1ー5章

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1ー5章

 「あ・・・・気がついたみたい」  ゆっくりと覚醒していく意識の中、いつもの朝とは聞きなれぬ声を、五十嵐里美は聞いていた。  深い底の水を留めた瞳を開ける。イタリア製の木造ベッド。京都の匠の手による100パーセント羽毛の掛け布団。いつもの朝と同じ場所。  その横の丸椅子に座る、ショートカットの少女だけが、日常とは異なっていた。  「・・・・ナナエ・・・・ちゃん?・・・・・いったい・・・・」  混濁する思考回路がまとまっていく。眠りにつく前の状況が、記憶の棚に並べられていく。  消防隊による瓦礫撤去が始まるころ、ひとりのセーラー服の少女が自らを抱きしめるように、災害後の街をさまよっていた。  ファントムガールが敗れ、異形の生命体による、人類への降伏勧告のあと―――絶望にひしがれる街をゆく少女は、メフェレスという宇宙生物に捕らえられ、そしてファントムガールに助けられた、あの少女であった。  なにかに誘われるように、藤木七菜江は、瓦解したビルの一角に入る。多くのテナントがはいった雑居ビルの地下一階。駐車場になったその場所に、探し人は、いた。  通路の真中。汚れた黄色の照明の下に、仰向けの五十嵐里美がいた。  はぐれてしまってから2時間を経て再会した生徒会長の姿は、崩れ落ちる瓦礫の下敷きにでもなったのか、変わり果てたものになっていた。  陶磁器のような白い肌は、ドロと煤にまみれて、黒ずんでいる。カッターで切られたような浅い傷から血がにじみ、七菜江と同じセーラーを汚している。特に右足と腹部の怪我がひどく、太股は焼けた鉄の棒でも刺さったのか、火傷した傷跡が、ケロイド状に腫れていた。    満月のように輝いていた先輩の惨状に、思わず七菜江は目を逸らしていた。しかし、死んだように眠る里美が、まだ生きているのを確認して、その華奢な肢体を背負う。    巨大生物に潰されかけた内臓は無事のようだったが・・・アバラにひびが入っていることはわかる。決して五体満足とはいえない女子高校生が、50キロに満たないとはいえ、ひとりの人間を担いで歩くのは、脅威的といえた。それこそが七菜江の潜在能力の高さであった。  フラフラと彷徨う少女が、騒ぎを知って駆けつけた救いの手に会った時、その顔は汗と涙でグシャグシャになっていた。  「・・・・・というわけで、来てくれた執事の安藤さんの車に乗って、ここまで里美さんを連れてきたんです」  5mほど離れた部屋の入り口に立つ老紳士・安藤が軽く会釈する。幼い時からの教育係で、滅多に在宅しない多忙な両親の代わりに里美を育てた彼は、ニュースを知り、現場に里美を探しに来たのだった。里美を背負う七菜江と遭遇できたのは、運ではなく、彼の必死の捜索による移動範囲の広さゆえだ。  「そう・・・・ありがとう、ふたりとも」  にっこりと里美は微笑む。この、痛々しい包帯姿の美少女に癒されるのを、七菜江は感じた。  「七菜江ちゃんには大きな借りが、できちゃったわね」  「そんなこと・・・・」  俯き加減の七菜江の眉根が寄る。  「七菜江ちゃんは大丈夫だったの?休んだほうがいいわ」  「私はいいです、平気。それよりも、里美さん・・・・・」  淡い陽光の射し込む窓の外で、小鳥がさえずる。  「里美さんが・・・・ファントムガールだったんですね」  金細工の仕掛け時計の、針を進める音だけが、落ち着いた雰囲気の里美の部屋を支配する。  再び、小鳥のさえずり。  沈黙の空間に、鼻をすする音が、低く流れ始めた。  「私の・・・・私のせいで、あんなこと・・・・・・ごめんな・・さい・・・・」  「違うわ。七菜江ちゃんのせいなんかじゃない」  嗚咽は号泣に変わりかけていた。  怪我の場所を確認するまでもなく、また、ファントムガールの技が、里美の得意とする新体操の技に似ている事実を引き合いに出すまでも無く、初めてファントムガールと対面した瞬間。あの瞬間に、七菜江は全てを悟った気がした。ファントムガールの銀のマスクには、五十嵐里美の面影が色濃く出ていた。それは実物を間近で見たからこそ、気付けたことでもある。  だが・・・・できればそれは、知りたくはない事実であった。それでいて、知らねばならぬ事実でもあった。  なぜなら、里美がこのような目に遭ったのは、七菜江があの場所にいたせいなのだから。七菜江が、メフェレスという侵略者に捕まったりしなければ、ファントムガールは負けなかっただろうし、里美も無事だっただろうし、地球が降伏を迫られることもなかっただろう。  「あたしが・・・・・あたしが、ちゃんと逃げてれば・・・・・里美さん、あんなことにならなかったよね?・・・・・・・全部、あたしが悪いんだ・・・」  グスグスと涙に揺れるか細い声が、罪を背負い込んでしまった少女の心を吐露する。膝の上にギュッと握った小さな拳に、ポタポタと透明な雫が落ちる。  「・・・・・・ナナちゃん、手を貸して」  ベッドの上に上半身だけ起こした里美が、傍らの赤い眼をした少女に、左手を差し出す。細く、長い手。反射的に七菜江は右手をその上に重ねていた。  「わあッッ!」  急に手を引かれ、思わぬ力に、七菜江はベッドにつんのめっていた。涙で霞む視界を、右手に向ける。里美は空いた方の手で、自らの淡いブルーのパジャマを、乳房の下のところまで、たくしあげていた。  「??!!ッ」  同じ女性として惚れ惚れするような・・・肌の白さに、眩しさを覚える。七菜江の右手は、そのシルクの肌に持っていかれた。掌に感じる、優しい体温。七菜江は頬が蒸気するのを隠せなかった。  「さ、里美さん・・・・・・」  「どう?」  「え?・・・・・??」  「傷跡・・・・・ほとんど無いでしょ」  七菜江の右手が連れられていったのは、里美の腹部・・・ファントムガールがカブトムシ・ラクレスに串刺しにされた、あの部分だった。包帯の上から、わずかに盛り上がった皮膚の感触はあったが、穴が開いている感じは、断じてない。  「ファントムガールでのダメージは、実体では何十分の一かに軽減されるの。だから、あれぐらいじゃあ参らないわ。それに、実体となってからの回復力も通常の何倍にも飛躍してるから、すぐに直るわ」  七菜江の脳裏にファントムガールの悲鳴が蘇る。  あれは・・・・魂からの叫びだった。  そして、自ら漏らした白い液体に汚されていく、銀色の戦士。  里美が負った傷は肉体だけではない、むしろそちらのほうが大きいかも・・・・  にも関わらず、この繊細そうな令嬢は、弱さを見せない。その強さが、七菜江には辛かった。  「でも・・・・・」  「ナナちゃん。誰も悪くなんて、ないのよ」  力のこもった声で、里美は言った。それは初めて見る、強さを敢えて晒した里美の姿だった。  「里美さん・・・・・」  「あのメフェレスだって、悪いんじゃないわ。侵略の真意はわからないけど、彼らには彼らの道理があると思うの。でも、それは私達にとっては、間違いなく敵。正義でも悪でもない・・・敵だから、私はファントムガールになって、闘うことに決めたのよ」  鈴のような声に、溢れる力。白鳥に隠された、水面を掻く力強さ。  「誰が悪いとか・・・誰のせいとか・・・そんなことはどうでもいいの。あなたを助けたいから、私はあなたを助けた。だから、喜んで。こうして、ふたり、生きて再び会えたことに」  月の美しさを持つ少女が微笑む。ホントにこのヒトには・・・敵わない。つられて腫れた目が、細くなるのを七菜江は感じた。  「じゃあ、里美さん。今度は私が里美さんを・・・・いえ、ファントムガールを助ける」  「!!・・・・だから、ナナちゃん、そんなふうに責任感じなくても・・・」  「ううん、違うよォ。そおゆうんじゃなくて、里美さんを助けたいから、助けるの。ね。お願い、なんでもするから、手伝わせて!」  自分の発言を逆に利用されて、里美に動揺が走る。なんと答えていいのか、考えあぐねている様子が、その表情からはハッキリ伝わってきた。  「・・・・・お嬢様」  扉の側で、ずっと不動の姿勢を崩さないでいた、執事の安藤が、なにやら意志を乗せた口調で、主を呼ぶ。当然、この執事もファントムガールの正体に、一枚噛んでいたのは間違い無い。  「・・・・・・・・・・・・・」  「お嬢様」  「・・・・・・・・・・本当は、こんなことになる前に、話しておきたかったのだけれど・・・・・・ナナちゃん、ファントムガールについて、あなたに話したいことがあるの。付いて来て」
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