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3.新入生に、水難
あだら先生が壇上に立ち、右手を天井に向けると雷の音が鳴り響き、強い稲光が走った。
灰色の雨雲が増殖しながら、一気に生徒の席までどろどろと流れていく。
上級生たちは、準備していたのか雨合羽をとりだし一斉に頭に被りだした。
「一昨年は二人、去年の新入生に一人、天気の予知に特化した子がいました。その子たちは、誰に言われるまでもなく合羽を持参して、これから起こる難を逃れる事ができたのです。今年は、0人ですか」
あだら先生がそう言って右手をゆっくり下げると、雨雲からにわか雨が降り注ぎ、新入生たちはずぶ濡れになった。
ロウル先生は、「一人もいないっていうのも珍しい年ですね」などと言って笑っている。ちょっと離れた場所のエリさんに話しかけているだけなのに、ロウル先生の声はこちらまで充分に響く声だ。
「まぁ、いいでしょう。私は魔法薬、魔法学担当のあだらです。火、風、水、土、世界には四大元素が存在しますね。自然界の力を使った魔法を教えます。かなり基本的な知識と技術です。白魔女だろうが、黒魔女だろうがここを押さえておかなければ、優れた魔法は使えません。先ほどのように雨を振らせるようなことは勿論、何もないところから炎を出現させて、城ひとつ燃やし尽くす事すら可能です。魔法薬学も、私が担当することになりますので、よろしく」
あだら先生はそう言って颯爽と去り、教員席に戻っていった。
エリさんは、「毎年、誰がこの水びたしの講堂を綺麗に拭いているかご存知ですか?」と小言を言いつつ、あだら先生の椅子をひいてあげている。
「毎年、お手間をかけてしまって。しかし今年は、生徒の何人かに手伝わせましょう。目星はついています」とあだら先生は、エリさんの手をとって言った。
エリさんは丁寧に手を振りほどいたかと思うと、そそくさと壇上に上がった。
「私は、森と寮の番をしているエリです。新入生の皆さんは、見かけたら気軽に声をかけてね。私の紹介はこれくらいにして。校長先生の紹介も、させて頂きたいところですが本日、校長先生はお体の調子が良くないようなのです。クラス決めの時に、改めて紹介させて頂くことになるかと思います」
そう手短に話すと、エリさんはすぐに壇上から去ってしまった。
次は、ジオ先生。音楽の教師であり「見えないエネルギー」全般をつかう魔法の技能を教えるという先生が出てきた。元は、この学校の先生でなく特別講師という枠とのことである。
「皆さん、ごきげんよう。見えざるエネルギー、音楽と霊力というものはよく似ている。見えないエネルギーを思うままに扱う事ができるようになれば、君たちの人生、ひいては世界を思いのままにできるのです。実際に、体感してもらう方が早いかと」
ジオ先生が重たそうな紫のコートを脱いで、ざっと後ろに投げると銀色の見事な竪琴がどこからともなく現れた。
竪琴には、竜の頭がついていて目はルビーのような赤い目をしてこちらを睨んでいる。
派手なフリルの白いシャツ姿になったジオ先生を見て、新入生の女の子たちは黄色い歓声を上げた。
少しも気にしていないようなジオ先生は、腕捲りをして竪琴に備え付けてある華奢な椅子に腰掛ける。
そのままジオ先生が見事な演奏をしたせいで、新入生の約三分の一は入学式の閉会を眠ったまま迎える事になった。
在学生の席では、火花のような緑色の光が一斉に散った。彼らは防御する魔法を習い、既に使えたからだ。
シダたちも、目を開けるのがやっとの状態が続きその後の先生の紹介をまともに聞くことができなかった。
眠気眼のままシダたちの耳に聞こえたのは、ロウル先生の「心配するな、先生の名前くらい何度か授業に出ていれば、覚えるからな。毎年のことだから、遠慮せずぐっすり寝てろ」という声と先生たちの楽しそうな笑い声だった。
そして、ほとんどの新入生の入学式での記憶は、そこで止まっている。
気づいたら、シダたち三人はエリさんの部屋の薄汚れたピンク色のソファにいた。
あだら先生もいて「今年は、君たちが一番、長く寝てたのでは」とくすくす笑いをしている。
エリさんは、掃除道具をこれでもかという種類を用意して忙しい、忙しいと呟いていた。
「やっと、起きたわね。これから、あの水浸しの講堂を掃除しますよ。あだら先生とジオ先生も、いっしょに」
「私もですか?私は、これから新入生用の魔法薬の試験の準備が」と、あだら先生はそそくさと出ていってしまった。
エリさんが、大きく溜め息を吐く。そして、何もない所に向かってこう言った。
「ジオ先生、隠れていないで出てきてください」
掃除道具入れの横の空間がゆらゆらと揺れ、まるで透明のカーテンを引いて開けるようにしてジオ先生が現れた。
「俺も、忙しいんですけど。この子たちが、さっきみたいなことにならないよう、防御する技能を1学期の初めの段階で習得させるための課題を準備しなければいけないんです」
「そうやって、言い訳して。課題の準備くらい、ちゃちゃっとできるでしょう。ジオ先生の授業なんて、道具はほとんど使わないしテストも体一つでできる実技だし」
「よく、ご存知で。力仕事には、自信がないんですが。手伝いますよ。君たちが、モップで。俺が見守る役」
エリさんはまったく、と吐き捨てるように呟くと「先に、行ってますよ」と部屋を出ていってしまった。
ジオ先生も「さぁ、早く終わらせよう」とシダたちと目も合わせずに先を急いだ。
「私たちが、モップで先生は見守るだけ?ずるいですよ」
「だって、そんな仕事は契約書になかったしやる義務はないよ」
「見守るだけなら、私たちだけでもいいかななんて」とシダが言うと、ジオ先生は振り返った。
「そうだね、でも行かないとエリさんに嫌われちゃうから」と気力がない顔で答える。
「でも、手伝うことは手伝うよ」と言うと、ふふっと笑って革靴をカツカツ鳴らしながらシダたちを置いて、またどこからともなく現れた霧に、溶けるように消えてしまった。
講堂に戻ると、床はまだ水浸しだった。先についたエリさんは、舞台の飾りつけの撤収をしている。
黒いカーテンがぐるぐると巻かれ大きな塊になり、舞台の床に無造作に放り投げられている。
ジオ先生はというと、片付けられていない教員席の自分の席に座り眼鏡までかけて熱心そうに何かの本を読んでいる。
「あー、やっと来た」とエリさんは言い、けっこうな高さのある脚立の上からこちらに手招きした。
「早く、拭いてちょうだい。ジオ先生も、早く」
ジオ先生も、こちらに気づいて本を閉じてこちらに歩いてきた。
講堂はかなり広く、靴の底が浸かるほど隅々まで雨水が広がっている。
マユイはこの時に初めて、ジオ先生に話しかけた。「魔法で、綺麗にできないんですか?」とマユイが目を輝かせながらジオ先生に尋ねるとメイアは、「顔あっか」と茶化した。
「できるけど、君たちはまだ魔法つかえないでしょ?」
メイアがやや強い態度で、口を挟んだ。
「先生が、してくれればいいじゃないですか」
「音じゃ水は乾かないからね」
「精霊に掃除してもらえば?」
「彼らは、掃除が好きじゃないしいたずらが好きだから余計に、汚れるリスクがある」
厳しくしつければいいのにとか先生がモップで手伝ってとかメイアが散々、食い下がったおかげでジオ先生はついに折れた。
「わかった。じゃあ、モップに命を宿らせよう」
そう言うと、ジオ先生はモップを一本、手にとってよく分からない呪文を唱えた。
「fqiwnmth4wnntwg(nzmgpto7jlz…」
この国の言葉ではなさそうだ。ジオ先生の藍色の髪からピリピリと音がして、その手や頭から小さな火花のような光がキラキラと虹色に跳ね始めた。
ジオ先生は、モップを両手に握ったまま目を瞑り天井を見上げ呪文を唱え続ける。呪文を唱える声は次第に高くなり、息も荒くなっている。
「わたしの友よ、この地で、この虚空で、息をしなさい。降りてきなさい。魂の同胞に、助けを貸しなさい。我等は、一つの世界、魂、細胞、椅子、風、水に、床に、モップに…」
マユイには、このような事を言っているように聴こえたがジオ先生の呼吸が浅く、何を言っているか詳しくは聴きとることはできなかった。
ジオ先生が、呪文を唱え終わり、呼吸を徐々に整えて目を開け、モップに視線を戻した。
モップの柄の方で、床をコツコツと叩くと壁に立て掛けられた残りのモップたちがガタガタと震え出し、壁から起き上がるようにして自立した。
意思を持ったモップは、ぴょんぴょんと跳びはねながらシダたちに近づいてきた。
ジオ先生は、舞台上のピアノの椅子に座ってコートの裾を整えて「さぁ」とエリさんに声をかけ目配せした。
エリさんは、脚立を降りて小走りでジオ先生の元に駆け寄り小さなテーブルの上の黒いメトロノームを鳴らし始めた。
モップたちは、ジオ先生の弾くゆっくりとしたピアノの曲に合わせゆらゆらと揺れ、その場でステップを踏み出す。
「何やってるんだ、早く床をふけ」とジオ先生は、ピアノを弾きながらシダたちを急かした。
「いや、モップが踊ってるんですけど」とシダは困惑して、モップの前でうろうろしている。メイアは、モップに靴を汚されて半ば喧嘩のようになっていた。マユリに至っては、モップに追いかけ回されて泣きそうになっている。
「モップは、モップだ。早く、掴んで」
ジオ先生は、3人がモップに手こずっている姿を見て楽しそうにピアノを弾いている。
シダがモップを掴むと、モップはシダごとくるんと回って踊るように床を拭き始めた。
メイアは、まだモップと格闘している。モップに踏んだり蹴ったりされて、転びまくっている。
「あー、もう。何こいつ」
やっとモップをつかんだかと思うと、メイアは絶叫マシーン並みのスピードで講堂を引きずり回されながら床を拭くことになった。
しかし、そのうちメイアはそのスピードを乗りこなしてモップをバイクのように操縦している。
逃げ回っていたマユイだったが、ついにモップと仲良くなる事に成功した。モップを恐る恐る掴むと、ジオ先生のピアノのリズムに綺麗に乗って軽快に踊っている。
「よかった。これなら、すぐ終わりそうね」とエリさんは嬉しそうである。
「これから講堂の清掃は、もうこの3人に任せれば大丈夫でしょう。俺はもう来ませんけどね」
ジオ先生が、そう言うと「絶対、来て!」という3人の叫び声がだだっ広い講堂に響いた。
ジオ先生は少し笑ったが「僕の仕事は、掃除婦じゃないんだ」とだけ言い残して、足早に去ってしまった。
「あの先生ときたら、床の拭き掃除だけじゃなくて片付けも終わってないのに」とエリさんは、不満そう。
「モップさんたちは、掃除が終わったらどうすれば良いんでしょうか」とマユイが踊り続けながら、エリさんに尋ねるとエリさんは、はぁーと大きく溜め息を吐いた。
「忘れてたわ。ジオ先生は、もう帰ってしまったのね。ジオ先生が呼び出す精霊は1時間経ったら自然と元に戻るんだけど、それまで踊るモップは見張ってないとね」
「1時間は、ここの掃除かかりそうですし私達が見てますよ」とメイアが言うと、そうだねとシダは同意した。
「床の掃除以外も、手伝ってくれない?」とマユイはモップに話しかけてみる。
モップは、マユイの言葉に反応しない。
「もっと、ジオ先生みたいにはぁあぁあって力込めて言わないと伝わらないんじゃないの?こんな風にさ」とメイアが、ジオ先生の呪文を唱える姿を面白おかしく真似した。
シダとエリさんは、可笑しがって笑った。
「そうだよ。マユイ、やってみなよ。ジオ先生のクラスに入るんでしょ」とシダも、一緒になってからかう。
「えー、どうやってたっけ」とマユイは、頭をかいて困った。モップは、マユイを優しくエスコートするようにくるくると滑り続ける。床の水は、ほとんど乾いていた。
エリさんが、「呼吸が、大事なのよ。何度も、何度も、ふかく、深呼吸して、モップさんと同じ世界を感じるのよ。彼らと感覚や言葉が通じると、疑わないで語りかける。ジオ先生の授業を先取りしちゃいけないわね」
マユイは、エリさんの言う通りに何度か深呼吸してみた。ジオ先生のしていたように、天を仰ぐように首を後ろにもたげる。モップに体の重心を委ね、振り回されるような形になった。
「ちょっと待って、何あれ」とメイアは、少し気味悪がる。
マユイは、激しく踊るようにモップに振り回されながら、深呼吸を続けた。
息が、自然と荒くなり眠ったまま踊っているようにも見える。
目がまわるようでマユイは、頭もふわふわとしてきた。深呼吸を続けていると、自然と声が溢れてきた。
「aj6dmjy2j2t…モップ、木、新しい友達…私はマユイ、あなたの名前をおしえて…私の仕事を手伝って」
やばいやばい怖いって、とメイアはシダにしがみついた。
「なんか、忘れてたと思ったらこんなことになってしまって」
ジオ先生が、気まずそうに笑いながらロウル先生と一緒に小走りで駆けてきた。
「勘弁してくださいよ。エリさんも、何かけしかけたんじゃないですか。また、前みたいに生徒が気を失ったらどうするんですか」とロウル先生は、少し動揺しているような怒ってもいるような表情だ。
「ごめんね、僕がモップの魔法解くの忘れてたよ。マユイちゃん?聴こえる?」
ジオ先生が、マユイを振り回しているモップを掴んで無理矢理引き剥がし彼女を抱き抱えた。
マユイは水から浮き上がった時のように、はっと我に返り呼吸が元に戻った。
「僕のいない時に、精霊を扱うのはだめだ。戻ってこれなくなったり精霊に気に入られてとりこまれたりするから」
エリさんが「ごめんなさいね、私がジオ先生の授業の話を少し伝えたばっかりに」と申し訳なさそうに、慌てている。
「精霊さんが1時間は、消えないと言われたのでその間に床の掃除以外も手伝ってくれないかと思って」
「良い案だけど、1年生の君にはまだ無理だよ。呼吸法なんか教えていないのに、よくここまで使えたもんだな」
「でも、失敗しちゃったし私、ジオ先生のクラスには向いていませんか?」
「向いてないどころか、ポテンシャルしか感じないんだけど。でも、この件だけで入るクラスが決まるわけじゃないから、僕は何とも言えないかな」
メイアも「ごめんね、私が変な事言ってけしかけちゃったから」と心配な顔で駆け寄ってきた。
「大丈夫だよ。まだ、ふわふわしてるけど」と、マユイは一度大きな深呼吸をして両手で顔を覆って、私今顔赤くない?と聞く。
シダが「ていうか、あれ最初何て言ってたの?」と聞くと「あまり、よく覚えてないかも。片付けを手伝ってほしいって事ばっかり、伝えようとしてたから」と頬をかいて、よく分からない困った顔をしている。
ロウル先生は、完全にきれている。
「あー、今年は手がかかりそうですね。というか、これはジオ先生とエリさんの責任では。特に、ジオ先生は、繊細な技術を教えているんですから。当校にいらして、まだ1年目ということですが、そろそろ自覚してもらわないと。どんな生徒が来るか、もう理解された時期では。好奇心旺盛で、座学では物足りず、体感で全てを汲み取ろうとする性質の子達が多いのです。人の世から来た子は、特にこういう厄介な事を起こしやすい」
「だとしたら、今回の件も学習の一環としてよろしいのではないかと」と、ジオ先生は笑って誤魔化そうとしているがエリさんは、気まずい顔で下を向いたままである。
「それに、料理番のエリさんに、授業の内容を話す必要はないはずです。ジオ先生は、ご自身の立場を軽く見すぎていますよ。何のために、当校に不可視エネルギーや波動、精霊に特化した講師を招いたと思われているんですか」
「僕の教える事なんか、特に女の子は簡単に使えてしまうような、誰にでもできる手にしやすいものなんです。そんなに、目くじらを立てることはないじゃないですか。こういうちょっとした事で、精霊と話せるようになる子なんかしょっちゅう出てきますし」
「手にしやすいからこその危険があることは、ジオ先生ならば、よくお分かりですよね」
「僕が、出来るのは生徒の力を開花させることだけで制御することはしません。彼女たちの力が暴走して、何か起こったとしても、それは宇宙、言ってしまえば、そう神の意図だ」
ロウル先生は、ジオ先生の言葉を聞いて一瞬、顔をしかめ生唾を飲み込んだ。
それでも、ふふっと鼻で笑い「それも、そうかもしれませんね」とだけ答えた。目だけは、笑っていない。
そして、シダたちの方を振り向いて「ジオ先生は、こういう先生なんだ。よく覚えておきなさい。彼の講義で、何を学ぶかはお前ら次第だよ」と言い、講堂を去っていった。
【続く】
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