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29.間違っているのに
なんでそんな風に言えちゃうんだろう。
わからない。こんな風に愛してもらうだけの資格なんてかけらもないのに。それなのに、抱きしめられると温かくて、胸が詰まってたまらなくて啓は彼にしがみついた。
こんなのだめだ、そう迷っている心とは逆に、体と体の距離を埋めるように腕に力を込めると、椋も強く抱き返してきた。息が止まるくらい抱き合って、そうしてからゆっくりと椋は腕を解いた。急に自分の周りから温度が失せて不安になる。我知らずすがるように見上げると椋は啓からそっと目を逸らして呟いた。
「なんて……綺麗ごとだけ言うのはずるいな」
「なにが……」
「本当を言うと、こうなることをどこかで望んでた。あんたに笑ってほしかった。それでも、それと同じくらい、あんたを抱きしめたいと思ってた」
卑怯だよな、と顔を歪める彼を啓はぼんやりと見上げる。
確かに褒められるものではないかもしれない。けれど自分にはそれを責める資格なんてない。
自分は彼を好きじゃない。好きなんかじゃない。なのに腕が解かれた瞬間、どうしようもなく心が痛くなった。離れないで、そう言いたくなってしまった。
自分のほうが卑怯だ。
「僕には、責められない」
「啓?」
怪訝そうな目がこちらを見下ろす。掠れた声で啓は言った。
「振られたその日なのに」
やり場のない手を上げてそっと胸の辺りの服を掴む。そうしないと震えてしまうから。啓は固く目を閉じるとうめいた。
「あなたと離れたくないと思ってしまった。あなたを……責める資格なんてない」
彼はなにも言わない。不安のまま見上げた視界の中にこちらを見つめる椋の潤んだ瞳があった。
「あんたが俺を好きじゃなくてもいいよ」
啓を見据えたまま、彼はゆっくりと言った。
「一緒にいよう」
そんなのだめだ、そう思った。ゆるゆると首を振った啓にもう何度目かわからない口づけが落ちる。心が溶け出しそうなその感触に啓は霞のかかる頭で考える。
彼は自分の担当作家で、自分よりもずいぶん年下で、おまけに自分は彼を愛していない。
そんな関係絶対間違っている。そんなこと誰に言われるでもなく自分が一番わかっているのに。それなのに。
そのすべてのタブーを塗り替えるくらい彼のキスは甘く、そして温かかった。
間違っているのに。
それなのに、啓は彼の背中に手を回した。ぎゅっと抱きしめると、彼は大きな目を一度見張ってからそうっと啓の髪をまた撫でた。
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