数千年ぶりに目醒めた古代神の戯れ、そして彼の特別な地精のちょっとした受難と僥倖

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スプリガンは、妖精族のなかでももともと頑強な種族だった。 こびとらしく成人しても小柄ではあるが、丈夫な肉体を持ち、腕力、体力、魔力ともにあるていど強く、勇敢だ。 ゆえになにかを守ることに長けていた。 そのスプリガンの青年、ナズ・レモルドーファル=ヤザキは、遺構、遺物、いわゆる遺跡の保護管理をなりわいとしていた。 とはいえ遺跡そのものの保護をしているわけではない。 遺跡そのものの保護が必要であれば、専門家が必要だ。考古学者だとか歴史学者だとか建築史家だとか科学者だとか魔法学者だとかいうような。 ナズの所属する団体は魔法委員会の下部組織で、管轄する遺跡はもうすこし直近のリスクの高いものだった。 遺跡には、ただ歴史的な痕跡というだけでなく、それを形づくった者どもが絶えたあとにも様々な“大いなるちから”が残り、ときに思いもよらぬ事態を引き起こすものがある。 それは、現在のひとびとの役に立つ場合もあるし、害をなす場合もある。 場合によっては一地方を、下手すればこの世界そのものを破滅に導く危険性のあるものすらある。 その周囲に生きるものに対してていどのせまい範囲であれば、軽く悪影響を及ぼす場合はしばしばあった。 たまたまなにも起きない場合もあるが、偶然に頼って放置しておくには危うすぎるものもある。 逆に、世界が一丸となり保護すべき全生類の財産と言うべきものもある。 ナズの仕事は、魔法委員会の指示のもと、そのよるべない大いなるものを適切に管理することだった。 魔法遺跡管理組織にはスプリガン以外にもいろいろな種族の職員が所属していたが、今やナズはそのなかでも特別なひとりと言えた。 みずから望んだことではない。 かつて、とある大きな遺跡での仕事のおり、そこに眠っていた古代の神をうっかり呼び起こし、とり憑かれた。 その神はなぜかナズをおおいに気に入ったようで、簡単に手放す気はないらしい。 以来、彼が守護霊獣としてそばにいて、ナズはスプリガンの分をはるかに超えた頑強さを手に入れていた。 ちょっとした代償とひきかえに、不老ほぼ不死といえるほどになっている。完全な不死ではなくおそらくどこかでは死ぬポイントがあるのだろうが、それは想像もできないほど果てしなく遠い。 そのため近頃は、他の者が行くには困難の多い地域を優先的に任されていた。 今回の仕事の場所は、高地。 高い山の上にかつて発見された朽ちはてた小さな集落が、目的地だった。 だからといって過酷な土地に行きたいわけではないないので、ナズにとて不満は常にあった。 山登りは嫌だ──と、思った。 実に素朴な感想だ。一部の好事家以外に率先して高山に昇りたいものは少ない。 しかし愚痴っても仕方がないので、しぶしぶ担当の場所へとむかうこととする。 登山する予定の山のふもとの街で準備をすませ、たっぷりと食事をした。 ふもとといってもそこから山の入り口まではすこし距離がある。 途中まではかろうじて道が通っているが、主に荷運びや旅人のためのもので行き交うものはそう多くはない。 道程にちらほらとすれ違う者はみなそこそこの重装備で、冒険者だろう。 対してナズは軽装と言えた。 靴こそそれなりにしっかりとした作りだったものの、フード付きの外套をかぶっただけで山に登るような服装でもないし、武器といえば小型の剣を帯びているのみだ。 大した武器を持たないのは、生来の頑強さにくわえ魔法を使うからということもあるが、今となっては必要がないからでもある。 途中で街道をはなれ、いくばくか森のなかにわけ入ったところで日が暮れてきた。 夜目が特別利くわけではないので、日が落ちたら本日の行程は終わりだ。 野宿になる。 わずかにひらけた場所に荷物をおろし、火をおこした。 火といっても、たき火をするわけではない。それは山火事を出すおそれがあるため危険だった。 魔法のカンテラを置く。明かりもとれるし、暖もとれるすぐれものだ。 ふもとの街で手に入れたサンドイッチを上にのせてあたためて、夜食とする。 保存食ではない食事はこれでしばらくおわかれとなる。 あたためられたチーズがとけでて、気持ちを満たした。 食事を終え、あたたかい飲み物で一息つくと、 「ん──」 見えない“手”が身体を這う感触に、ゆらいだ。 「セリェキ」 ナズは咎めるようにその名を呼ぶ。 そのすがたは依然として見えない。 古代の神。彼は守護を与えるかわりに、契約者の精を求めた。 そしてその要求はあまり時と場所を選ばなかった。 今はナズの守護霊獣にあまんじていても、彼はスプリガンよりもはるかにちからのある神なのだ。その意を曲げさせることは容易ではない。 ナズは、もはやそれに抗えなかった。 かたちばかり咎めてみても、憑かれたその日から何度も何度も思い知らされてきた身体は、彼の与える快楽の前に無力だった。 《次は私の“食事”の番だろう》 と、彼が耳元でささやく。 その声は、ひとでいうと成人男性のような、おだやかな低音だった。 すがたは見えないし、ナズ以外には声も聞こえていないだろう。 けれど彼はいつでもナズの傍にいた。 しかしこんなときにもめったにそのすがたを見せることはなかった。 「おれ、明日から山登りなんだけど」 《たとえなにがあろうとも、私が決しておまえを傷つけさせはしまいよ》 「それは、わかってるけど……」 そんなやりとりのあいだも、見えない“手”が我が物顔でナズの身体を這いまわった。 手とはいっても、ひとの手でもない、獣の足でもない、軟体動物の触腕でもなく、植物の触手でもない。 今日は不定形か、と思う。 めったにないとはいえ、ナズも彼のすがたを一度もおがんだことがないというわけではない。 それは場合により違っていて、しかし大枠では金青(こんじょう)の毛なみを持つ獣のすがたをしていた。 四つ足の場合もあるし、獣人型の場合もあるし、そのあいだの場合もある。 しかしすがたが見えないときにはそのどちらでもないとしか思えない動きをすることがままあった。 おそらく彼は、そもそもが不定形なのだろう。 すがたを見せるときは、ナズにもわかりやすいかたちにしてくれているのだ。 どうせなら顔を見せて欲しい、と思うことは多い。 最初に出会ったときに見せたすがたは四つ足と獣人のあいだくらいで、その顔に一目惚れして以来ナズは彼にまともに抗えたことがない。 こんな風になるまでにされたのも、そもそもがそれが原因だ。 薄紅色のやわらかい髪、琥珀色の瞳、褐色肌。もとより多くの亜人種から見たならば少年のような幼さの色をもつこびとの身体は、今では、思春期の少女のようでもあった。男を受け入れるための変化だ。 けれど彼は滅多にすがたを見せない。 ナズはただ、見えないに翻弄される。 それは身体中をからめとるように這い、弱いところを執拗に責め、ナズの意識を溶かしてゆく。 衣服を乱され、胸元をあらわにされる。 青年のそれとはほど遠い、二次性徴をむかえたヒトの少年少女のようなふくらみ。 それを乱暴にひねられ、高い声であえぐ。 痛みではなく、快感だった。 寒いと感じることもない。 高められた性感と、それから彼の守護ゆえに。火照る身体にはむしろちょうどいいかもしれない。 屋外でもてあそばれることは少なくなく、だいぶ慣れてきてしまったように思う。 ひととしてどうなんだ、と思わなくもないが、考えても無駄だった。どちらにしろそれで彼が手心を加えることはないのだから。 そもそも個人の羞恥心などはそう大きな問題ではない。より問題なのは、他者の存在だ。 しげみを踏み荒らす音がして、数人の男たちが顔を出した。 「お楽しみじゃねえか」 その下卑た笑いはナズにはほとんど聞こえてはいかなった。 このあたりを根城とする盗賊だろう。 冒険者の女が自慰行為でも始めたと思ったのか。 「俺たちもまぜてくれよ」 かろうじて認識できたその言葉に、ナズは内心大きなため息をつく。 ──後始末が面倒だ。 彼の守護霊獣は、おのれのものを他の男とわかちあう気はさらさらない。 野盗の男が一歩踏み出すと、その頭と胴がおさらばした。 あまりの出来事に、一拍おいてから、仲間の野盗たちに混乱が生じる。 口々にナズを罵倒するが、もちろんナズのしわざではない。スプリガンの分をはるかにこえた所業であることは、本来考えなくてもわかりそうなものだ。 残りもすぐに静かになった。 しかし仲間が戻らないとなれば、他のやつらもやって来るかもしれない。 たくさんの野盗の死体の片づけは面倒だ。 そうしてわずかながらもナズの気がそれたのが気に食わなかったのだろう。彼はなだめるような声で、《集中しろ》とささやいた。 とりあえず面倒については明日考えよう。 ナズは見えない手の与える快楽に没頭した。 夜明けをむかえ、森の中にも日の光が差し始める。 あたりがすこしずつ明るくなってきたころ、予定どおりきちんと目をさましたナズはテントを出て、案の定増えていた死体を見て再び──今度は実際に──大きくため息をついた。 盗賊の死体なので、当局に通報しておかなくてはならない。 暑い地方ではなく標高もそこそこ高いので傷むのが遅いのがせめてもだろうか。 とはいえこういういかにも犯罪者は実は面倒が軽いほうと言えた。 無辜の市民がその気になってしまったときのほうが、セリェキをなだめるのに苦労するのだ。 一般人を簡単に殺させてしまうわけにはいかない。 だから外ではやめて欲しいのだが、そのへんの感覚はなかなか通じなかった。 どちらにしろ彼の“独占欲”は強い。 かつては知るよしもなかったことをいくらも覚えさせられたみだらな身体だが、たとえば他者を相手になぐさめるなどというわけには決していかない。 ナズ本人が他人とすることを望んではいない現状においてはそのこと自体はどちらでもいいのだが、他人を害するようなことがあればそこそこ困ったことにはなるのだ。 とはいえ、面倒も多いが、それでも彼のようなちからあるものがその庇護の見返りに求めるものとしては破格と言えた。 盗賊の死体は当局にまかせ、出発する。 いよいよ登山だ。 一週間ほどは代わり映えのしない道行きが続いた。 斜面の道なき道を、森をかきわけるように進む。 大地の精とはいえ、楽ではない。 暑さ寒さとは無縁でいられるだけ幸運か。 標高が高くなるにつれ、頭痛がしだす。だがそれもしばらくすれば感じなくなった。 守護霊獣は、おのれの契約者にすこしの損傷も許さない。 周囲に生えている植物の種類が変わり、動物の気配が少なくなっていく。 あきらかに空が近くなり、山肌に段々畑の跡とおぼしき一帯があらわれた。 森林限界を越えると、背の高い植物がなくなり、見晴らしがよくなる。 上を見あげる。 頂上が近い。 石造りの壁のようなものが並ぶのが見えた。 目的の場所はすぐそこだ。 一歩一歩大地を踏みしめ、残りの距離をつめる。 山頂に到達すると、そこにはちいさな村だったものがあった。 ナズは、倒壊した門をくぐった。 石造りのちいさな家の廃墟がならんでいる。壁が崩れているものや、屋根が落ちているものも多い。 ひとの気配はなく、雑草が生え放題になっていた。 まずは内部をざっと探索してみる。 そこに住んでいたひとたちがどうなったのかはわからないが、今は完全に無人のようだ。 死体が転がっている、というようなことすらない。ひょっとしたら中にはほかと区別がつかないほど風化した骨などもあるのかもしれないが、ナズには判別不可能だった。 ちいさな村だ。すぐにいちばん奥までたどりつく。 そこには、他よりすこし立派な建物があった。 神殿だ。 最低限の礼をつくし、中へ入る。 やはりこぢんまりとした礼拝堂の奥、祭壇とおぼしき場所にはこぶし大ほどの石が鎮座していた。 どっしりとした岩石の上半分ほどが半透明の赤とオレンジの鉱石になったものだ。 朽ちた屋根から漏れる光に煌めいていた。 神は、まだそこにいた── もうほとんど消えかけていたが、まだぎりぎりそこに残っていた。 「騒がしくてすみません」 ナズの挨拶に応えるだけのちからも残っていないようだ。 「こちらとしてもを置いてくることはできないので、ご容赦ください」 より圧力となるのは、ナズよりもセリェキのほうだった。とはいえふたりは不可分で、セリェキだけ外で待たせるというわけにもいかないことを詫びる。 “彼”にはもうなにかをするちからはなく、あとすこしで消えてしまうことだろう。 つまりこの遺跡はすぐに管理する必要がなくなるのだ。 集落を研究したいといった話はあるかもしれないが、それはの領分ではなかった。 ナズは、礼拝堂の椅子だった場所に腰をおろした。 すぐに、ここにはスプリガンの守るべき“財宝”はなくなる。 最後のひとつ。 その最期のときを見届けるため、待つ。 さすがになにもせずに待つのは退屈だなと思い始めたころ、見えない触腕がナズを後ろからからめとる。 「今はよせ、セリェキ」 《祭事だよ、ナズ。力ないおまえにもできるたったひとつの葬祭だ》 「詭弁だろ」 《そう思うか?》 どちらにしろナズはその要請にあらがうことはできなかった。 六日間ほど滞在して、ナズはこの地の神が役目を終えるのを見届けた。 あとは帰って報告するだけだ。 今はもうただの石になった御神体を撫でる。 「おつかれさま」 せめてもの慰めになれたろうか。 荷物をまとめ、神殿を出た。 時刻は昼、外に出たとたんに身を刺すような光が降りそそぐ。 太陽は平地よりもずっと近いように思われた。 ナズは、できるだけひらけたあたりへ移動すると、バックパックからグライダーを出した。 帰りは滑空して降りる。 組み立てたグライダーを背負うと、助走をつけ、飛び出した。 風に乗りしばらく飛ぶと、となりの尾根が見えた。 大きな火山湖がある。全体が嘘のような青緑色をしていた。 「あそこに寄っても大丈夫か?」 問いに対するセリェキの肯定に、ナズは身体をかたむけ進行方向を変えた。 すぐに、火山湖からすこし離れた岩場に降り立つ。 「いた」 視線の先には、背の高い水鳥の群れがあった。 彼らはこの時期、天敵のすくないこのあたりで子育てをしていた。 ヒナは白いが、親は火山湖と同じあざやかな青緑色をしている。 わずかに湖に生息する微生物やバクテリアなどを食べていて、その色が羽にたまっているのだ。 それはもちろん毒であった。 その羽根は、観賞用や魔術の素材として重宝されていた。 つまり、高く売れる。 しかし彼らは警戒心が強く、近づくことは難しい。 なにより乱獲による絶滅から守るため、捕獲は禁止されていた。 しかしここは繁殖地。 すこし歩けばいくらかの羽根を拾うことはできた。 毒素により普通ならこんな軽装備で拾うことはないが、セリェキに守られたナズには簡単だった。 不用意に群れに近づかないように気をつけながら、羽根や羽毛を拾い集めていく。 むこうもナズを気にしていないようだった。 ときどき立ち止まり、じっと眺めてみる。 きれいな鳥だが、こんなに近くで観察することできるものはすくない。 天敵がすくないとはいえ皆無ではなく、ときどきおとずれる別の鳥類の成鳥が、親がエサをとりにいき不在のヒナたちを襲っている様子もうかがえた。難を逃れるものもいれば、つれていかれるものもいる。 落ちている羽をあらかた拾い終えると、ナズは高台にのぼりそこから湖を眺めた。 非現実的な景色だ。 「こんな景色を見られるのは、おまえがいてありがたい部分だな」 やっと、街に戻ってきた。 戻ったといっても出発した街とは別の降り口の街だ。 こちらの方がすこし大きな街だった。 宿をとり、垢を落とし、食事をする。 いろいろな意味で消耗していたので、とにかくたくさん食べた。 久々のあたたかい食事だ。 それから久々のベッド。 高級宿というわけではないが、ベッドがあるだけでもだいぶありがたい。 食事から戻ると、すぐに横になった。 きもちいい── 目を閉じて堪能していると、その上から重みがかかった。 「寝かせてくれよセリェキ」 ナズはしぶしぶ目を開ける。 と、金青の獣の顔が視界いっぱいにあった。 《寝たいか?》 「ずる……」 獣は目をすがめ、口をあけ、舌をのばし、ナズのくちびるを舐めた。 考える前に口をひらくと、中に入り込んでくる。 蹂躙され、唾液を流しこまれる。 何度も嚥下した。 ずっと目をひらいたまま、彼の顔を見ていた。 すがりつくように腕をまわし、その毛なみを撫ぜる。 息苦しいのも忘れた。 「こんな、とき、ばっか、顔出しやがって……っ」 《たまにはあるじ殿にエサをやらねばな》 「くそ、くそ──っ」 言われるがままに服を脱ぎ、脚を開き、情けを請うた。 すがたが見えない触手とは違う、獣の一物は現実味をもっていた。 挿入るわけない、と毎度思うが、たいして慣らしもせずとも簡単に受け入れていまう。 絶対的な質量。ねじこまれ、奥まで暴かれる。 貪欲に彼を求めた。 精神も身体もすべて奪われる。狂気だ。正気の沙汰ではない。 彼は神だった。ナズの神だった。 射精が終わってもすぐには抜かれなかった。 じっくりと、まるで受精を待つように、時間をかける。 けだものの交尾をなぞるような儀式。 彼が口を開く。するどい歯がならんでいるのが見えた。 喉元に、噛みついた。 その透明な牙が皮膚にもぐりこんでくる感覚。痛くはないが、喰われているのだとわかった。 彼の名を呼んだ気がした。声にはならなかった。 しかし彼は、満足そうに微笑んだ。 翌日には、消耗品の補給や路銀の確保、次の仕事の準備のためなどに街を歩いた。 昨夜の残渣は色濃い。 腹の中にはまだ彼の“精液”があるような感覚は気分がいいとは言えなかった。 もちろん本当の精液ではない。しかし彼の一部だったものだ。 それも、そのうち身になじんで消えてしまう。 だからこそ、そのたびにすこし不安に思った。 彼の一部を摂取した自分は、おそらく“無事”ではないだろう。 そう考えると彼の得意げな哄笑が聞こえる気がした。
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