月曜日

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

月曜日

 月曜日の午後二時四十六分も、独り男。  僕は浅草にあるソープランドでそのときを迎えた。 「お兄さん、悲しい顔してるね」  ベッドで仰向けになっている僕の横に、三十歳になるイオリさんが添い寝している。ただ、それだけだった。 「たまにいるのよ、あなたみたいにただ寝転がっている人。まあ、こっちとしてはそれでお金をもらえるわけだから、ありがたいけどさ。でも、その分寄り 添ってあげようって思うの」  なら、と僕は質問する。 「イオリさんは、どうしても生きられないなって思ったりしますか?」 「どうだろう。私もいろいろあったからここにいるけど、今の生活はそれほど苦じゃないよ。まあ、お世辞にも綺麗とは言えないでしょうけど」 「もし死んだら、自分の理想を叶えられるって思ったりしますか?」  僕の質問は天井に向かって放たれていく。それをイオリさんはしっかり吸収していく。 「どうかな。私は死んだらおしまいって思うかな」 「死んだら、やっぱり孤独ですかね」 「孤独にはならないって信じたいね。誰かと出会えるはずだって信じたい」 「それは、家族とか?」 「家族とか、好きな人とか。嫌いな人には会いたくないけど」  一度傷ついたものは、腐ったものは、穢れたものは、二度と癒えない。それを抱え込んで未来へ飛ぶことはできるが、過去が消えることはない。それが人間の愚かな生態の在り方だ。 「僕には、大事な人がいました」 「うん」 「でも、彼女は昨日死にました。三月十一日を迎えることなく」 「そっか」  あの震災から十年が経った。ほとんどの人が「懐かしいね」と呟くだけで、常々新しい記憶を塗り重ねていく。だけど、静希はそれができなかった。人間に備わっているはずの忘却機能ですら対応できなかった記憶が、彼女にはしっかりと残っていた。 『私を必要としていたあの人を、私を傷つけたあの人を、それでも家族だったあの人を、いっそ綺麗に忘れることができたら幸せになれるのにね』  静希はあの人を追ったのかもしれないし、あの人から逃げたのかもしれない。それは僕にはわからないことだ。ただ一つ言えるのは、彼女は意味を持って飛んだ。それだけだ。 「辛いよね。孤独になるって」 「そうですね。しんどいですね、結構」 「うん」  この世で生きる上で、取り残されることほど心が削られることはない。 「私も、そんな経験をしたことがあるから」  イオリさんの声も、湿っぽい部屋を飛び交っていく。 「でもね、私は考え方を変えたの」 「変えた?」 「孤独になるって考え方。私は、死者を心に灯すようにしたの」  灯す。聴き慣れない言葉だった。 「私たちは身体だけの存在じゃないでしょう? 心だってあるの。たとえ身体がなくても、心は残っている。そう信じて、死者のことを忘れないように、自分が孤独にならないように、そして相手も孤独にならないように、自らの心に灯す。するとね、自然と寂しさも和らぐの。ああ、自分は独りじゃないって思えるの」  身体だけじゃなくて、心。僕と静希の心も、つながっていられるだろうか。 「僕にもできますか?」  意味のない質問なのはわかっていた。だけど、人間いつだって肯定の言葉を授かりたい。 「できるよ。お兄さんなら」
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加