3-10 みんな、もういっぱいいっぱいで。

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3-10 みんな、もういっぱいいっぱいで。

 カレンは必死に走った。しかし、カレンは特別足が速いわけでもない女性で。幼子まで抱いている。  対するジョンズワートは長身の男性。運動神経もいい方だ。  歩幅も速度も、ジョンズワートが圧倒していた。 「カレン。待って、カレン!」  大した距離も稼げず、カレンはあっという間にジョンズワートに捕まってしまう。  カレンは肩を掴まれても抵抗を試みた。  しかし、ショーンを抱いたままでは、たいしたことはできなかった。  ほぼ同時に追いついたチェストリーも、彼女を落ち着かせようと試みる。 「やだ、やめて、離してください!」 「カレン、落ち着いて。乱暴する気はないから、一度落ち着いて話を……」 「離して!」 「お嬢、ジョンズワート様は、貴女にもショーンにも危害を加えるつもりはありません。ですから……!」 「どうしてそんなことが言えるんです!? ショーンのことが知られてしまったのですよ!?」 「それも問題ありません。ショーンのことが知られても、困る者はいません!」 「ですが……!」 「本当に、なんの問題もないのです! カレンお嬢様!」 「っ……!」  チェストリーの言葉に、カレンはぐっと唇を引き結び、瞳には涙を溜めながらも、抵抗をやめた。  落ち着いてくれたのかと思い、男二人がほっとしたのも束の間。  カレンは、きっと男たちを睨みつけた。 「……チェストリー。突然のことだというのに、驚いていないのですね。まるで、ジョンズワート様がここに来ることをわかっていたみたい」 「それは……」 「あなたが情報を流したの? 私がここにいると」 「…………はい。それが、あなたたちのためになると、思ったからです」 「……そう」  カレンの瞳は、暗く濁っていた。  俯き、どこか諦めた様子の彼女は、逃げ出したときからずっと抱いていたショーンをおろす。  大人たちのぎすぎすした雰囲気に、ショーンも戸惑っているようだった。  信じていた従者に情報を流されたカレンも、本人の許可を得ずジョンズワートに彼女のことを知らせてしまったチェストリーも、両者気まずく、言葉が出ない。  自分の「両親」が喧嘩をしたと思ったのか、ショーンなどもう泣きだしそうな状態だ。  そんな中、最初に動いたのはジョンズワートだった。  涙をこらえるショーンに近づき、屈んで視線を合わせ。努めて優しく、幼子に話しかける。 「……きみの名前は?」 「……ショーン」 「そうか、ショーン。初めまして。僕はジョンズワート。ジョンズワート・デュライト」  ジョンズワートの大きな手が、まだ幼いショーンの頭を撫でた。  本当の父親と息子の、初めての出会い。初めての会話。  年齢が違うから、今の二人の顔が一緒とまではいかないが。  同じ色を持つ二人が向き合い話す姿は、なんだかとても自然なもののように感じられた。  先ほどまでつらそうにしていたショーンも、今はジョンズワートを見て青い瞳をぱちぱちさせている。 「じょん……らい……? んー……」 「ワートでいいよ」 「わーと、おじたん」 「おじさんかあ……」  おじさん扱いに苦笑しつつも、ジョンズワートは穏やかな表情を浮かべている。  彼がショーンに向ける瞳は、愛しい者を見るときのそれだった。  初めて会う他人の子供に向けるものだとは、到底思えない。  もう、わかってしまったのだろう。この幼子が、自分の息子であると。 「カレン。この子は……」 「……がいます」 「え?」 「違います。あなたの子ではありません!」  ジョンズワートはまだ、「自分の子か」と聞いていない。  なのに「あなたの子供ではない」と否定してしまった時点で、ジョンズワートの子であると自白してしまったようなものなのだが……。  今のカレンに、それに気が付くほどの余裕はなく。 「もう、どうしたらいいの……」  カレンの緑の瞳から、涙がこぼれ始める。  ジョンズワートに再会して。ショーンのことも知られて。従者が情報を流していたことも知って。  負担の大きい出来事が連続して起こって、カレンはもう限界だった。  ショーンもつられて泣き始め、親子そろって涙を流す状態に。  カレンがあまりにも苦しんでいたからか、男たちもなにも言えなくなってしまった。  ジョンズワートが近くにいる限り、この親子が泣き止むことはないだろう。  彼もそれを感じ取ったようで。 「カレン。僕は一度離れるよ。落ち着いた頃、また話してくれると嬉しい」  そう言って、名残惜しそうにカレンたちから離れて行った。  チェストリーはその場に残ろうとしたが、カレンに拒絶されてしまい。  男二人は、その場を立ち去ることを余儀なくされた。    このときは、カレンだけではなく、ジョンズワートもチェストリーもいっぱいっぱいだった。  だから、自分たちに向けられた視線の中に、悪意が混ざっていることに気が付けなかった。  これだけ騒げば、他の者たちにも話を聞かれてしまう。彼らの会話を聞いたのが善良な者だけだったら、まだよかっただろう。  だが、世の中には色々な人間がいるもので。   「ジョンズワート……?」  一人の男が、にやりと笑った。  死亡説まで流れる妻を探し続ける、一途な愛妻家。ジョンズワート・デュライト公爵。  彼の話を知る者は、このラントシャフトにもいる。  男は、カレンこそがジョンズワートが探し続けた妻であることを理解した。
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