働く幼稚園の先生の母親

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

働く幼稚園の先生の母親

6月末 母がある日、 スイカを1玉送ってきてくれた。 まんまるでもない 楕円の縞の大きなスイカ。 お店で見て、まだまだ高い中 買ってくれたのだと思う。   主人も娘も、 なんでこの時期にスイカ? と口々に言っていたけれど、 私は何となく分かった。 スイカは私の好物である。 2人兄弟の私は、 いつもスイカの三角切りの 上の方を先に食べていた。   今ほど甘くはなかったが、 スイカは真ん中が一番甘い。 皮目の薄いスイカ、 下の方はさっぱりとして 口の中が水分で満たされていく。 昔はスイカの漬物も食べた経験がある。 子供の頃、遠い親戚宅でスイカを 皮ギリギリまで食べて、 祖母に恥ずかしい思いをさせた。 私はスイカが大好物なのだ。 味塩を一度、いとこに言われて つけて食べた経験がある。 より甘く感じた。 母に言うと体に良くないと言われた。 薬剤師になり、   確かに日本人の塩分摂取量は高く、 好ましくはないよね。 スイカだけは、昔から何もつけずに食べたい。 サッパリ甘くない部分は 今は料理には使用できるようになったが、 やはりそのままが美味しい。  朝4時に目が覚めて、  スイカを切りながら涙を流した。 高校の通学の帰り道、 八百屋さんで一番大きなスイカを  お小遣いでひと玉買って帰った経験がある。 重たいのに、電車で態々一玉担いで 二駅ほど電車に揺られて カバンと スイカを1玉担いだ高校生。 持ち帰ると母から驚かれた。  そんなに好きなの?と。 トマトもキュウリも大好きで、 冷蔵庫ではなく水洗いした物を   そのまま食べるのが好きである。 トマトと玉ねぎのカクテル、 きゅうりの酢の物、胡瓜の辛子漬け等 大根なら切り干しが好きだし、  豆腐も卯の花にした方が断然美味しい。 ガンモや根菜類とサツマイモ蒟蒻を     煮たものも1人で食べる分には、 何でも美味しい。 祖母が作る大鍋の煮物も、  仕事前に母が作るお弁当の   野菜の煮たものも、  全て私の好物である。 昔から5月にはスイカはお弁当に必ず 入っていた。   種無かったかな? プチトマトさえも皮が剥かれていた。 今は遠くで離れて暮らしている私へ   好物を買ってくれたのである。 いつまで経っても私は娘なんだと涙した。 スイカ割りが勿体無いと思う 幼少時代を過ごした  少し大人びた子供だった。 従兄弟たちとスイカ割りをしたスイカも 美味しいのだが、やはり一番美味しい 真ん中が砕けてしまう。 今は昔だから出来た   楽しい思い出である。 スイカは昔話にもよく出てくる。  夏の風物詩である。  人を怖がらせる小話にも、   スイカ畑にスイカを盗みに友人と入り   見つかり逃げてきたら、 我に返って腕の中のスイカが、 友人の頭だったり、  怪談話にもなっている。 スイカは野菜で 今は果物として糖度は高いが、  土を盛り上げて育てる。  中が赤いから、 良く砕けた様が怪談に用いられるのだろう。 私はスイカを担いで帰る高校生だった。  夏は夏祭りに行き、    金魚すくいも大好きで玄関先で 夏は飼っていた。 必ずカラーひよこを買っては、  イタチに食べられる夏休みを過ごした。 両親と弟と夜店に毎週行った  夜店の思い出に、胸が熱くなる。  今年、50歳になる娘に    好物のスイカを買ってくれる母に、 今すぐ会いたい。 純粋に相手を幸せに出来る、 自分から楽しみを探し、 友人の多い母に憧れる。 母のようにはなれなかったが、 私も今、 母から離れ自分なりに母親をさせてもらっている。 朝早く目が覚めたのも 今日の娘のお弁当に焼き飯を作ろうと、 水を飲みに台所に立った。 冷蔵庫の大きなスペースを取っていた スイカを切り、 端を食べながら喉の渇きはおさまったが、 色んな思い出が頭をよぎり スイカに こんな想いが込められているとは、    母さえも分かって無いのかもしれない。  朝、早く目が覚めたら 無理して眠ることなく、 好きなことをして再度寝るようになった。 再度涙の顔を洗い、寝ることにする。 昨日、公休前だからと 久々に冷やしパックをしたのに、 朝早く目が覚めて想い出に浸ってしまった。 娘の成長を見るために、 側で母親をさせてもらっているが 娘の好物は中々難しい。 将来離れて暮らす日が来たとしても、 スイカを送る気になるのだろうか? 時期なら、初物だからと きっと私も買うのだろうと笑いながら 再度、タッパーにしまった🍉スイカに 母の愛情を実感した。 今月節目の誕生日を迎える。 なんの自慢の一つもない大人になってしまったが、 今日の公休日には ゆっくり好物のスイカを食べながら   ドラマでも見ようと思う。 こうして、果物も初物ばかり   食べさせてもらい過ごさせて貰った    自分がいかに恵まれていたかを思い知る。 定年が長い仕事に就かせて貰ったので、 明日も仕事、毎日同じことを淡々とこなす日々だが、   働く母親を見てきて  夜中?早朝に   母も同じ思いをしていたのだろうか? と時計に目をやる。  もう起床して、朝ごはんを祖母と食べて、 洗濯したりゴミの回収に 働いている時間になっていた。 家事に仕事にと、  何歳になっても元気な母 娘は、ばーばは  シッポが生えるまで元気だと言う。 確かに。 暑い夏の日に、 巨大児一歩手前の私を産んでくれて 大量出血して、 翌朝牛乳一本ペロリと飲み干した武勇伝を、 いずれ私も孫に話したいと思い笑った。 有難う。 8月のお盆にはお墓参りに帰省します。 かしこ。 完
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!