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「間もなく着きますよ」
30分ほど走った頃、運転手がそう言った。
ここまで来てしまったが、本当にこれでよかったのだろうか。ここに来て、私はどうすればいいのだろうか。
不安な気持ちのまま、私はタクシーを降りた。
「運賃はサービスだよ。客待ちしてる時にあのテレビ見て、おじさん、感動しちゃったよ。幸せになりなよ」
タクシー運転手はそう言い残すと、去って行った。
大きな幕張ドームが目の前にあった。私はどうしていいか分からずに立ち尽くしていた。
「上野さん」
虹組のマネージャーの高田が、こちらへと走って来ていた。
彼女は私と令を別れさせたいのだから、私はここから追い返されてしまうに違いない。
ところが、彼女は私に向かって大きく手招きをした。
「上野さん、こっちへ」
私がどうしていいかわからずに、そのまま立ち止まっていると、彼女はすごいスピードで近づいて来て、私の腕を掴んだ。
「関係者入り口はこちらです」
彼女はそう言って、私を引っ張って走り出した。
「あの、あなたは私がここに来られては困るのでは…」
私は走りながら、そう聞いた。
「そうですよ。そうに決まってるじゃないですか。でも、仕方ないじゃないですか」
彼女は振り返った。
「あの子達は10年前から私が面倒見てるんです。自分の子供みたいに可愛くて、大事な子達なんです。だから、みんなであんな風に必死に頼まれたら、だめとは言えないでしょ」
彼女は困ったような顔で笑った。
私は関係者入り口から中に入った。
そして、彼女に腕を引かれて、舞台の裏側に入った。
「さあ、ここから出て」
彼女が指差した先には、5万人の人々がこちらを見ていた。
「私、とても出られません」
私は足がすくんだ。
「大丈夫。あなたには彼らがついてるから。そして、彼らのファンもあなたの味方だから」
そういうと、彼女は私の背中を強く押した。
私は5万人の前に押し出された。
「菜々さん!」
まず、令が泣きながら走ってくるのが目に入った。
そのあと、倫と藍と優も駆け寄って来た。
令が私の手を取って、ステージの真ん中に立った。
「みんな、ありがとう。みんなが僕のために奇跡を起こしてくれた。僕たちのファンは最強だ!」
5万人のファンが大歓声を上げた。
「俺たちのファンは最強で最高だ!」
倫が拳を突き上げた。
「これからも、みんなで奇跡を起こしていこう」
優が客席に手を振った。
「菜々さん、来てくれてありがとう。あのときは、ごめんなさい」
藍は小さな声で、私にだけ聞こえるように言った。
そして、得意のバック転からのバック宙の連続技を決めると、
「みんな、大好きー」
と大きな声で叫んだ。
5万人の黄色い悲鳴が轟いた。
私はアイドルの力に圧倒されていた。
広いドームにいる5万人もの人々が、ここにいるたった4人に向けて声援を送っている。
その聞いたこともないような大きな歓声に包まれて、私はただ、茫然としていた。
それからは、もう何も覚えていない。
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