らいぶ・ら──The Believe day.

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 ──家の中の他人が消えてよかったわね。  父が交通事故で亡くなった日。  誰もいない部屋で、どこかを見ている母は虚無な笑顔でそう言った。  とても印象に残っている。  父親が死んだのは、(しゅう)が小学校四年の秋。  土曜日の午後。琴子(ことこ)と柊は一緒に買い物に出かけていた、いつも通りの休日の午後。  突然、琴子のスマホに警察から着信が入った。 「え? はい。水無孝平(みずなしこうへい)は私の夫ですが、警察? なにかやったんですか?」  警察と話を進める間に顔色が悪くなる母親を見つめながら、柊は買う物リストを眺めてお菓子コーナーへ行こうとしたところで腕を掴まれる。 「え、夫が交通事故で死んだ? なんの冗談ですか」  琴子のひきつった声、瞠目して半笑いの顔。異常事態なのだろう思った。 「はい、はい。わかりました。すぐに確認に伺います」  通話が終わったタイミングでなにがあったの? と問いかけるが、答えは返ってこない。  今まで買い物カゴに入れていた商品を棚に戻して足早にスーパーを出た。 「あの人、事故で死んだかもしれないんだって。面倒だけど確認しなきゃ」 「え、お父さん死んだの?」 「死んだか確認するの。交通事故で亡くなった人が免許証を持っていたから連絡が来たけど、一応家族が確認するのよ」 「そうなんだ」  タクシーを呼ぶか、公共交通機関を使って警察署へ行った方が早いかを確認した結果、地下鉄で行くことになった。 「まったく、面倒くさいこと」  ぼそりと落ちてきた言葉は聞こえなかったことにした。  はじめて入る警察署、はじめて間近で見る警察官、全てはじめての体験で、父が死んだという感覚がないまま、父の遺体と対面した。  真っ白なシーツのかかったベッドと、ろうそくと、お花と線香。祖母の家で見た仏壇と同じものが簡素な机の上に乗せてあると思った。 「ご確認をお願いいたします」  婦警さんが、父の顔を見えるようにシーツをめくる。  土気色とはこういう色なのかと思う。白にはなれない黄土色のような顔が見えた。 「……っ、たしかに、私の夫です」  なにかを耐えるような声で母が言う。  血の匂いが強い。交通事故だったというから、身体に損傷があるのだろうが顔は無事でよかったのだろう。 「では、手続きなどをお願いいたします」  事務手続きを行うために、父を残して部屋を後にした。 「なんにせよ、お義母さんたちにも連絡して、実家も、連絡して、忙しいわね。今日はお総菜にしましょ。ね」  誰に向かって話をしているのかわからないまま、母と共に惣菜を買って帰宅した。 「生命保険に入ってたらしいけど、とりあえず書類とかも整理しなきゃだし、色々手続きして、月曜日からできるようにしなきゃね」  あぁ忙しい。と母は呟く。 「僕は、学校行く?」 「そうね、まだお父さん帰ってこないから、お葬式あげれないし、家にいても寂しいからね」 「そうなんだ。そうだね、学校行くよ」  曖昧に笑う母と一緒にご飯を食べて、その日は寝る。父が帰らない違和感がしこりのように柊の心に残った。  子は(かすがい)というけれど。  鎹なんて、それは子を想う人だけだろう。  子を道具として見るならば、  それはただの生きた人形でしかないのだから。 「この間、夫が事故ったとか連絡がきてさ。意味わからん。迷惑。マジで迷惑なんだけど。これさ、自殺じゃないって確認できないと慰謝料も保険金も貰えんじゃんね。なんでこんな面倒くさい死にかたしたかなって思うんよね」  母が誰かと通話しているのが聞こえる。  友達なのだろうか。  ゲラゲラと笑い声が聞こえる。 「そうなんよ。金蔓いなくなりやがったんよ。ATMっていってもそれほどだったけど。まぁ、お金は入るからいいけどさ。それでも迷惑じゃんね。死ぬなら私に迷惑かけるなって話。子供もいるのにさ」  聞こえないと思っているのか、聞こえてもいいと思っているのか。 「うん、そうそう。あの人は一人っ子だったし、親しかいないからね。まだ終了手続きはしないよ。ちゃんと貰えるものは貰わなきゃね。柊も大変だろうけどまぁ、どうにかなるでしょ子供だし」  この家は、父親と母親と子供。三人暮らしの一般的な家庭。  母は節約しながら働いて、子供を一人で育てていた。  父は外に仕事に行き、家でも持ち帰った仕事をしつつ、遊びにも連れていってくれた。  案外、父は優しくて厳しくて、子供のことを理解していたと思う。 「ほら、あの人の集めてたガラクタを売ったら金になったしさ」  父の趣味は釣りとプラモデルだった。  古い物ばかりだが、プレミアのものもあるんだよと話していたのを知っていたのか。  母の通話は終わらない。  葬式もお通夜もまだ終わっていない。  そんなときに話す内容だろうか。 「やっぱ、いらないものは捨てるに限るね。家のなか広くなったし、売ったらお金になるし」  あぁ、そうか。  不要は捨てればいいんだ。  柊には天啓にも似た言葉だった。  お通夜もお葬式も終わり、バタバタとしていた家が静かになったとはいえ、四十九日までは忙しく、一周忌は必ず両家族でやろうという話には、母の舌打ちが止まらない。 「ただでさえ死んだだけでも迷惑なのに、ここまで面倒くさいことになるなんてね」  舌打ちと、ため息を繰り返すだけの母を知っている人はいない。  外行きの顔は良いから、親族からは「いい嫁」「いい娘」と言われている。  たぶん、すこし違う普通の家族。 「柊は、面倒をしたらだめよ」  面倒とはなんだろう。と柊は考える。たぶん普通の主婦で、普通の家庭で、普通の子供でどこでこの歯車は狂ったのかわからない、しこりのような違和感だけを柊に植え付けた──家族。  家の中は母の買った物で溢れてきた。  賠償金、遺産が手に入ると確定した頃から金遣いが荒くなっていった。 「あれだけ迷惑かけられたんだから、ストレス発散にドラッグやギャンブルにいかないだけいいと思うわ。自分で」  そう言われれば、なんとも言い返せなかった。  一人で育児に仕事、そして家事も、全てやって貰っているのだからと思う。 「あぁ、そうそう。あんたにも保険金かけたよ。私もだけどさ、死んだらお互いお金入ってくるようにしたから」  ──不要は捨てる。  母の言葉が浮かんで消えた。  それから、母がなにを言っていてもこの言葉が離れない。  学校は休まずに行き、友達と遊び、帰りはコンビニで買い食いをする普通の生活。  家に帰れば、母が買った荷物たちに埋もれる部屋を眺めるばかり。 「いらない、なぁ」  なにが、いらないだろう。  荷物が、いらない。  なにが、いらないだろう。  荷物を買う人が、いらない。 「……不要は、捨てるんだったな」  子は鎹。  両親の鎹だけではなく、家同士の鎹。  母は、父方の祖父母の遺産を長い目で狙っている。 「うん、いらないね」  母が買った荷物は売ればいい。できれば返品しよう。  それ以上にいらないものを、捨ててしまおう。 「ただいま、柊。ご飯どうする?」  いつも通り仕事から帰った母に、作ったハンバーグをなんとはなしに出してみる。  とても喜んでくれた。  洗い物も済ませて、お風呂も準備してある。 「今日はなに? 母の日でもないでしょ」 「うん、なんとなくだよ」  僕にとっては、いつもより少し特別な日。 「ねぇ、おかあさん」 「なに、どうしたの?」 「不要は捨てるって言ってたよね」  風呂あがりの濡れた髪をタオルドライする母の背中に包丁を突き刺した。 「え?」 「おかあさんも、要らないなって思って。あぁ、別に僕が必要とされているわけじゃないよ。知ってる。でもね、僕も要らないなら、あなたをころしてもいいでしょ?」  悲鳴と抵抗。  殴られたのははじめてかもしれない。そういえば、人間はどうやって捨てればいいのだろう。袋にいれて可燃物かな。などと呑気に考えながら、背中の次は喉を突き刺す。 「おかあさん、たまに叫んでたから近所の人迷惑だって言ってたの知ってた?」  他人へ迷惑をかけるのもだめ。  家族に迷惑をかけるのもだめ。 「……んで」  ゴフリと血の泡が口から出てきて声にならない声と、奇異な子供を恐れ、それ以上の怒りの視線が柊を貫く。 「……なんで? だから、要らないと思ったんだ。僕は学校で『人を殺してはいけません』って習ったんだ。誰かを虐めても、虐めた人にも人生があるんだって。でもさ、虐められた人はどう思うのかなーと思って、考えた。考えて考えて、やっぱり理不尽だなって思ったんだ。だってさ、僕の家では、要らないものは捨てるんだよ? だったら、要らない者を棄てても問題ないよね」  柊は罪とは教わらなかった。  他人の言葉だけで、この家の『普通』にはあたらない。  この家の『ルール』だ。 「あ、もうそろそろ死んじゃうかな」  罪悪感も、人を殺した恐怖もない、無邪気な笑顔で柊は笑う。 「おかあさん、産んでくれてありがとう」  頸骨まで達した包丁がゴリッと骨を削る。 「産んでくれたから、おかあさんを殺すことができた」  大きく痙攣をして、琴子は息を引き取った。大きな血だまりが琴子を中心に広がっている。 「んー、汚いな」  掃除が大変だ。最悪、血と臓物の臭いが取れないかもしれない。 「バスタオルと、なにがいるかな……雑巾? 足りるかな」  日常的に家事をしていたから、ゴミ袋の場所も、ゴミ捨ての曜日も、判っている。  普通の主婦で、普通の家庭で、普通の子供で、この歯車はどこまで狂っているのか。  翌日、どうにも人の骨を切れず困った柊は母方の祖母に連絡をした。そこから警察へ連絡が入ることとなる。 「少年保護法とはいえ、子どもが親を殺してあの程度なんて……」 「虐待の可能性……」 「祖父母はどうしていたのか」 「児童相談所はなにを……」  水無柊、あらため少年Aは時の人となった。 「母から、不要は捨てると教わっていた。だから、母を捨てるために殺しました」  この一言は家庭、学校教育について再考させるものとなり、少年Aの話題でもちきりとなった。 「家族のルールと、外のルールが違うのは判ります。でも、母はどこまでも自由だった。その自由に倣っただけです」  人当たりのよい笑顔が、そら恐ろしい。  少年保護法に護られた少年は、刑期を終えれば名前を変えて釈放される。  少年Aを世に放すと、同じ事をするかもしれない。  そんな恐怖心が世間に侵食した。 「これからもよろしく。世間さま」  ──この話はどこかにいる、普通の、家庭の話である。
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