運命は夜に散る

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 暁斗を見つけたのは、大学に入学したばかりのころ、右も左もわからずに履修した小難しい一般教養(パンキョー)の授業中だった。  人気(にんき)のない講義室は()いていて、まばらな学生たちを後ろの席から見渡せた。  慣れない大学生活に緊張していた私は、キョロキョロと周りの様子をうかがっていた。目立っていたのは数人でひそひそと話したり小突きあったりしていたグループ。  そこからふっと目を逸らしたときだった。  逸らした先の、頬杖をついて一人講義を聴いている後ろ姿に、私の目は吸い寄せられた。  名前も知らなかった彼に、一目惚れだった。  それからというもの、ガラ空きの講義室をいいことに、毎回私は彼を斜め後ろから眺められる位置に陣取った。  頬杖をついて少し猫背になる背中。くしゃりとした柔らかそうな髪。首筋にあるホクロ。時折りシャーペンを回す長い指。視界に入るだけで、胸がキュッとなった。  真面目に授業聴いてるな。どこの学部なんだろう。名前はなんていうのかな。彼への好奇心を心の中だけで完結させながら、金曜のその講義を毎週心待ちにして過ごしていた。  そうやっていつも見ていたから、あの日彼が座席に折りたたみ傘を忘れたことにもすぐに気がついた。  講義室の出口のそばでは、騒がしいグループが翌日の花火大会の話題で盛り上がっていた。その隙間をすり抜けて、彼は一人で講義室を出て行った。  彼の座っていた席に回り込んだ私は、ドキドキしながら折りたたみ傘を手に取った。  振り向いても彼はもういない。  手の中の傘を握りしめると、私は講義棟の外まで彼を追いかけて走った。  どんよりとした曇り空の下、もう雨は止んでいた。 「あのっ……」  いつも見てる後ろ姿に手を伸ばしたのは初めてだった。  ちょんと背に触れた指先が痺れるほどに緊張していた。  振り返った彼は私の手元にある傘を見て、あ、と眉を上げた。  切れ長の目が傘から私に向けられる。  初めて彼の視界に私が入った。私は最大級にテンパっていた。  傘、忘れてます。そう言うはずだった。いつも見てたから、気づいた。いつも見てたから、追いかけることができた。いつも見てたから、後ろ姿も間違えない。 「いつも見てましたっ……」  折りたたみ傘を両手で差し出した。遅れて自分の失言に気がついて、かあっと顔が熱くなった。 「あ、違……友達からでいいんで、じゃなくて、ずっと名前聞きたいと思って……や、すみません。あの、傘、忘れてます……」  尻すぼみになって縮こまる私に彼の視線が降り注いでいた。恥ずかしさで死にそうになっていると、俯いて差し出していた傘がすっと手から抜き取られた。 「深山(みやま)暁斗(あきと)です。君は?」  彼の言葉にパッと顔を上げると、目が合った。想像していたよりも掠れて低い声。  君はって、彼が、私に、聞いた。 「真島(まじま)莉乃(りの)です……」 「よろしく」  ずっと一方的に憧れていた人が、私に向かって話していた。呆けてただただ見つめる私に、彼は苦笑した。 「傘、ありがとう。じゃあまた来週」  立ち去ろうとする彼に、私は「あっ」と声を上げた。それが聞こえたのか彼が立ち止まる。  このままだと講義の日に挨拶するだけの関係になってしまう。初めて私に向けられた目線に、声に、私は一瞬のうちに貪欲になっていた。連絡先を聞きたかった。なのに、なんとも思ってなさそうな彼の表情に勇気が出なかった。  声を出せないでいる私をしばらくのあいだ見据えていた彼が、すると口を開いた。 「明日の花火大会、行く?」  信じられないような奇跡の誘いに、私は二つ返事で首を縦にぶんぶんと振って頷いた。
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