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序章 はじまりの一夜
「本当に……後悔、しない?」
組み敷かれた広いベッドの上、目の前にあるのは、美しい星の夜を思わせるような漆黒の瞳だった。長いまつ毛に飾られた涼しげな双眸は、熱を帯び自分を見下ろしていた。
「阿佐永さんこそ……。後悔しませんか?」
つい二時間ほど前に知ったばかりの名前を呼ぶと、彼は薄い唇を少しだけ動かす。そこから発せられる低めの声はゆったりとしていて、子守唄のように穏やかだ。
「大智って、呼んで? 由依」
「大智……さん」
さっきまで瀬奈さん、と自分を呼んでいた大智は嬉しそうに口角を上げ、緩やかに微笑んだ。
(やっぱり……似てる……)
由依はその口元を見て思う。
高校一年生のころ、電車内で見かけていた彼。通学途中にある同じ沿線の有名進学校の高校生だった。
長めの前髪と黒縁の大きな眼鏡であまり表情の見えなかったその人は、いつも同じ書店のカバーが掛かった本を読んでいた。
たいてい口を真一文字に結んだ、難しい表情をしていたけれど、時々何か面白い内容だったのか、フッと口角を上げるとその口元を緩ませていた。
そんな、会話をしたこともない、ただ同じ車両に乗り合わせていただけの人のことを由依はふと思い出した。
その頃抱いていた、淡い恋心と一緒に。
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