24.待ってるから

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24.待ってるから

 地下鉄の入り口で遠藤と別れた。  彼は一度振り返って軽く手を振った。手を振り返すと、彼は微笑んで背中を向けた。地下鉄の階段に消えていく背中を見送って、啓はそっと空を仰いだ。  少し雲が出ているけれど、空は青く、太陽は眩しい。ビルとビルの間を渡っていく風も春の色を思わせる柔らかなものだ。それなのに、頬を撫ぜられると不思議と冷たく感じた。  道路わきのガードレールにもたれぼんやりしていると、スーツのポケットでスマホが振動した。のろのろと取り上げて表示を見る。澤守葵だった。  名前を見たとたん、なんでだか泣きそうになった。わけがわからない。自分に自分で驚きながら通話ボタンを押しスマホを耳に当てると、相手はふっと軽く息を呑んでから口を開いた。 『昨日は、ごめん』  遠藤と同じようなことを言う。目元を抑えながら啓は尋ねた。 「体調はいかがですか?」 『最悪』  短く答えた声が掠れている。きっと今起きたんだな、と少し笑って啓は言った。 「気をつけて帰ってください。よく眠ったほうがいいですよ」  電話の向こうで声が沈黙する。口を噤むと、ふっと葵が口を開く。 『鍵、返しにそっち行こうと思って』  自分が出勤するときまだ葵は寝ていたから鍵を枕元に置いて出たことを思い出した。啓はガードレールにもたれたまま返した。 「ポストに入れておいてくれていいので」  返事がない。声をかけようとしたとき、ふいに彼が言った。 『あんた、大丈夫?』 「なにがです」  なにが、と尋ねつつも気づいていた。自分の声が普段とは明らかに違うことに。 「まいったな」  低く零し啓は俯く。目頭が熱かった。 『そっち、行くから』  耳の中にするりと葵の声が滑り込む。大丈夫です、と言おうとして啓は唇を噛んだ。そうしないと本当に泣いてしまいそうな気がした。 『今、会社?』  問われて啓は息を整える。目元を抑え啓は必死に口を動かした。 「平気です。仕事しないと」 『早退しちゃえばいいのに』  あっさりと言われて啓は思わず笑ってしまった。会社勤めの人間じゃない人はこれだから、と思いつつ顔を上げる。  少し心に風が入った気がした。 「鍵、帰りに取りに伺いますので家、帰ってください。体調悪いならそのままそこにいてもらっても大丈夫ですが」  電話の向こうで葵は黙り込む。せかすでもなく黙っていると、葵は静かな声で囁いた。 『じゃああんたの家にいる。いい?』 「ええ」  短く答えると、わかった、と了承の声が返る。そのまま電話が切れるかと思いきや、ふいうちのように低い声が耳を震わせた。 『待ってるから』  通話が途切れる。スマホを耳から離し、啓は画面を見つめる。  今日は、今日くらいは彼が言う通り早く仕事を終えてもいいかもしれない、ぼんやりとそう思った。
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