1 宴

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1 宴

   1  山地をいくつも分け入って、死の砂漠を10日進むと、そこには岩と雪で覆われた地、シャハルバードの王国が広がっている。  シャハルバードは大陸の中央、ケルマーン高地に都を置く小さな国であった。  石榴、オリーブ、銀、羊などで国土は成り立っており、雪山から溶け出した雪解け水が谷間を縫い、川沿いの崖に連なる牧草地帯を抜けて、砂漠で大河となる。  冬になれば雪で閉ざされ、夏は熱砂と砂嵐で阻まれる僻地が国土を囲むゆえに、外界とは隔絶されていたが、交易品を運ぶ隊商の通り道であったので、少なからざる富を蓄えていた。  この国には伝説があった。完全の王──人の王──が王国を支配する、という伝説である。 ─── ────── ───────────  晩、月が山の端から覗くころ、ダーラヤワシュ王の息子ホスロは、自身の16の誕生月を祝う宴の席で、葡萄酒の注がれた杯を傾けていた。  大広間の窓からは屋内の明かりに照らされて吹雪が風に舞っているのが見える。  宴の初めに床の絨毯の上にところ狭しと置かれた料理の数々は、既に冷めてしまい、羊肉の脂が銀皿の底で白く固まっている。  ホスロは父王の隣に座り、広間を埋め尽くす家臣たちが楽しげに騒ぐのを遠い目で眺めていた。 「殿下は立派に成人なされた! 栗色の艶やかな髪、孔雀石のように輝く眼、整われた目鼻立ちは、美の女神アシャハをも虜にすることでしょう!」 「いかにも! まだ獅子を倒しておられないのが残念でございますが、狩りの腕前は今や王宮の誰にも負けぬとか! 是非とも一度お供させて頂きたいものです!」 「我が娘が殿下のことをお慕い申し上げておるようです! 一度、お目見えして頂きたい!」  酒が入れば入るほど、人の本心は剥き出しに晒されていく。ホスロは子どもの頃からそのような大人たちを父王の側で見てきた。  自身に向けられる視線に混じる欲望や嫉妬、猜疑、虚栄は幼少のホスロの心に汚泥を注ぎ込んだ。  しかし物心ついた時分より十数年も付き合っていれば、そよ風が耳もとを撫ぜるほどの感覚も感じなくなる。  ホスロの心は錆びていた。  ホスロは自分に向けられた戯言の数々を微笑みでそれとなく流して、臣下たちの前に歩み出た。 「皆々方、本日は私の誕生会に遠路はるばるお集まり下さり、万感の至りだ。パルバー山の谷より深く、月よりも白い忠誠を父上に」  ホスロが杯を上げると、酔いの回った家臣たちは一斉に杯を掲げた。 「「深く白い忠誠を!!」」  父王はその乾杯を受けて機嫌良く立ち上がった。 「各々。善き臣下よ。血の絆よ。永久(とこしえ)の人の王国に」  父王が杯をあおり、家臣がそれに続いた。  男たちは喉を鳴らしてひと思いに杯の中身を飲み干し、酒気に満ちた吐息を吐き出した。 「16を迎えた息子のホスロは慣習に従い、パルバー山の試練へと向かう。月が再び満ちる頃、吉日を選んで発つことだろう。そうして旅立の日、予はホスロを王太子として立てることに決めた」 「「おお」」  父王の宣言に会場の全てが新鮮味を持った驚きで沸き立った。父王はそれからホスロへと向いて太い指で両肩を力強く掴んだ。 「息子よ。帰ってこい。そなたが伝説に(うた)われる祝福の子、男児の弟を持つ長男となったとき、この試練は定まった。生きて帰り、試練を果たした時、そなたは完全の王としてこの国を治めることになろう」  父王の顔には、吉事をことほぐような安穏とした笑みが貼り付いていた。肩を掴んだ父王の手は強く、迷いがなかった。  そして、その場に居た誰もが、ホスロの行うべき試練を慶んいでいた。  ホスロは父王を厚く抱擁した。そうして、腕から、触れあう胸から、頬と頬から、酒気を帯びた吐息から、父王の体温を自身に受け取った。父王は息子の意気を嬉しがった。  しかしホスロは無感動だった。周りの全てが分からなかった。父王の顔も、家臣の顔も、場所も、何もかも(もや)がかって見えなかった。ホスロは、周りに"人"が居るようには思えなかった。その試練がどのような結末をもたらすものかを知っていて、なお"あれら"は沸き上がる事が出来るのだから。  次の満月の後、ホスロは父を、母を、弟を、妻を、殺さねばならなかった。長男として生まれた王族の慣習によって。    。。。
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