竜馬と歩 ~Ryouma&Ayumu~

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 俺は調子に乗っていた。  俺は将棋が強かった。  学校で一番、なんてレベルじゃなく、県内で一番強かった。  だからそいつ、歩が始めて将棋道場に来て、たまたま俺と将棋を指した時に、俺は正直びびった。  対局には俺が勝った。  でも、実際は一度負けていた。  俺の玉には詰みがあった。  歩はそれを見逃した。だから勝てた。  対局後の感想戦で、強さを見せつけるために、それを指摘した。 「93手目。こっちの玉が詰んでた」 「そうだった?」 「ああ。桂馬で王手をして」 「2二玉で?」 「3一角」 「3三玉だと?」 「4二角なりで」 「4四玉」  それは一目詰み。  そう言おうとして、でも出てきたのは違う言葉だった。 「……詰まないのか」 「92手目が攻防の一手になってたから。ここではもうダメだと思っていた」  じゃあ、俺の勝ちか。  そう思っていたら。 「91手目で詰みを逃してからは、もうこちらがダメだったと思う」 「危ない形だとは思っていたけど、詰みまであった?」 「桂馬で王手して」  その筋を確認する。  今度は詰んだ。  そうか。91手目が意図せずに、相手の打ちたいところに打て、の攻防手になっていた。  あいつはそれがわかっていた。  俺はそれを分かってなかった。  将棋に勝って、勝負に負けた。  そんな言葉を、初めて実感した。  すごく悔しい。  だから。 「もう一局、先後入れ換えてやろうぜ」 「うん」  道場が閉まるまで、俺は歩と、ずっと将棋を指していた。  ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇  次の日。  学校に転校生が来た。  歩だ。 「東京から転校してきました。歩です。よろしくお願いします」  教室が黄色に色付いていく。  俺は、なんだか鼻が高くなった。  この教室で、誰よりも歩のことを知っている。将棋が強いってことだけだけど。それでも、誰よりも一歩先にいることに優越感があった。  でも、それはすぐに興味がなくなった。  歩はクラスで人気者になった。歩を中心にみんなが周りに垣根を作った。俺はそれをぼんやり見ていた。 「……道場に行こう」  放課後でも人気者の歩を横目に、家に帰ってから道場に向かった。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 「竜馬くん、どうしたの?」  そう声をかけてくれたのは道場の看板娘こと香子さんだった。 「うん? 別になんでもないけど」 「そうかな、ご機嫌斜めに見えたけど」 「別に~」 「そう。まぁ、いいんだけどね。ときに竜馬くん、いま暇かね?」 「まぁ、暇っちゃ暇だけど」 「棋聖戦見ない?」 「見たい!」 「じゃあ一緒に見よう」  プロの将棋の世界では、大きな大会が8つある。  棋聖戦はその内の一つだ。  プロのタイトル戦は、将棋ファンにとっては、大切なイベントだ。  指し手やその後の展開を予想して、ああでもない、こうでもない、と意見を言い合う。  クイズ番組みたいだ。  そして、指し手が当たれば嬉しいし、外れても解説を聞いて勉強する。  それを繰り返して、将棋の最新を取り込みながら、自分の実力をあげていく。  香子さんと指し手を予想しながら一喜一憂していると、道場の扉が開く音がした。  その音に、香子さんは瞬時に店員モードに切り替わる。 「いらっしゃいませ」 「こんにちは」  そういって入ってきたのは。 「歩っ!」 「あ、竜馬君」 「歩も棋聖戦見ようぜ」 「うんっ」  歩の登場は突然だったが、丁度よかった。  歩と指し手の検討ができれば、どのくらい強いのか、そしてどんなタイプなのかが、わかる。  序盤が上手いタイプ。中盤が得意なタイプ。終盤に強いタイプ。  慎重派、切り込んでくるのか。  タイプが分かれば、今度対局したときの参考になる。  歩は強い。だから、次は負けないように、色々知っておきたかった。  結論。  歩は全部強かった。  特に終盤は鬼のように強い。  一番将棋に向いているタイプだ。  将棋は終盤で簡単にひっくり返る。  勝率99%だろうと、1手でひっくり返る。  序盤、中盤で丁寧に積み上げてきた優勢が、終盤で簡単に消し飛ぶ。そういうゲームだ。だから終盤が強いと言うことは、それだけで驚異だった。  そして、強くなるためには、絶対に必要な強さだった。  俺は、自分が強いと思っていたし、実際そうだった。  でも、上には上がいる。  知っていたけど、それを目の前にして初めて実感がわいた。  俺は、井の中の蛙だった。  だからこそ、次の言葉はすんなりと出た。 「歩。やっぱり強いよな。俺、毎年アマ名人戦に出てるんだ。県は突破できるけど、全国となるとすぐ負けちゃうんだ。今年は全国で一勝をしたい。だから歩に終盤を教えて欲しいんだ」 「いいよ。ボクも竜馬君から序中盤を学びたい。一緒に勉強しよう」  そうして、歩と将棋三昧の日が続いた。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇  アマ名人は、アマチュアのなかでは大きなタイトルだ。勝てばプロの名人と対局できる。  俺は、何度も県代表として、本戦に出場していた。  本選だと全国の強豪と指すことになる。  そして、全国の壁はものすごく厚かった。  だから、全国での一勝。これが、俺の目標だった。  そのために、歩と特訓をした。何度も対局しながら、歩から終盤の感覚を学んだ。  歩というライバルが、間違いなく俺を強くした。  今年こそは、全国での一勝ができそうな予感があった。  だけれども、その前に。  今年のアマ名人戦は厳しい戦いになった。  歩だ。  俺を強くしてくれたライバルが、大会で立ちふさがった。  県代表決勝戦。  俺は歩と対局することになった。  対局前。  俺は不思議な気持ちだった。  いままでは、勝って当たり前。そんな感覚だった。  でも今回は、勝たなきゃいけないのに、それよりも良い将棋にしようとだけ考えていた。  ギャラリーに、自分に、何より歩に。驚くような、良い将棋を見せようと思って望んだ。  ――結果は。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 「いままでで一番、強かったよ。なにより良い将棋だった」  その言葉を、泣かば呆然と聞いていた。 「本戦。頑張ってきてね」  そういいながら差し出してきた手を、握り返した。 「また来年、ここで指そうぜ」  その言葉に、歩は笑って返した。  うん、とは言わなかった。  それからしばらく、歩は道場に来なくなった。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇  もやもやした気持ちに耐えられなくなって、俺は学校で歩に話しかけた。 「なんで道場に来ないんだよ」 「色々準備をしていたんだ」それから「東京に帰るんだ」  驚いて、言葉がでなかった。  でも、次の一言は、それよりも衝撃的だった。 「ボクは、奨励会に行くことにしたんだ」  奨励会に行く。それは本気でプロになる、ということだった。  歩はプロになる。  同年代の友達が、プロを目指す。  歩が、俺の考えもしなかった世界に行ってしまうことに。  いや。  俺が最初から諦めて、考えもしなかった世界に挑戦していく。  それが、中学生の俺には耐えきれなかった。  そうして俺は、一生後悔する言葉を口にした。 「そんなの、無理だよ」  歩はなにも言わなかった。  ただ笑って返した。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇  しばらくして、歩は転校していった。  アマ名人戦の本戦では、面白いくらいに簡単に負けた。  それから、将棋を止めた。  毎日ぼんやり過ごしていた。  そんな日々が終わったのは、2年後のことだった。  中学3年の俺は、だらだらと将棋をしていた。  そんなある日、将棋雑誌に歩の名前が載っていた。  注目の新人として。  その記事を見たときに、俺のなかの熱いなにかが、ドロリと動いた。  そのドロリはだんだんと熱さを増して俺を突き動かした。  脳裏に、あの決勝戦が浮かんだ。  もう一度、あの感覚を味わいたい。大変なことは、無理なことはわかっている。それでも。挑戦したい。  火がついた。 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇  3年後。  俺は、歩の目の前にいた。  盤を挟んで反対側。  プロの歩は、オーラが違った。  でも。それは俺も同じこと。  なりたてでも、プロはプロ。    あの日の将棋に焦がされて、ここまで来た。  もう一度、最高の瞬間を。  そう思いながら、対局の開始を告げた。 「よろしくお願いします」
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