留まらぬは

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留まらぬは

 帯と戦った翌日、雪治は朝から両親の眠る墓の前にいた。あまり記憶はないが祖父母も同じ墓に入っている。ここには井上家の先祖代々が眠っていると、雪治は生前の父に聞いたことがあった。  先程掃除した墓石の中心、たった今供えたばかりの榊の枝が八足台に堂々と鎮座している。雪治は蝋燭に火を灯して酒を供え、静かに手を合わせた。  「父上、俺を誇ってくれていますか。立派な師範に、人を守る理想の剣士に、なれているでしょうか。時々、命を掛けた戦いの恐怖や、妖とはいえ命を斬った感触を思い出すと、情けなくも手が震えてしまいます。そういうときは……」  雪治は墓石を見つめて言葉を紡ぐ。淡々と言葉を重ねようとしたが上手くいかず、震える息を飲み込んだ。顔を上に向けて潤みかけた瞳を乾かし、墓石に向き直る。  「そういうときは、父上や先代の弟子に戻りたくなります。当然そんな願いは叶わないので、自分で自分を高めなくてはいけないのですが。……正直、自分に課す修行ということで甘えが出ていないか心配です。メニューが足りないと思ったら夢枕にでも立って叱ってください」  神道では死んだ先祖は世に留まったまま子孫を見守ると言われているが、雪治からすればそんなのは嘘である。両親の死後の姿は視たことがない。妖も霊も何でも視える雪治に視えないのだから、世に留まってなどいないだろう。神仏習合の影響で、今はもう神道の家でもほとんどが成仏する流れなのかも知れない。  とにかく、死後さっさとこの世を離れた両親に会えず、雪治は時折寂しくなるのだった。それは例えばバス停で幼稚園のスクールバスを待つ親子を見た時。あるいは昨夜のように愛情深い親子の姿を見た後。  「お母さん、いつかまたどこかで会えたら俺を褒めてくれますか。ちゃんとお姉ちゃんを守れてるかな。もうあまりお母さんのことを覚えてなくてごめんね。でも今もたまにお母さんに頭を撫でてもらった時の感触を思い出すよ」  雪治は己の頭に触れながら微笑んだ。近くの道を往く母子の笑い声がする。雪治はそっと目を伏せ、それから顔を上げる。  「……また来るね」  家の墓の前を去ると、霊園を出ずに少し離れたところの墓に寄る。  『吹き荒れよ』とだけ書かれたその墓は、雪治が師範を務める飛雪万里(ひせつばんり)流の先代であり初代師範の源田歳郎(げんだとしろう)の眠る墓である。天涯孤独だった彼の墓は、当主になったばかりの雪治が用意した。  掘る文字だけは生前の本人が決めていたため希望の通りにしたが、墓参りに来る度にプレッシャーをかけられているような気持ちになる言葉だ。雪治は苦笑しながら墓の手入れをする。  「はいはい、吹き荒れてますよ」  飛雪千里、という言葉がある。四字熟語辞典には「非常に激しく吹雪く様子のこと。雪が千里先まで飛んでいくという意味から」と記載されている。それを先代が「千里じゃ足りませんな」「万里を駆け抜けその名を轟かせてもらわねば」と流派の名にしたのが飛雪万里流だった。  雪とつく通り、幼少の頃より剣術においてずば抜けた天賦の才を持っていた雪治のため、雪治の父に頼まれた先代が流派として整えた、雪治のための流派である。  それがわかっているから、雪治は己の顔目当ての弟子も歓迎するし、取材も受けるし、動画なんかも上げてみている。最近は街に出た時の視線がモテるだけのそれではなくなっていた。  「ねぇ師範。千里とか万里とかの横軸じゃなくて、最近は時代っていう縦軸を駆けてるんだけど……これって何里換算になりますかね?」  返事はない。先代師範もまた、この世に留まらず姿を消した故、当然だ。子孫がないのもあるだろうが、道場に居着いてくれても良かったのに、と亡くした当初の雪治は少々拗ねていた。が、今はそれも信頼と受け取る。  「師範が化けて出なくても済むように頑張ります」  手入れを終え、榊の枝と葉巻を供えた。優しく吹いた風が榊の葉先を揺らす。先代の快活な笑い声が聞こえた気がした。雪治はすっかり明朗な笑みで頷く。  「また来ます!」
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