そのままがいいと言ってくれたから

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そのままがいいと言ってくれたから

「なんで歩積君は髪を染めたの?」 「学校で染めてくれって言われたからかな」 「前の髪の色の方が似合ってたのに」  美月のドレスの時といい、何でも正直に気持ちを言葉にする子だなと思った。ちょっと生意気な感じはするけど、多分、真っすぐ眼差しを持つ素直な子。それが夏向の第一印象。  母の再婚相手の桐生の家には美月という女の子がいた。美月の従妹の夏向。ただそれだけの関係。それに少しだけ変化が起きたのはあの事件がきっかけだった。  教師の前では比較的大人しい従順な感じだけど、裏がありそうな生徒に目をつけられているのは、ちょっと前から分かっていた。だから帰宅途中、「桐生、ちょっと遊ばない?」と声をかけられた時は、そのまま逃げ出すつもりだったのに、一歩、出遅れたらしい。僕は目つきがやたらに鋭くて、柄の悪そうな男子生徒にいつの間にか囲まれていたのだ。  日本で転入した学校は男子校で、かなりの進学校。編入して早々、テストがあった。ついつい手加減というものを忘れて、普通モードで受けてしまったのがいけなかったらしい。成績上位の常連の生徒からやっかみを受けるようになっていた。そのあとはなるべく目立たないようにと、微妙な茶髪の髪を先生のアドバイス通り黒色を染めてみたり、なるべく大人しくしていたつもりだったのに。あの頃の僕は、体力勝負というか、ケンカはあまり得意じゃなかったんだ。これまでだって、機転を効かして、どうにかこの手のことは乗り越えてきた。ただ今回はちょっと失敗したらしい。僕一人に相手側は4人。さすがに表情が強張る。僕は学校からの帰り道、公園の人目の届かないところに連れていかれた。道すがら、公立の学校のランドセルとは明らかに違うカバンを背負った女の子から強い視線を感じた。ちょっと既視感があったような気がしたけど、きっと気のせい。そもそも小学生に知り合いなんていないし。 「生意気なんだよね、桐生君」 「転校生はもう少し謙虚でいないと」 「謙虚さは日本の美徳の一つだからね」 「そういっても分からないか。君、だからね」  僕を囲む男子生徒は優秀な頭脳をお持ちのはずだから、わざと使ってるんだろう。  確かに「alien(エイリアン)」は政治や法律では「外国人」のかしこまった言い方で使われることはある。でも同時に「この国に属さない」というニュアンスもあるはずだ。だから、「お前はこの学校に属さない」。そう言いたいわけね?  今となっては、アメリカ政府も移民法改革法案で「エイリアン」を「ノンシチズン」に置き換えようとしている流れはあるけど、あの頃の彼らはわざと差別的な意味で使いたかったんだろう。  そんなことを考えていたら、さっき感じたのと同じ視線。誰かに見られてる?ふと、そちらの方を眺めてみれば、さっきのランドセルの女の子。そうか、帽子と制服でイメージが結びつかなかったけど、もしかして、美月の従妹の、えっと、そう、漢字だけじゃ読み方がわからなかったナツキちゃん?あの目力(めちから)がある子だったなって、合点がいって、ついつい微笑んでしまったのが、僕を取り囲んでいた男子生徒諸君にお気に召されなかったらしい。 「桐生、お前、俺らのこと、なめてるわけ?」  そういった男子生徒にいきなり殴られた。衝撃の後に痛みがやってくる。暴力反対。  それから続けざまに殴られる。  一方的に殴られている僕を見て、夏向ちゃん、怖がったりしているんじゃないか。そんな心配をちょっとしていたら、彼女が逃げ出していくのが目の端に見えた気がしたので、心のどこかで、ホッとしていた。こんな怖い光景、見てられないよね?こっちは殴られ続けで痛かったけどね。それから間もなくして、耳をつんざく警報音のような音がして、「何をしてるんだ」という大人の声が聞こえてきた。間もなく、自転車を乗り捨てて、走って来るおまわりさんが見えた。その時は殴られ過ぎて、もう目がきちんと開かなくなっていたから、ボンヤリとしか見えなかったけど。  でも、おまわりさんと一緒にかけ寄って来るランドセルはちゃんと見えてたんだよ。 「歩積君、大丈夫?」 「やっぱり夏向ちゃん?もしかして夏向ちゃんが連絡してくれたの?」 「私はこれのボタン押しただけ。・・・痛い?」    ボタン?何のボタンだろうって、ぼんやり考えていた。血が流れていたのか、夏向ちゃんは自分の真っ白なハンカチを俺の頬にそっと押し当ててくる。 「ちょっと痛いかな。ごめんね、このハンカチ、血がついちゃったから、今度新しいのプレゼントするね」 「プレゼントはいらない。それもう一杯使ったやつだから。ごめんね、私、帰らなきゃなの、お母さん心配するから。歩積君、大丈夫?」  どうにかふらふらと立ち上がる。お巡りさんは、逃げ出した学生の一人を取り押さえたらしい。よりにもよって、教師の覚えめでたいあの男子学生を。名前、何だっけ?佐藤?斎藤?もうどっちでもいいか。  応援のおまわりさんまでやって来た。これはちょっとした騒ぎになりそうだ。 「夏向ちゃん?」 「うん?」 「格好悪いところ見せちゃったね。このことは内緒にしてくれる?」 「分かった」  この子は約束したら守ってくれる気がする。僕を殴ったあいつらよりずっと信用が置ける気がするのは、なぜだろう?この子の真っすぐな目線のせいか。 「あと僕と夏向ちゃんがいとこ同士だってことも、おまわりさんには内緒にしておこう。夏向ちゃんを面倒に巻きこみたくないから」 「美月ちゃんにも言わないほうがいい?」 「そうしてくれた方がいいかな。いろいろ、ありがとう。送ってあげられないけど、大丈夫?」 「多分、歩積君のほうが大丈夫じゃないよね?」 「確かにね」  『歩積君』と夏向ちゃんに初めて呼ばれた気がする。殴られて引きつる顔でどうにか笑顔を浮かべれば、夏向ちゃんはおまわりさんにきちんと挨拶して、もう一人のおまわりさんに付き添われながら、公園から離れていく。いつのまにか握りこんでいたハンカチが、なんかすごく大切なもののように思えていた。  言っておくけど、僕は決してロリコンではない。それを証拠に、どちらかというとあの頃の僕は、メリハリのはっきりした大人の女性がお気に入りだったし。  でもどうしたところで、僕の目を心配そうにのぞき込んだ夏向ちゃんが印象的だった。それが愛おしいと感じてしまったのだ。そんな感情を抱くなんて、いつぶりだったろうか。  
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