転居しました

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転居しました

「オリーブってこんな風になるんだね」 「もうじき収穫するタイミングだな。どうだ、新しい学校には慣れたか、夏向?」 「みんな、いい子たちで転校生の私にもいっぱい話しかけてくれるし、なんか優しい」 「そうか」  結局、私は2度と元いた学校に戻ることは出来なかった。母に泣かれたのは、あの時が初めてだったから、忘れられない思い出になってしまった。気丈な母に泣かれたのは、正直かなりキツかったし。  2学期も学校に行けなかった私を母と祖母はここに連れてきた。「たまには三世代で旅行でもしましょう」と、祖母に言われれば、断れなかったから。とうとう、私、ばあちゃんまで巻き込んでしまったと思い至り、あまりにも申し訳なくて。結局、三世代で旅行なんて、あれが初めてで最後になちゃったけど。  この瀬戸内地方に連れてこられたのは理由があった。  今、私に話しかけている作業着姿のおじさんは、どうやら私の父親らしい。私の子供時代に父の姿は最初からなかったし。私が生まれたばかりの頃、会社勤めに疲れてしまった父は、いきなり実家に戻って農家を継ぐと言い出したという。母は実家を継ぐという父についていくことを拒否した。というのも父の両親には結婚を反対された経緯があったから、らしい。記憶にない父方の祖父母は母が仕事を続けることにも難色を示したという。父は一人っ子の跡継ぎだったから。父の母、つまり姑と母は折り合いが悪かったのだ。それでも、別居するようになった後も父と母はなかなか離婚することはなく、私が小学生にあがるときにやっと正式に別れたらしい。そのあとも、母は父に私の誕生日には定期的に写真を送ることはあったという。ここ2,3年で舅も姑も立て続けに亡くなったこともあって、母と祖母は私をここに連れてくる決断をしたという経緯があったのだ。  私の引きこもりをどうにかするには、環境を変えたほうがいいんじゃないか。多分、母、祖母、私の記憶にはなかった父で何度も話し合った結論だったという。多分、母にとっては苦渋の決断だったのだろう。  三世代旅行のスタートは瀬戸内の観光から始まった。旅行も中盤に差し掛かったころ、ついでに、こっちの高校ものぞいてみないかと言われた。3人で食事をしていれば、私の父だと言う知らないオジサンまで現れる。そういうことかと思ったけど、私はどうでもよくて。ただ、私は疲れもあったのか熱を出してしまう。目を覚ますと、その父らしい人がこちらに少し滞在してみないかと提案してきた。母が疲れきっていて、多分このままだと倒れてしまうかもしれないとまで言われれば、頷くしかなくて。間もなくして、祖母が母を引きずるように連れて東京にもどっていった。  父には母と別れた後、新しい奥さんと小学生と中学生になったばかりの子供がいた。また面倒なことになるのは嫌だなと思っていたら、それは杞憂で。彼らにはなんとなく私を受け入れてくれようとする雰囲気があったのだ。オリーブの収穫時期でもあったので、純粋に人手が足りなかったせいもあるかもしれないけど。でもその状況に、私はなにか救われるような気分だった。フラットに下宿人を受け入れる感じで私の居場所を作ってくれたから。彼らは別に無理をしてる感じじゃなかったし、必要以上に気を遣われることもなかった。流れで農作業を手伝うようになった。体を動かしていると、お腹も空いてくるし、食事も美味しい。体が元気になっていくと、考え方も前向きになっていくものらしい。懸案のひとつだった高校復学もお試しで通ってみると案外大丈夫で。無理なようなら行かなくてもいいと言われていたから、ちょっと気が楽だったのもあったから。「そもそも高校は義務教育じゃないしな」と私の父らしい人は柔軟な考え方の持ち主だったし。  久しぶりの教室は思ったよりもずっと楽し気で、クラスメイトは転校生が珍しいのか話しかけてくれるし、人数が足りないからと誘われたバスケ部にいつのまにか入部することになっていた。どんどん私の居場所が増えていく実感があった。なんかいい感じだ。  父らしいその人は、私には遠慮もあってか、口数は多くなかった。そんな父に、私が不登校の引きこもりままなら、母が会社を辞めるつもりだったらしいとボソボソと教えてもらった。そんなことになっていたら間違いなく、それは私のせいで、母は仕事にプライドを持っていた人だから、きっと私はすごく罪悪感にさいなまれてしまったことだろう。父と称する人には「夏向がこっちで高校に行けそうなら、このまま一緒に暮らしてみないか」と言われた。「なかなか今更、親子というのは難しいかもしれないけど、親戚の家にいるような、そうだな、国内留学とでも思えばどうか?」と提案されたし。そう出来れば、母は仕事を続けるだろうと言われれば、それはそれでいいようにも思えてきた。    私がこっちに来て、高校に通えるようになれば、母は仕事を辞めなくて済む。どちらかというと仕事人間の母だから、彼女からそれを取り上げてしまってはいけないと思っていた私にはここに残る、それ一択しかなかった。  母は母で、私がこちらの高校にいくなら、移住してくるとまで言っていたらしいけど、母には田舎暮らしは無理だろう。コンビニも遅くまでやっているスーパーもオシャレなお店もこちらにはあまりないしね。母は結構な物欲まみれな俗物的なところがあるから。  私がこちらの高校にどうにか通えそうになっても、事はそれでお終いにしなかったのは母らしいと言えるのかもしれない。母は東京で私のいた学校側にいろいろ働きかけを始めていた。まず私が引きこもりの原因となったイジメの実態調査を学校側に訴えたという。私の教科書が破らていたり、体操服が切られていたり、そんなものを私が父の所にいる間に私の部屋で見つけ出してしまったのがきっかけらしかった。これってプライバシーの侵害じゃないかと言いたいところだけど。  私の不登校、引きこもりの原因が家庭環境にあるんじゃないかと学校から指摘されていた母は、それはそれで必死だったんだと思う。学校側から母子家庭だから、私に時間を十分にかけていないと言われていたことに対する反発もあったのかもしれない。それって学校側の責任転嫁じゃないかと思えるけどね。私がハブられていたことは、担任は知っていたはずだし。  ただもう、その頃になると、前の学校のことなんか私もどうでもよくなってしまっていたから、学校でどんなことがあったかをリモートながら、どっかの偉い人と母の前で証言することができるようにまでなっていた。どうやらイジメ問題は私の他にもあったらしいのに、学校側が隠蔽していたことがネットで暴露されたらしかった。こうなると、学校側も動かないではいられなかったんだろう。  言葉にして自分の内側にたまっていたものを吐き出すと、自分の中が少し軽くなった気がしていた。もうこの学校は私にとって関係のない所になったせいかな。  私にはもう新しい居場所が出来たから。  
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