AIピアニスト

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ボクは花森エリカ先生による一〇日間のピアノ強化合宿に参加させられることになった。国際的なコンクールで欲しいままに授賞を重ねた後、心臓病を患っていることが分かり、思うがままの演奏ができなくなった先生は指導者として教鞭をとるようになった。とはいえ、指導に熱をいれないよう、数多くの生徒を短期間しか見ないということを常としていた。エリカ先生が不定期に開催するこの強化合宿は人気が高く、倍率は二〇倍だったか。生徒は五人。午前に二人、午後は三人、先生が一時間ずつみっちりと個別指導をする。軽井沢の大きな敷地内、指導室は離れの一部屋。生徒五人はそれぞれピアノが設置された個室で寝泊まりをする。指導室は防音の設備が設けられていない。つまり、先生の指導はほかの生徒に筒抜けなのだ。気になる生徒の演奏や、先生の指導を聞いていたければそうすることだってできる。もちろん、自分の練習の時間は削ることになるけれど。 でも、実しやかに噂されていた。エリカ先生はAIピアニストを秘密裏に混ぜることがあるそうだ。恒久的に疲労を知ることなく繰り広げられる力強い正確な演奏は、生身の演奏者を刺激することがあるんだって。五人の生徒は腹をさぐりあうこともあるけれど、ロボットを探そうと仲間意識を強くすることもあるらしい。 ボクはマヨがAIピアニストだと思っていた。どんな曲も笑顔を浮かべて難なく優雅に弾きこなしてしまう彼女の姿を見て、人間に為せる技ではないと思ったのだ。情感たっぷりの演奏があえてロボットらしくも聴こえると言ったらイジワルだろうか。 ソーイもそう思っていたらしい。マヨの演奏を聞いた一日目の夕食のとき、隣の席に着いたソーイも恋する眼差しで、頬を紅潮させてボクにこう言った。あんなかわいいロボットなら飼いたいって。 ソーイとボクの話が聞こえていたのか、セサミはつんとしていた。いわゆるガリ勉タイプの彼女はピアノ以外、ううん、自分の演奏以外のことはどうでもいいと言った体で、ただひたすらに練習に身を入れていた。ボクはセサミの指が壊れてしまうんじゃないかって、ちょっと心配になるくらいだった。 チャップは余裕なんだよなぁ。演奏もうまいんだ。小手先の器用さが目立つのがちょっと残念というか、まぁ、それが彼のイイところでもある。超絶技巧は彼のためにあると言っても過言ではないくらいのスピード、細やかな鍵の叩き、強さもあって素晴らしいんだけど、余裕綽々の喋り方が少し鼻につくんだよね。チャップもどこかマヨを意識しているのは、秘めたライバル意識を抱えているからかもしれない。みんなの前で認めないから、妬んでいるように余計見えるんだ。 エリカ先生は食堂で一緒になることはあっても、同じテーブルにつくことはない。指導のとき以外は話もしてくれないどころか目も合わせてくれない。寮母のようなキヨさんは、ボクたちだけじゃなくて、先生の身の回りすべてのお世話をしているみたいだった。セサミが言ってたっけ。実はこの合宿を牛耳ってるのはキヨさんで、エリカ先生はピアノと演奏に囲まれて余生を送れればそれでいいと思ってるって…。しかもAIピアニストは先生が若かりし頃、初めて国際コンクールで優勝したときの演奏がプログラムされていて、夜ごとそのロボットに演奏させては過ぎし日の栄光の想い出に浸っているんだって。 そう言えば…とボクは言いそうになって止めた。先日、どうしても寝付けなくって夜風にあたろうと部屋を出たら、マヨが先生の個室に入っていくところを見たんだった。やっぱりマヨがロボットなんだって、ボクは確信したんだった。でもさぁ、ボクの目の前にいるマヨは、「キヨさんのこのカレー最高!」なんて、本当においしそうに頬張っているんだよなぁ…。 いやいや、ボク、そんなことよりもピアノ頑張らなくっちゃ。こないだ寝付けなかったのだって、シューマンのアレグロでどうしてもテンポをつかみきれないのが悔しかったんじゃないか。せっかく強化合宿に来てるんだから、もっと頑張らなくっちゃ。 一〇日間は早々と過ぎていった。合宿の終盤に差し掛かると、エリカ先生は笑顔を見せてくれることもあった。最終日、大広間で一人ずつみんなの前で演奏をした。演奏が終わるたびに先生は一人ひとりと握手して、上達したわね、頑張ったわねって、それぞれの良いところをとっても褒めてくれた。五人全員の演奏が終わって、ボクも先生と握手した。 キヨさんが全員に向かって、「さ、参りましょう。」と、玄関前の車まで送ってくれようとした。マヨはボクの前に来て手を取った。そして先生に向かってこう言った。 「連れて帰りたい。」 「ダメよ。」 先生はボクを、ボクだけを引き止めた。四人はボクを見て、なんとも言えない顔をして手を振って出て行った。あれ?ボクだけ引き止められているのかな。先生はボクを膝の上に載せて、頭を撫でてくれた。ボク、そんなに演奏が上達したのかな?個別指導を続けてくれるの? 玄関の向こうで車が去る音が聞こえたと思ったら、キヨさんが部屋の中へ戻ってきた。先生はキヨさんにこう言った。 「メモリー、リセットしておいて。いつもどおりにね。」
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