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27.ずっとしたかったから
「どうしたのかな、なんか止まらな……」
笑おうとしたけれどできなかった。はらはらと落ちる涙に当惑していると、後ろ頭に手がかかり引き寄せられた。綺麗に澄んだ目が間近に見える。状況が読めないまま引き寄せられて唇が重ねられた。
口づけはわずかの時間だったけれど、壊れていた涙腺を直すには十分の時間だった。呆然と葵を見つめると、葵は整った唇を持ち上げて皮肉げに笑った。
「泣いているところにつけこむとか俺、最低だよな」
「そんな、ことは……」
ないです、と言いつつ、頬をそっと拭う啓の耳元で、そのとき葵が短く囁くのが聞こえた。
「でも、したかったから」
え、と目を上げると、葵はまっすぐにこちらを見据えて言った。
「ずっとキスしたかったから。あんたに」
胸の中で心臓がどきりと音を立てる。言葉もなく見返すと、葵の顔がゆっくりと近づきもう一度キスされた。
本当なら抗うべきだったかもしれない。でも啓はそうしなかった。
好きなんかじゃない。自分が好きな相手はこの男じゃない。それでも、自分を求めてくれるその腕から自分から身を引きはがすことがどうしてもできなかった。
なんて浅ましくてどうしようもないのだろう。一人で立っていられないからと言ってすがろうとする。そんなどうしようもない自分を彼がなぜ抱きしめてくれるのか、それがわからなかった。
「なんで」
口づけの合間に問いかけると、葵は離れるのを嫌がるように口づけを一度落としてから、なに、と聞いた。
「なんで、僕なんですか。なんで、こんな僕を」
言いかけて言葉は封じ込められた。口づけは深く触れるだけのじゃれ合うようなものではなく気が遠くなった。
「いい加減、敬語やめろよ」
唇を解いた彼に間近で言われ啓は困惑する。
「だって、あなたは僕の担当作家だから……」
「だからなに? あんたは俺より年上だ。年上が年下にため口で話すの、普通だろ」
「いえ、でも、澤守さ」
呼びかけようとした声も口づけの波に落ちて消える。狂おしい口づけに頭が朦朧として崩れそうになると、強い腕が腰に回されて支えられた。とっさに彼の肩に摑まる啓の顔を間近く見つめ葵が囁いた。
「椋」
短く言われ首を傾げると、彼はじれったそうに言った。
「俺の本名。そっちで呼んで」
「りょう……?」
「そう」
満足そうに頷いた葵、椋はそうっと啓の頭を抱きしめる。そのあまりの優しい仕草に啓は狼狽しとっさに彼の胸を押し返そうとしたけれど、椋の唇が首筋に落ちるのを感じ息を呑んだ。
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