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「ねえ、そもそも何で時間を吸い出したりしたの? そんな使用方法あった?」
近所の田んぼや空き地を散策しながら、わたしは尋ねる。こんな泥だらけになりながら歩き回るなんて、それこそ子供の頃以来だ。
「それは……」
「それは、清美さんが動かなくなってしまうからです」
「……え?」
ソウの言葉にわたしは思わず草を掻き分ける手を止め、視線を向ける。
しかしソウは気にした様子もなく、迷い猫でも探すように軒下を覗き込んでいた。
「清美さんは、もうじき動かなくなります。だから、せめて身体を若くして、最後の時間をたくさん動けるように……」
「ソウくん!」
耳の聞こえも幾分良くなったのか、わたし達の声が耳に届いたらしい。少し遠くから駆け寄ってきたお母さんが慌ててソウの口を塞ぐけれど、もう遅かった。
「どういうこと……お母さん、死ぬの?」
「麗ちゃん、あのね」
「なんで……寿命にしては早くない? だって、人生百年時代だよ? それに、入院したこととかもないし、こんなに元気でさ……むしろわたしより若返ってるし!」
思わず声が震える。けれど、こんなにも現実離れした出来事が立て続けに起きて、その上こんな話だ。どうしたって動揺しない方がおかしいだろう。
「お母さん……嘘だよね?」
「そ、それは……」
お母さんは視線を逸らして、明らかに誤魔化そうとする。余裕のないわたしはそんなお母さんの手を払って、真実を語るであろうソウから聞き出すことにした。
「ソウ、答えて!」
「……清美さんは、動かなくなります。でもそれは、死ではありません。寿命による故障です」
「は? 故障って、お母さんを機械のあんたと一緒にしないで」
「……? 清美さんは、機械ですよ?」
「……、……は?」
意味がわからなかった。ロボットでも冗談を言うのかと、思わずぽかんとする。けれどお母さんの視線は、真横に逸らされたままだ。
「あっ! 見つけた!」
言葉に迷いながらも、何か言わなくてはと口を開こうとした瞬間、不意にお母さんが声を上げる。
その視線の先、田んぼの案山子の側に、黒いゴミ袋が居た。思ったより大きい。人間が四つん這いになったくらいの大きさはある。けれど人間ではあり得ないような、ぴょこぴょことした動きをしていた。
間違いない。あれが二十年分の時間の入ったゴミ袋だ。
「待って!」
わたしは慌てて駆け出す。あの中にお母さんの二十年という時間が入っているなら、それは機械なんかじゃなく、わたしの知っているお母さんのものだ。
袋を開けて、お母さんに時間を返そう。そうすれば、きっとロボットの妄言に不安になる必要なんてない。
「よしっ、取った……!」
猫のように逃げ回るゴミ袋を必死に
追いかけ、ついにわたしは飛び掛かるようにして捕まえる。
すると、まるで玉手箱のように、潰れた袋の中から煙のような時間が飛び出してきて、わたしを包み込んだ。
「わ……っ!?」
煙と共に染み込むように脳内に広がる、お母さんの記憶。それは二十年分の『わたしのお母さん』としての思い出だった。
学校を卒業するわたしを泣きながらも喜んでくれた時の気持ち、上京するわたしを心配する感情、一人暮らしになって心細さを覚えた日々。ソウが来てからの、楽しい日常。
「なん、だ……こんなに感情豊かなんだもん、やっぱり、お母さんは……」
安心すると同時に、奇妙な感覚を覚える。一気に年を取って、重たくなった身体はゴミ袋を潰したまま動かない。
おかしい。二十年の加算なら、わたしは今精々五十代のはず。それなのに、どうして、こんなにも全身が重たく軋むのだろう。
「……なに、これ……起きれない……お母さん、助け……」
「ああ、すみません、麗さんの方が先に故障してしまいましたね……」
「……あら。でも、仕方ないわよ、ソウくんよりかなり旧式のモデルなのに、急に二十年分も時間が進んだんだもの」
「……え?」
二人がわたしを見下ろしている気配がする。けれどその顔を、わたしは見ることすら出来ない。
俯せたまま、その世間話のようなトーンで繰り広げられる、意味を理解しがたい会話を聞いた。
「メンテナンスを挟まなかったから、ネジもパーツも一気に錆びちゃったのね」
「そうかも知れないです……どうしましょう?」
「そうね……残念だけど、時間だけにしておくより逃走の危険もないし、そのまま捨てちゃいましょうか……」
「わかりました。お掃除ならお任せください!」
嫌な予感がした。そして案の定、動かないわたしの身体を軽々持ち上げたソウは、時間の入っていた黒いビニールにわたしを詰め込もうとする。
「え、ちょ……なに、ソウ、冗談やめて……!」
そのまま袋を縛られそうになり必死に抗議するけれど、そんなわたしを見て、お母さんはいつものように朗らかな笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、お母さんも、もうじきおんなじスクラップ工場に行くから。ふふ、これでもう寂しくないわね」
「は……?」
「麗ちゃんにソウくんを贈られた時は、早く壊れろって言われてるみたいで悲しかったけど……一緒になら安心ね」
「はい! 清美さんのボディのお片付けも、僕に任せてくださいね!」
「ええ、頼りにしてるわ。『ロボット掃除機』さん」
ああ、そうか。ロボット掃除機。ロボットの掃除機で、ロボットを掃除する機械。
ようやく意味を理解したけれど、袋の中の時間の残滓を吸い込んだわたしは、もう言葉を話すことも叶わなかった。
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