3-1 こんな暮らしが、ずっと続けばいい。そう、思っていた。

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3-1 こんな暮らしが、ずっと続けばいい。そう、思っていた。

 ジョンズワートの元から逃げたカレンは、母国からいくつか国境を越えた先、ラントシャフト共和国の農村に身を寄せていた。  素性もよくわからない、よそもののカレンたちを、村の人々は温かく受け入れてくれた。  おかげで、カレンたちは大きなトラブルもなく、安心して生活できている。  カレンとチェストリーの人柄や容姿が人々をそうさせたのだが――カレンがそれに気が付いているのかどうかは、定かではない。  ともかく、カレンは冬の長い母国・ホーネージュを離れ、緑豊かなラントシャフトで息子とともに幸せに暮らしていた。 「みて、おかーしゃ」 「なあに?」  丘の上にたつ、小さな家の前。  さらさらのクリーミーブロンドに、深い青の瞳をした幼子が、母親に駆け寄った。  家の近くで拾った木の実を、母に見せようとしているのである。  カレンは息子に合わせてしゃがみ、「まあ」と微笑んでみせた。  まだ幼い息子の頭を撫でれば、えへへ、と笑って母の手を受け入れた。  ジョンズワートの息子でもあるショーンは3歳となり、最近では、見た目も行動もますます父親に似てきた。  身体の弱いカレンを気遣ってのことではあったが、ジョンズワートも、よくこうして木の実や花を見せてくれたものだ。  カレンとジョンズワートは3歳差だから、ジョンズワートが3歳だった頃の姿は知らないけれど。  いつかに見た幼い彼の姿絵と、息子のショーンはそっくりだった。  愛する人と息子がよく似ていることは嬉しくもあったが、不安にさせる要素でもあった。  髪や瞳の色も、顔つきも、行動も。完全に父親から継いでいるのである。  チェストリーが金髪だったおかげで、今のところ、自分たちの子供だということにできているが……。  見る人が見れば、ジョンズワートの子だとすぐに気が付いてしまうだろう。  ショーンは、デュライト公爵の正妻だった自分が生んだ、彼の長男。  この子のことが知られたら、カレンたちの生活も、ジョンズワートの今も壊してしまう。  自分たちのためにも、ジョンズワートの邪魔をしないためにも、ショーンのことはなんとしても隠し通さねばいけなかった。  ショーンに対する申し訳なさ、心苦しさもあったし、公爵家に残るべきだったのでは、と思う日もある。  けれど、もう後戻りはできない。  ショーンの存在を隠し通したうえで、この子を心身ともに健康に育てる。  それが、今のカレンにできることだった。  ジョンズワートを想って姿を消したカレンであったが、この国に来てから、彼に関する情報には一切触れていない。  もしも、彼が再婚した、サラを妻にした、なんて話を知ってしまったら、耐えられる気がしなかったからだ。  聞かないように、知らないようにすれば、カレンの中のジョンズワートは変わらない。  知ることさえなければ、カレンは傷つかなくていいのだ。  幸い、複数の国境をまたいでいるからか、意図して情報を求めなければ、彼の話を聞くことはなかった。  チェストリーもカレンの気持ちを理解しているから、ジョンズワートの話はしてこない。  これでいいのだ。このままジョンズワートから離れて、他人として暮らしてくのだ。 「ただいま。ショーン。カレリア」 「おとーしゃん!」 「おかえりなさい、あなた」  まだ明るい時間に、獲物を担いだチェストリーが帰宅した。 「今日はずいぶん大きな獲物がとれたのね」 「運ぶのが大変だったよ。これから処理するから、ショーンは離れてるんだぞ」 「えー」  ぶすっとするショーンを、カレンがなだめる。  刃物を使うから、子供がうろうろしていると危険なのだ。 「ショーン。母さんと遊んでくれる?」  ショーンはまだむーっとしていたけれど、カレンと手を繋ぎ、大きな木の下へ向かって行った。  チェストリーと同じく、カレンも髪を切った。  腰まで届く長さから、肩につくかどうかぐらいに。  さらさらとなびく美しい髪が見れないのは、少し寂しいが。今のカレンも、十分すぎるぐらいに綺麗だと、チェストリーは思っていた。  夫婦を装っているものの、今も心は軽口を叩く従者だから、綺麗だなんて言わないが。    手を繋いで歩くカレンたちを、チェストリーは穏やかな気持ちで見送る。  あなたは自由になってもいいんだと、カレンに言われることもある。  けれどチェストリーは、この親子を放ってどこかへ行こうだなんて思っていなかった。  カレンに恩があるから、というのも大きな理由ではあるが……。一緒に過ごすうちに、チェストリーはショーンを自分の子のようにも思い始めていた。  自分を助けてくれた主人と、本当の息子のように可愛い幼子。  二人のために、二人がより幸せになれるように。彼はそれを大前提として動いていた。  この農村で、チェストリーは山での採集や狩りをして稼ぎを得ている。  自然の恵みを得たら、捌いたり加工したりして、近隣の店に卸しているのだ。  幼い子供がいるため、主にチェストリーが仕事をして稼ぎ、カレンは家事と育児を行いつつ、少し余裕があるときに彼の手伝いをしている。    離れた土地にいるとはいえ、流石に本名を使うわけにはいかず。今はそれぞれカレリア、チェスターと名乗っている。  偽装夫婦だと知られるわけにもいかないから、互いの呼び方も変えて。  恋愛感情はないものの、仲はよかったから、夫婦だと言えばみながそれを信じた。  このままずっと、チェストリーを自分に縛るわけにはいかない。  カレンはそう思っていたが、そばにいてくれる彼に、甘えてしまっていた。  自分だけならともかく、ショーンを健やかに育てるためには、彼の力が必要であることも事実だった。  ショーンがもう少し大きくなるまでのあいだでも――この穏やかな暮らしが続けばいいとも思っていた。  母国から、二人の男がこちらに向かっていることなど知らず。
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