数千年ぶりに目醒めた古代神の戯れ、そして彼の特別な地精のちょっとした受難と僥倖

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次の仕事は、海底洞窟らしい。 とりあえず、水棲の職員はいねえのかよとゴネてみたが、海底洞窟といっても半分は海、半分は陸地というやっかいな地形になっているそうで、海が得意というだけではむかわせられないのだという。 とはいえ大地の精に海へ行けとはどういうことだと思ったが、他にそんな地形が得意という職員などもちろん在籍していないので、そうなればはからずとも全地形対応であるナズがもっとも適任だと考えざるをえなかった。 ナズの扱いは全体的にかなり大雑把に思えたが、とはいえナズを紛争地のような場所へ送り込むようなまねをしないのは、むしろ魔法委員会の良心とも言える。 彼らとて、それで最悪の場合にはその土地の生物たちを皆殺しにするような事態になることを理解していた。 だからナズは主に、単純にたどりつくことや活動することが困難なだけの人けのない土地に雑に送り込まれている。 入念な準備やバックアップ態勢がいらないだけで充分に便利であり、重宝されていた。 最寄りは、南方の海辺の街だった。 漁業と観光業でなかなか栄えているにぎやかな街だが、今のナズにはほとんど関係がない。 目的は街ではなく、もうすこし南に下った沖にあった。 朝はやく、観光客向けのレンタル船で、漁港からいくらか行ったところにあるちいさな無人島まで送ってもらう。 島にはただ草原が広がるのみで、他にはなにもなかった。 その南側のはし、断崖の先に立ち、下を見おろした。 波が強くうち寄せていた。壁に当たるとはじけて、水しぶきが飛ぶ。 くだんの洞窟の入り口は、そのさらに下にあるらしい。 大きく嘆息した。どう考えても面倒だ。 とはいえ覚悟を決め、支度を始める。 服を水着に着替えると、最低限の荷物をちいさな防水のバックにつめたものを腰につけた。 女々しく変化させられた身体には多少コンプレックスはあったが、ここには誰もいないのでそれも特に気にならない。 本来はこの島からももうすこし沖に船で出て、ダイビングで海を通って入り口を目指すようだが、ナズはいきおいをつけてそのまま飛び降りた。 キャノンボール。おおきな水しぶきがあがる。 着水の圧力は古代の神によって緩和されたため、ダメージはない。 大地の精であるナズは、もともとほとんど浮かばない。 そのまま四〇米突(メートル)ほど沈むと、海底についた。 息はできない。だが、息ができる。セリェキのおかげだ。 そのままほとんど歩くように泳いで、洞窟の入り口へむかう。 と、歩くたびに海底の堆積物が舞い上がり、視界を不明瞭にしていった。 すこし浮かせてくれるようにセリェキに頼み、底につかないように進んでいく。 飛び降りた崖の下にたどりつくと、くずれた岩の間にちいさな穴があった。 簡単な柵がたてられて封じられている。 それが入り口だ。 あずかっていた鍵で柵をあけ、転がっているいくつかの岩をどけてなかへと分け入る。 (真っ暗だな──) 大地の精であるナズは、たとえ暗闇であろうともどこかに大地を感じるかぎり恐怖にすくむというようなことはない。それは海の底であってもそう変わりはなかった。 とはいえ夜目は利かないので、不便ではあった。魔法でちいさな明かりをつける。 先人の渡していた道順のロープをたどり、ゆっくりと奥へと進む。 足をついてしまわないように、より神経をつかう。洞窟の暗闇の中ではさらに、堆積物を舞い上げ視界を奪われてしまった場合のままならなさが大きい。 一〇米突(メートル)ほど行ったところで、空気のたまっているところに出た。 水面から顔を出す。 自分できちんと息ができるとすこし安堵した。 水位はだんだん下がっていき、ひらけたところに出る。 立って歩けるようになったところで、もっと大きな明かりをつけた。 そこは、石灰岩でできた洞窟だった。 いたるところに鍾乳石が見える。 防水のバッグから、記録用の機器を取り出して準備をした。 それはこぶし大くらいのサイズで、真ん中には紫の大きな魔法石がはめられていた。 全部で五つ。起動スイッチを入れると、ふわふわと浮いてナズのそばをまわりながらつき従ってくる。 さらに奥へと続く道を、魔法のあかりを置きながら進んで行く。 ここは、海の水位が上がってこのあたりが海に沈むよりずっと前の時代、このあたりに住んでいた人類の遺跡らしい。 奥へと進むと、壁にさまざまなものが描かれている様子が見られた。 さまざまな動物の絵。簡易なかたちのひとの絵。刻まれた数十種類の文様。手形には、指の本数の違ういくつかのパターンがある。 描かれた動物は全般的に、どういった動物なのかナズにはあまりピンとこない。現在とは違う生態系の時代の動物だからだろうか。 入り口付近と奥の方ではすこしずつ様式が違っていて、描かれた時代が違うということが知れた。 この洞窟は、長い年月を経た壁画や文様のために洞窟そのものがすこしちからを持っているものの、素朴で、大したちからではなかったため、保護の動きも鈍い。 歴史的な価値があるとしても、それを海水から守るために大金や人手を投ずるほどとは信じられていなかった。 ほとんど放置されているに等しい。 多くの壁画や文様は洞窟の海水面からもギリギリに位置しており、このまま水位が上がり続ければいずれ消えてしまうだろう。 とはいえまだ壁画が残っているうちに研究をしておきたいという声もあり、ナズは今回そのための様子見に送られたのだ。 しかし、やはり他の研究者がここまで来ることはそれなりに困難だろう。研究以外の、まずここへたどりつくまでの各問題の協力者を何人も雇わなくてはならない。せちがらい話だが、とにかくまず予算が乏しいことにはどうにもならない。こんなことに金を出してくれる酔狂で羽振りのいいパトロンでも見つけられたらよいのだが。 「地上からどのくらいだろうな」 ナズは決して高くはない天井を見あげた。 大地の精とはいえ、目をすがめたところでその先の空を見ることはできない。 「上に穴をあけた方が楽に行き来できそうだが、やっぱ怒られるかな?」 《水浸しになるからな》 「え?」 |《洞窟内部の空気圧のおかげでここまで水が入らないでいるんだ。ひとが通るような大きな穴をあけたならそこから空気が抜け、外と同じように水没することだろう》 「ああ、なるほど。じゃあ、今あるこの空気はどこから来たものなんだ? 沈む前の空気が残っているだけ、ってわけじゃないよな?」 《岩壁の隙間から入ってきている》 「すきま?」 《洞窟の壁はひとつづきに見えてもこまかい隙間がある。波がうちつけるときにそこに空気が押し込まれる》 「そんな方法なんだ。地道だな。じゃあ、消費量の方が上まわったらおれは息ができなくなるのか?」 《そんな長居はすまい》 「そうか」 「ん?」 ふと、なにかの気配を感じた気がした。 あたりを見まわしてみるが、やはりなにもいない。 気のせいだろうか、と思ったとき、 《原始的な精霊がいくらかいるようだな》 と、セリェキが言った。 「原始的な精霊?」 |《まだ精霊にはなってはいない、幼生のようなものだ。不安定だからおまえには見えないし、おそらくそのままかたちにならずに消えてしまうということを繰り返している》 「へえ。それは、ここの洞窟のハンパなちからのせいということか?」 《そうなるな》 「いつかかたちある精霊になる日は来るのかな」 《ここが海に沈むほうが先だろう》 「そうか」 不安定な精霊が行き交う気配を感じながら、洞窟内を歩いた。 最深部までたどりついても、特別になにかがあるわけではなかった。 わき道をいくつか見てまわっても同じことだ。 それぞれのこまかな話はナズにはさっぱりわからないため、調べようがない。 記録用の機器をまわしているからそれでいくらか足しにはなるかもしれないし、それでは不充分かもしれない。 「完全に沈んでしまうまでこのままってことかな」 |《大したちからはないが──いつか誰かが、ひょっとしたら海の連中が、なにか不穏な使い道を思いつくかもしれない》 「悪用限定なのかよ」 《善良な使い道には、おそらくあまりにか弱い》 ひととおり見てまわり特に変わりないことを確認したところで、洞窟をあとにし、再び鍵をかけた。 海へ戻れば、あとはセリェキのちからで浮かんでいくだけだ。 外はすでに夕方だった。 日没が近いとはいえ、日の光を感じるとどこか一息つける気がした。 何度経験しても、ナズにとって浮力というものはやはりどこか不思議な感じがする。 海面まで浮ぶと、ちょうど日が沈んでゆくところだった。 そのようすをぼんやりと眺める。 最後に太陽の上辺が緑色に見えた。 緑閃光(グリーンフラッシュ)だ。たしかに洋上の方が見やすいという話だが、思いがけずめずらしい景色と出会い、感嘆する。 日が沈んでもすぐにあたりが暗くなるわけではなかった。 地平線が赤さを失うと、逢魔時がやってくる。 美しい藍色の空。 だいぶ沖へ出ているので、ひとの住む陸地の方はよく見えない。 水に浮かんでいる状態は、洞窟のなかよりも心もとないように思われた。 まるで、(そら)に放り出されたかのような── さて、島に戻ろうと思ったところで、異変を感じる。 ぼんやりとしていて、うち寄せる波がとろみを増していることに気づくのにはだいぶ遅れた。 それはゾルのようにナズの身を撫でる。 「おまえ、ここは、無理だろ…っ」 身をよじってかわそうにも水に浮かぶ不安定な体勢ではままならなかった。 溺れるのではないかという恐怖がおそう。 最近は感じたことがなかった、死に近い恐怖だ。 ゾルに翻弄され高ぶる性感とないまぜになる。 その往来に応えるようにこまかくふるえる身体。 響く波音。 よるべのない不安と裏腹に、全身を彼に囚われているという感覚。 彼に生殺与奪権をすべてあけわたした状態だ。 スライムにこねまわされるように慰撫される。 ゾル状の彼は、身体中の穴という穴から中に侵入してきた。 窒息しそうな危機感。 けれどそうはならないのだ。死さえもままならぬ。 全身が敏感になる。 ただ波がうち寄せるだけでも肌がざわつき、身悶え、喘ぐ。 口から入ったものに口腔をかきまわされる。すがるように吸った。 性器をからめとられ、何度も射精させられる。 後孔から入ったゾルが、最奥の境界弁をほどくよう念入りにうごめく。 そうなったらおしまいで、最奥まで狂暴に犯してもらわなくてはおさまらなくなる。 彼の思うままに、翻弄される。 「この、アホ──……!」 罵倒にも彼は楽しそうに笑ったのがわかった。 たったそれだけのことで、全身が痙攣するように揺れた。 身が保たねえ── 彼ほどの存在の庇護に対しては破格の対価に思われたが、やはり自分はそのうちこれが原因で死ぬのかもしれないと思った。 意識をとり戻したときには、すっかり夜だった。 満月に近いため、月は明るい。 くもりのない夜空。満天の星。 あたたかい海なので、夜でも寒いということはない。 ふと気がつくと、こまかな中黄色に光るものが流れてきていた。 「ん……?」 よく見ると、ふさふさしている。それは次々とやってきた。 すぐに周囲をかこまれてしまったが、それらはナズには頓着せずに通り過ぎていく。害はないようだが── 「なんだこれ?」 《昆虫だな》 思わず出た言葉には、意外にも返答があった。 「昆虫? 海に?」 《めずらしいが、いくらかは存在する》 「へえ。なんで光ってるんだ? 迷子にならないように?」 《求愛ディスプレイだ。繁殖期なのだろう》 「ああ。なるほど」 彼らは潮流にのって流れていく。 その光景はまるで地上の天の川のようだ。 「むこうになにがあるのかな」 《そうだな──私の王国がある》 「はい?」 《むこうの大陸には、今も私を神として祀る集落があるのだ》 「よもや現役の祭神だったのかおまえ」 《そのようだ》 「当人(?)は、ここでおれとフラフラしてるっていうのに」 《分祀、というのを知っているだろう?》 「つまりむこうにもがいるのか?」 《行くか? おそらく、私の眷属としてチヤホヤしてもらえるぞ》 「いや、そういうのはなんか、支払うツケのほうが大きそうで嫌だな……」 《そうか》 「暇があれば、様子見に行ってもいいけど」 《彼らについて行けばたどり着く》 と、セリェキは潮の流れをなぞる光を示した。 冗談じゃない。 「おれはこのまま流れて行くのは嫌だぞ。船とかで行きたい」 《死にはしない》 「それでも。もうとりあえず陸に戻りたいんだよ」 海からあがったナズは、比較的マシな部分の崖を登って無人島に戻った。 多少の起伏がある以外はなにもない島だが、ナズひとりには充分すぎる広さはある。 草原を横切るように歩くと、いくらかのちいさな虫はいるようだった。どうせなら虫もいないほうが快適だったのになと思う。 夜空は輝いていた。 置いていったほうの荷物を回収し、カンテラを灯し、食事とする。 携帯食だが、おなかがいっぱいになるとそれだけでどこか精神も満たされた。 今夜はここで野宿となる。 明日、むかえの船が来るまではひとりきりだ。 ちいさなテントをはって、荷物を放り込んでおく。 草地に寝転がると、おそらく地下の遺跡がために、霊穴のようなちからをすこしだけ感じた。 ゆるやかな倦怠感もあいまって、どこかのんびりしたきもちになる。 のっそりと、他者の気配があらわれる。 となりに大きなオオカミに似た獣が寄り添った。 「どういう風の吹きまわしだ?」 《どうもこうもない》 古代の神はいつものように無感動に言った。 ナズはその身体を抱えて頭をのせる。 「あ、そ」
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