日曜日

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 日曜日。静希は高級なフレンチより庶民的な牛丼が好きだった。 「私、紅生姜が好きなの。そして紅生姜をいかに美味しく食べるか考えたとき、頂点が牛丼だった。そう思わない?」 「あいにく、僕は紅生姜が嫌いなんだ」 「そう、分かり合えないものね。残念」  それから静希は「私たち、出会って十年だっけ」と呟いた。 「そうだね。君が高校生のとき、こっちに引っ越してきた」 「大震災で原発が壊れて、私の地元は放射能だらけになったからね。とても住める状況じゃなかった」 「もう、戻ろうとは思わないの?」 「思わない。だって、あそこにはそれほど思い出がないから」  むしろ、傷はあるけど。静希の心はすでに腐食していた。 「前にも話したかもしれないけど、あの人、原発が大好きだったんだ。原子力が世界を救う。毎晩そんなことを言っていたの。実際、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、私は誇らしげに語るあの人が好きだった。だから原発が事故ったとき、それから日本中が原発に対して不信感を抱いたとき、耐えられなかったんだと思う」  静希がこっちへ引っ越してきてからすぐ、「あの人」は首を吊ってこの世を去った。 「まあ、あの人が一番大切にしていたものが、あの地震をきっかけに非難の対象になっちゃったから」 「天罰」  僕はたった一つの熟語を口にして、味噌汁で胃袋を温める。僕の体内はシベリアくらい凍えている。 「天罰。そうね、そうかもしれない」 「君のお父さん、いや、あの人は君に悪いことをしたんだ」 「悪いこと。そうね。あの人は悪いことをした」 「あの人は君を傷つけた。いや、君を殺したんだ」  静希が紅生姜を噛み砕く。ぼり、しゃき、咀嚼音が響き渡る。 「でも、嫌いになれない」 「それが不思議なんだ。僕は静希の感覚が、不思議で仕方がない」  しかし、静希は「人には理解できないパーソナルな部分が存在するの」と言って、ドレッシングもかけずに箸でサラダを摘んだ。 「あの人は、私を欲することしかできなかった。私を愛することで、現実逃避をしていたのかもしれない」 「あの人は原発だけを愛していればよかったんだ。なぜ、君に手を出したのか、僕は理解したくない」 「そうね。私だって理解はできない。でも、私は必要とされたの。あの人にとって私は大切な女性だった。今はそう思うしかないの」 「しかし、君は子供だった。僕は小児性愛に関しては拒絶しかない。君だって、望んでいたわけじゃないだろう?」 「そうね。でも、もし私があの人からの行為を望んでいたなら、あの人に天罰は降らなかったのかな?」  それはない。僕は牛丼を食べ終えて、お茶を飲んで脱力感を拭おうとしたが、それは無駄な努力だった。
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