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38.彼の絶望
十年前。あのころ自分は大学生で、時折サークルの活動でボランティアをしていた。そのボランティア先に西応大学病院があった。そこで入院している子供たちと話をしたり、レクリエーションをしたりすることが自分たちの役目だった。
「死ぬからなに?」
夏だった。あの日いつも通り病院を訪れた自分の耳にがしゃん、となにかが倒れる音と誰かがそう叫ぶ声が聞こえた。廊下を行き過ぎようとしていて足を止めると、病室の一つの入口にかけられたカーテンが大きくはためいた。
松葉づえにすがりながら病室を飛び出してきたのはひとりの少年で、彼は室内の誰かに向かって怒鳴った。
「走れなくなるくらいなら死んだ方がましだ!」
「椋くん!」
室内から医師が出てくる。引き留めようとした腕を全身で拒絶して松葉づえを乱暴に進めようとした彼の体が傾くのが、すぐそこにいた啓にははっきりわかった。思わず手を伸ばして転倒しそうになった彼の肩を抱き止めると、淡い色彩の大きな目が間近にこちらを見た。
彼は一瞬驚いたように目を見張ってから、瞳を険しくして乱暴に腕を払った。ぎこちない仕草で松葉づえをついて去っていく細い背中の彼。
それが澤木椋だった。
澤木椋は中学三年で、病棟の中では年長の部類にあった。綺麗な顔立ちをしていて美少年という言葉がぴったりで、女子学生たちはボランティアでありながらも彼の容姿にきゃあきゃあ言っていたし、看護師も彼を贔屓目に見ている素振りがあったが、本人がそれをよしとしている様子はまったくなく、むしろただ迷惑そうにしていた。いつも不機嫌な顔ばかりしている少年。それが自分の中での彼の印象のすべてだった。そう、医師と言い争うあの光景を目にするまでは。
あの一瞬、彼の目の中に見えたもの。それは思い通りにならない悔しさ、憤り。そして、絶望だった。
十五の少年が背負うにはあまりにも悲しすぎる感情があふれているように見えた。
「椋くんはね、足を切らなかったら長くは生きられないって言われてるの」
数日後、再びボランティアに訪れた際、顔見知りの看護師に思い切って澤木椋について尋ねると、彼女は眉を曇らせて教えてくれた。
「足に悪性の腫瘍があってね。化学療法もしていたけど、あまり効果も見られなくてね……。彼の場合、病巣が大きくなり過ぎて神経を巻き込んでもいるからもう切るしか方法がなくて。ほかの臓器にまで転移する前に手術が必要なんだけど。彼、陸上部で高校もスポーツ推薦決まってたらしいから余計に思いきれないんでしょうね」
「そう、なんですか」
それがあの絶望の理由だったのか。
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