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二章 記憶
思い返すと胸が痛む程に美しすぎる記憶に溢れている。
無邪気に駆けた中庭も、静かに眠った昼下がりのベンチも、広げて読んだあの本の一説も。
「やっぱり僕には……」
プロットを書き出した紙をまるめ、机に突っ伏す。
書けるはずだった、忘れられるはずもない貴女との物語を、僕の言葉で綴れると思っていた。
思い出すことの一つ一つが僕には痛くて、眩暈がするくらい眩しかった。目を逸らし続けた過去が、僕を引き留めて離さなかった。
『書けるよ、凪なら』
その言葉が何度も脳を駆け回る、その柔らかい声が、何度も何度も僕の中に響く。
過去が変わらないように、来ることのなかった未来が訪れるように、貴女が主役のプロットを書く。主人公は貴女で、隣にいるのは小さな僕。当時の一瞬を切り取るように記憶の限り、全てを並べた。
「これは……」
何度書き直しても、思うような言葉出てこない。
連ねられていくのは、事実の羅列と身勝手な描写。追いつけない理想の陰が濃くなるほど、そこからかけ離れていく感覚が苦しい。
「月さんなら、今の僕に何て言葉を掛けますか?」
行き詰まった時、僕に必要な言葉をくれた。
優しさと、柔らかさと、暖かさ、時に厳しさと、寂しさ、切なさを僕に『言葉』という形でくれた。
その言葉に救われ、生かされていた。
貴女と手が離れて数年。どうにか僕は、僕自身を誤魔化しながら生きてきたのかもしれない。
『月さんのいない世界を生きる』
という覚悟は、強がりな僕自身の妥協だったのかもしれない。
強くなったフリをしながら、どこかでその存在に縋っていた。思い出さないように小説を避け、夢から遠ざかっていた僕の人生にもう一度『生命』を宿すのなら。
『人と人を結ぶ小説』
そうだ、今の僕は大切なことを忘れている。
僕はただ身勝手な夢を抱えているわけではない、きっと僕は夢を預けられている。
今までの僕の『生』が諦めきれない強がりだったとしたら、貴女に誓った未来を創ることが本来在るべき僕の『生』だと思う。
ー*ー*ー*ー*ー
そして、僕はもう一度ペンを握る。
書き出したプロットに並ぶ主人公は僕でも貴女でもない架空の誰か。
紡がれる物語に懐かしい瞬間は無く、全てがフィクション。思うまま、想像のままに言葉を連ねていく。行き詰まった時に見返すのは窓の外の景色、貴女からの手紙ではない。
「ここの表現は……」
常に頭にあるのは『誰かに届ける』ということ。
どんな言葉が、描写が人の心を打つか。正解のない問いにひたすら言葉で答える日々が続く。
『結稀』という名前を纏って、また違う人生を歩み始めた。
作品を重ね、その度に出逢う人との縁を結んでいく。形のない夢を叶えるために、僕が僕自身になるために。
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