一人目 『ひとりのあさ』

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一人目 『ひとりのあさ』

 ローファーに足を入れ扉を開ける。 午前六時の空気は異様なほどに澄んでいて、静寂の中を自然の調和の象徴のような音が違和感なく通っていく。 見慣れたバス停に着くとちょうどよく、聴き慣れたバス到着のアナウンスが鳴った。 バスの始発、車両の左側、窓際の席に座り絶妙に空いている隙間から風を感じる時間が好きだ。 「……次は……駅、……駅」  この時間の便の乗客は、大抵私一人。 誰もいない車内に入り、誰もいないまま降車する。古びたバスの振動音と、ノイズ混じりのアナウンスだけが響く車内。 一本次の電車に乗れば、毎日顔を合わせるクラスメイトと賑やかな雰囲気で登校することができる。 「でも私は、この時間が好きだったりもするんだよね」  通学鞄から取り出したスマートフォン、絡まった有線イヤホンを解き最大音量に設定し、耳に刺す。私は毎日、早朝の風に揺られながら大好きな映画の挿入歌を聴く。 歌詞はなく、ゆっくりと、時に激しく耳を伝う旋律に浸る。整えた前髪はすでに崩れている。そんなことを気にも留めないまま、ただ静かに目を瞑る。 「  」  仲の良い友達に囲まれ、楽しげな声が飛び交う。 授業中には寝ぼけた隣人を笑って起こし、休み時間には廊下を駆け、部活を抜け出してジュースを買いに行き、気まぐれに寄り道をしながら手を繋ぎ下校する。 私にとっての学校はそういう場所、とても恵まれていて、優しさに包まれている、私の大好きが詰まった場所。  ただ、このひとりの朝も私にとって同じくらい大好きな場所。 「次は……高校前、……高校前」  そのアナウンスを合図に目を開きく。 音楽を切り、窓を少しだけ閉じる、手鏡に向かい前髪と曲がったリボンを正す。 甲高いブレーキ音、焦らず立ち上がり足を進める。 「ありがとうございました」  私が毎朝、一言目に発する言葉は運転手への感謝。 柔らかい微笑みで手を振る数秒に心が和む、表情の下半分は見えないけれど確かな優しいがそこにはあると思う。 校門を潜り昇降口へ向かう、きっと敷地内に今日初めて足を踏み入れた生徒は私だろう。 「おはよう、相原!毎朝早いな」  普段は厳しい生徒指導の彼も、この時間の笑顔は優しい。 軽い会釈と挨拶を返し、教室への階段を登る。案の定まだ誰もきていない教室で、私は今日何をしよう。 迷った末にチョークを握り、日付を書き換える。一番乗りの特権に浸っていると廊下から聴き慣れた声が聞こえた。何もなかったかのように、私は廊下へ駆ける。  
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