そのままがいいと言ってくれたから

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 翌朝、夏向ちゃんのいつも通学で使っている駅の改札に僕は立っていた。昨日はあの後、ちょっと面倒なことになった。どう考えても、被害者は僕であることは明確なわけで。おまわりさんに(どん)くさく、とっつかまった、頭はいいけど、運動神経が今一つだった腹黒の鈴木君(=佐藤でも斎藤でもなく、日本人の2番目に多い苗字だったことが後ほど判明したクラスメイト)は、自宅謹慎となった。鈴木君は自分一人が罪に問われるのが許せなかったのか、僕を殴った時に一緒にいた他のメンバーの生徒名を全部明かしたらしい。そしてそれから彼は学校に来ることがなかった。僕と同様、なぜか大けがをしたらしいという噂があり、いつのまにか転校していた。 「おはよう、夏向ちゃん」 「歩積君?おはよう。大丈夫だった?」 「大丈夫とは言い切れないけど」 「なんか、いつもと顔が違うね」 「腫れてるからね」  もう少しオブラートに包む言い方はないのかとも思ったけど、それを小学生に求めるのはどうなんだと思い直し、小さな紙袋を夏向ちゃんに渡した。 「昨日はありがとう。これ、お礼の新しいハンカチ。気に入るか分からないけど受け取ってくれる?」  夏向ちゃんはちょっとだけ困った顔をして、でもそのあと、ニコっと笑って、「ありがとう」と言う。この子はやはり目力のある子だなと再確認した。真っすぐな視線。このままでいて欲しい。これから先、いっぱい汚いものを見なきゃいけないかもしれないけど、でもこの眼差しは失わないでいてと願いたくなる。それを守るためなら、僕が・・・って、えっ、何の妄想をしてるんだ?朝からどうかしている。夏向ちゃんのナイトにでも立候補するつもりだったのか?いや、ないし。マジで。相手、たかだか小学生だぞ。 「じゃあ、僕は行くね。夏向ちゃんとは電車、逆だから」 「うん、いってらっしゃい」  そう手を振った夏向ちゃんは、あっさりと僕とは反対のホームに行ってしまった。自分の中に初めて生まれた、多分「愛おしい」という感情は、やっぱり幻ではなかったらしい。それがいつか恋愛感情につながっていくことぐらい想像はついていたけれど。それはずっと先のお話。   夏向ちゃんの背負うランドセルが遠ざかっていく。  そっか、あの警報音、GPSについていたアラーム音だったのか。あの後、登校するために一緒に乗り合わせた夏向ちゃんとは違う制服姿の小学生を見ながら、一人納得していた。夏向ちゃんは、きっと機転の利く、頭のいい子なんだろう。なんか、それを知って、ちょっと得した気分になっていた。  あのハンカチは結局、使ってもらえたんだろうか?クリフ・ラッセルと呼ばれるようになってからも、たまに思い出してみるけど、記憶の中に彼女がそのハンカチを使っている光景は見当たらなかった。私がハンカチを贈る女性は、今だって君だけなんだよ。その意味、知ってる、ナツ?  ハンカチは漢字で書くと「手巾」。漢字から手切れのイメージがあるらしい。でも、僕がそれからもナツの誕生日にハンカチを贈り続けたのは、もう一つの意味を込めていたのを知ってる?つまり、マーキングだ。ナツは僕のもの。あの頃のナツは真っすぐに明るい道を歩いていた。だから君のそばにいれば、僕も少しは浄化されるんじゃないかって。そんな妄想もあったのかもしれないけど。
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