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1-3 楽しかった、本当に。
「カレン、僕の言う通りに」
「は、はい!」
夏も近い頃のことだった。
冬には銀世界となるこの地にも、一応だが四季はある。
寒い季節が長いため、青々とした芝生で遊べる時間は貴重だ。
15歳のジョンズワートは、カレンを乗馬に誘っていた。
二人乗りの鞍をつけて、カレンは前の席で横向きに。ジョンズワートが後ろに乗って手綱を持ち、カレンを支えながら馬に指示を出す。
カレンが元気になったら一緒に楽しみたいと思い、二人乗りの練習を重ねていたのである。
元より優秀なジョンズワート。
馬術の師匠にもお墨付きをもらい、アーネスト家からも許可を得て、伯爵家のご令嬢を自分が操る馬に乗せた。
カレンの従者の男・チェストリーも、少し離れた場所から二人を見守っている。
冬の長い国なうえ、カレンは病弱だったから、彼女が乗馬を楽しむのは初めてだった。
いつもより高い視線。風を切る心地よさ。馬が大地を蹴る振動。すぐ近くに感じる、ジョンズワートの温もり。
それら全てがカレンを高揚させた。
「すごい、すごいです! ワート様! すごく気持ちいい……!」
片手をジョンズワートの胸に置き、カレンがはしゃぐ。
ジョンズワートもまた、彼女が喜んでくれたことが嬉しくて、いつもより近い体温が恋しくて。すっかり舞い上がってしまった。
本当に、本当に嬉しかったのだ。――嬉しすぎて、習った通りのことができなくなるぐらいには。
もっと喜んで欲しくなって、ジョンズワートは馬を走らせた。
スピードは控えめだったし、走っている最中はカレンを守ることを忘れてはいなかった。
けれど、その後。
馬を停止させ、カレンをおろすときに事故が起きた。
「カレン。気を付け、て……」
「あっ…………」
高い位置で足を滑らせたカレンが前に向かって倒れていき、頭から地面に落ちてしまった。
気が緩んでいたジョンズワートは、カレンを落馬させてしまったのだ。
カレンは初めての乗馬だったというのに。ジョンズワートの指示や支えが、足りていなかった。
「カレン……! カレン! 返事をして、カレン!」
「う、ん……。わーと、さ、ま」
カレンの意識ははっきりせず、額からは血が流れていた。
すっかり動転したジョンズワートは、カレン、カレン、と彼女の名を呼ぶことしかできない。
「どいてください! お嬢、大丈夫ですか!」
そんなジョンズワートとカレンの間に入って容態を確認し、医者に診せるよう手配したのは、チェストリーだった。
チェストリーのおかげで、カレンはすぐに医師の処置を受けることができた。
従者が主人を守るのは当然のことだが――ジョンズワートは彼女に怪我をさせただけで、何もすることができなかった。
処置の甲斐あって、カレンはその日のうちに会話ができるところまで回復。
しかし、額に怪我をしており、傷が残るだろうと言われていた。
「はしゃぎすぎた私も悪いのですから、どうか気になさらないでください。ワート様」
意識を取り戻したカレンは、ベッドの横でうなだれるジョンズワートにそう声をかけた。
それはカレンの本心だったが、ジョンズワートの心は晴れないし、本当に気にしないわけにもいかなかった。
見えにくい位置とはいえ、伯爵家の長女の顔に、傷をつけたのである。
それも、好きな子と過ごす時間が楽しすぎて舞い上がり、必要な指示や支えを怠った、という理由で。
「カレン……。僕は、君をひどい目に……」
「……そんなことありませんわ。私、とても楽しかったのですよ」
「けど……」
「ワート様……」
ジョンズワートは、俯きながらぐっと唇と噛みしめる。
あまりにも辛そうな彼の姿に、カレンも何も言えなくなってしまった。
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