた。最近は彼好みのひらひらのレースが付いたネグリジェを着ることが多かったが、今日は、彼と付き合う前によく着ていたグレーのスウェットを引っ張り出して、着た。
喉が渇いたので、キッチンへ行って冷蔵庫を開けると、赤ワインのボトルが2本、目に入った。赤ワインが好きな彼のための買い置きだ。
私は一旦それを無視して、缶ビールを手に取った。
そして、ビールを飲みながら部屋中を見渡した。
食器棚には彼用の茶碗や箸、ワイングラス、リビングには彼の好きなアメコミのキャラクターのクッションやフィギュア。寝室のクローゼットを開ければ、彼のパジャマや下着が入っているのもわかっている。
この2年半で、私は彼に合わせる生活にどっぷりとはまっていた。
ばかばかしい…。
私は自分の愚かさに呆れていた。
「サボテンのようになりなさい。毎日水をくれる誰かに頼らなくても強く生きられるサボテンのように、花が咲いたからと手を伸ばしてきた男をトゲで刺すサボテンのように、強い女になりなさい」
死んだ母が口癖のように言っていた言葉を思い出した。
母が死んで1人になった途端に、平気で二股をかけるような男に依存するような女になってしまった私のことを、母はあの世でさぞかし嘆いていることだろう。
私は母に申し訳ない気持ちになり、バルコニーのサボテンに水をやろうと水差しを手に取った。
冬の間は水をほとんどやらなくていいので、水差しは埃をかぶっていた。
私は水差しに水を満たして、片手に缶ビールを持ったままバルコニーに出た。
7階建ての最上階にあるこの部屋は、バルコニーが広く、そこには丸テーブルと椅子が2脚、置いてあった。
そのテーブルに缶ビールを置き、左側に置いてある小さなビニールハウスを見た。
それは金属の2段の棚にビニールのカバーがかけてあるだけのもので、ビニールハウスと呼ぶほどのものではなかった。そして、その棚には丸いサボテンが植えてある鉢が6つ、並べてあった。
種類は全部同じで、6月ごろになるとピンクの花が咲く。母はこのピンクの花がお気に入りだった。
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