【番外】月灯の魔術師(ロビン)

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【番外】月灯の魔術師(ロビン)

 酒場をするのは、長い間の夢だった――。  ロビンは、開店前の【酒場】クロツグミの、無人の店内を見渡す。  サピアが店にやってくるまでは、もう少し。  がらんとした店の中で、本日のオススメメニューを考える。  元々、ロビンは多忙を極める宮廷魔術師だった。勇者の旅に同行したのは、当時仕えていた国からの命令だった。魔王を倒したら――自由を。それがロビンの望んだ事柄であり、報奨金よりも欲していたのは、己の時間である。相応に宮廷魔術師という職は多忙だった。 「こうして店を出せたのですから、私は幸せですね」  微笑しながら立ち上がり、ロビンは黒いエプロンを締め直した。  今日も、店が始まる。  店の扉が軋んだのは、それからすぐの事だった。連れ立って訪れたのは、サピアと、一番の常連客であるルクスだ。サピアの細い腰を抱き寄せるようにして入ってきたルクスを見て、愛が伝わって来るものだから思わず両頬をロビンは持ち上げた。幸せそうな二人を見ていると、この店を開いて良かったと感じる。二人を巡り合わせたのは、己の店であるからだ。 「どうぞ」  カウンターに座ったルクスに、ロビンは麦酒を差し出す。その後続々と訪れた客には、サピアが注文を取りに行く。毎夜の店の表情に変わった店内で、それからは閉店まで、忙しなさを楽しみながら、ロビンは充実感を覚えていた。  ――賄いを食べてから共に帰っていくサピアとルクスを見送り、ロビンは閉店作業をする事にした。初めは表の扉、次に店内の窓を戸締りしていき、最後に裏口へと向かう。ゴミ出しという作業もする為だ。いつも閉店して一時間ほどしてから、ロビンはゴミを出しに向かう。集積場は、店から少し歩いた角にある。 「ん?」  ゴミ袋を両手に二つ持って目的地に向かったロビンは、ガサゴソと音がする事に気づいた。 「っ」  すると慌てたように、ゴミ袋の合間でビクリと一人の少年が体を揺らしたのが見えた。反射的に顔を上げた少年の頭部からは、猫によく似た耳が見える。暗がりでも、少年の白い両頬が汚れているのが見て取れ、手にはゴミ袋を破って取り出したらしい、残飯を持っている。じゃがいもの皮だ。 「君はここで何を?」 「!」  ロビンが声をかけると、少年がその横をすり抜けようとした。ロビンはすっと目を細めて、猫獣人の少年の長いしなやかな尻尾を掴んだ。 「わ! ち、違うんだ、お腹が減って……っ、は、離せ! 離せよ!」  涙ぐみながら少年が声を上げる。キジトラ模様の耳と尻尾が動いている。尻尾をさらに引っ張り、ロビンは嘆息した。 「だからといって、ゴミを荒らしてはダメだね。きちんとまとめなおすようにして下さい」 「……っ、け、けど」 「『けど』も『だって』も、ありません。そうですね、きちんと清掃出来たら、ご褒美にご馳走しますよ」 「え?」  ロビンが微笑しながら尻尾を離すと、少年が目を丸くした。  ――一時間後。 「俺は、ユノと言うんだ」  クロツグミのカウンターに、猫獣人の少年は座っていた。ロビンが渡した濡れた布(タオル)で顔を綺麗に拭いたユノは、先程までよりも身奇麗になっている。 「美味しい、これ!」  ロビンが差し出したオムライスを食べながら、キラキラした瞳でユノが笑う。うっとりするような少年の顔を見て、奥の椅子に座り、カウンターに頬杖をつきながら、ロビンは尋ねた。 「君は、孤児ですか?」 「うん……気づいたら、この街で、いつも一人だった」 「それでは食事は、いつも残飯を?」 「……いつもじゃない。たまに、魚を釣るんだ。魚屋さんが釣竿を貸してくれる事があって……」 「定職にはつかないのですか?」 「まだ十三歳だから、どこも雇ってくれないんだ。本当だったらどこかに弟子入りする年齢なんだけど、弟子入りするお金も無いから……」  各地に、こうした孤児が多い事を、ロビンは知っていた。魔王との苛烈を極めた戦い、魔獣の襲来において、大陸全土では多大な被害が、過去に幾度も出たのである。ロビン自身もまた、孤児だった。過去には、ユノと同じように野菜の皮を食べた記憶もある。 「では、そうですね」 「え?」 「出世払いとしましょう」 「出世払い? このオムライス?」 「いいえ。貴方を私の弟子としましょう。家は、この上の部屋を使って構いません」 「? 料理人、俺に出来るかな?」 「――貴方には、魔力があるようです。魔術師などいかがですか?」  ロビンが悠然と微笑むと、ユノが目を丸くした。  無論――孤児を片っ端から拾うわけにはいかないし、たった一人を助けたところで、それは自己満足でしかないと、ロビンは理解していた。ただ、ゴミ袋の間にいたユノを見た時、嘗ての自分と重なった。目の前に、過去の自分がいるようだった。そしてロビンは、己に同じように手を差し伸べてくれた、今は亡き師匠についても思い出したのである。師匠もまた、魔術師だった。師匠に与えられたものを、返したい。どこかでそんな想いもあった。 「俺が……魔術師?」 「ええ」  魔力の有無は、見ればすぐに分かる。触れれば尚更だ。先程尻尾に触れた時に、ロビンにはユノの魔力が見えた。  ――こうして、この日から、店の上の部屋で暮らす者に、ロビンの他、ユノが加わった。ユノは店がある日は、店の掃除を手伝いながら、時にはサピアと共におやつを食べる。そして店が休みの日には、ロビンが丁寧に魔術の理論と実技を教えていく。  いつしか【酒場】クロツグミが、カイエの街の名物になる頃には、ユノは既に、ただの孤児ではなく、一端の冒険者となるのだが、それはまた別のお話だ。ロビンに恋の季節が訪れるのも、それと同じ頃、ある春の事である。      (終)
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