26人が本棚に入れています
本棚に追加
/77ページ
「爺ちゃん、ただいまぁ」
まだ肌寒さの残る三月であると言うのに、額に玉の汗を浮かべて帰った颯太を出迎えたのは、祖父の重次郎だった。
「おぅ、帰ったか!冷えるってぇのに、颯太おめぇ随分と元気じゃねぇかぁ」
「うん、走って帰ってきたからね。すぐに暑くなったよ!」
ニカっと白い歯を見せて笑う颯太に、爺ちゃんは「風呂が沸いとる、とっとと入りやがれ」と豪快に笑い、表玄関の暖簾をしまいに向かった。
颯太は廊下をドタドタと走り店の方を一瞥してから、そのまま風呂場へと向かった。
身体を洗い、ザブンと飛沫を上げて湯船に飛び込むと昼間転んだ時の傷がジュンっと染みた。
「いってぇー」
傷の周囲をぎゅっと指で抑え込んで、痛みをなんとか逃がそうとしているところへ素っ裸で入ってきた爺ちゃんが颯太の様子を見て、ニヤリと笑う。
「そぉんな傷ぐれぇで、ガタガタ言うんじゃねぇよ」
「ガタガタなんて言ってねぇし!こんなの、全然痛くねぇし!」
颯太は抑えていた手を一気に放す。
放した途端に、再び傷口がジュンと痛み、「ひっ」と情けない悲鳴を上げてしまった。
「傷は男の勲章でぃ!耐えろ、耐えろ」
そう言って爺ちゃんはまた豪快に笑った。
爺ちゃんは『骨董屋有閑堂』の店主であり、孫の颯太はこの古民家で爺ちゃんとふたりで暮らしている。
以前颯太は、近くのマンションに両親と暮らしていたが、颯太が小学1年生の時に両親は揃って車の事故で亡くなってしまったのだ。
以来、颯太と爺ちゃんのふたり暮らしが続いている。
爺ちゃんの家は兎に角古いが、手入れはそれなりにされている。
ただ、間取りがほぼ当時のままなものだから、店の横に伸びる縁側、土間伝いにある台所、高い天井に走る太り梁、屋根は瓦葺きと、まるでここだけ大昔から時間が止まってしまったような家だった。
そんな家に住む爺ちゃんも絶滅寸前と思われる昔気質の江戸っ子で、ひとたび口を開けば、荒っぽくも愛嬌溢れるべらんめぇ口調の物事に拘らず、意地と張りに生きる兎に角元気な爺ちゃんだった。
颯太はそんな爺ちゃんも、この古い家も、ほとんど客の来ることのない有閑堂も大好きだった。
最初のコメントを投稿しよう!