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15.
電車に乗っている間に凪悠がこのまま外で夕食を摂りたいと言い、牛込神楽坂駅に降りて、そこから歩いて十分ほどのところにある居酒屋に入りビールや数種の品を注文をした。惣菜をつまみながら日中に片山と話した事を振り返りつつ彼女と他愛もないような感覚で話しをしていった。
「あいつの何が良くて付き合うようになったんだ?」
「聡明さかな?」
「……ふざけるなよ。あれのどこが聡明だ?そういう人なら初めから俺に剥き出しにした態度で締め殺そうとするか?腑に落ちないな……」
「それは言い過ぎた。いやね、あの人普段もっと気さくに話してくるんだよ。あの態度が出てきたなんで心外といえば心外」
「何が良くて会っているんだ?」
「海人にはない……人柄?まあ真面目さや思いやりがあるところも含めて好きになった」
「お前、子どもなんて望んでいなかったのに、どうして彼の子を産もうとする?」
「妊娠して気づいたの」
「何?」
「彼への相思と親のありがたみ」
「お義母さんの事?」
「母さんさ、病気で父さん亡くしたでしょう?生きている間に一緒に報告したかったのを言えないままいなくなって、時間が経つにつれて感慨深くなっていってね。片山さんも自分に優しくなりたいって思うようになったって話しているし」
「俺の子じゃないのに感慨深いだなんて……」
「母親になるのも悪くないんだと片山さんから説得させられていくうちに決めたんだよ」
「俺は一人にする気か?」
「海人には、私以外に別の人と一緒になるべきだって」
「凪悠しかいない俺が、他に誰がいるんだよ……?」
「依那さん」
「……え?」
「彼女、海人のこと素敵な人だから仲良くなりたいって言っていた」
依那は凪悠に何度かメールでやりとりをしているうちに食事もしていた事を打ち明けた。僕の居ない間に女二人で色々と会話をして、男にはない女性同士の共通の話題に花を咲かせていき、依那の恋話も聞き今の自分に余裕を持てるようになり、まるで悠々自適に近い日和を過ごしているようだと、冴えた表情をしながら話をしていた。
そんな心とは裏腹に僕は次第に自責を募らせながら箸を置き、しばらく俯いて無口になると彼女が浮かない表情の僕に向かって訊いてきたので、重たい口を開いてあの事を告げることにした。
「黙ってて悪かった」
「どうしたの?」
「……依那さんと、寝たんだ」
「彼女、彼氏いるって話していたよ。えっ……何がどうなっているの?」
「俺ら、お互いに騙し合ってきたんだよ」
「海人も、ずっと我慢していた?」
「ああ。相当我慢してきて……叩き込むように仕事に集中していって嫌な事も全て忘れるくらいに酒で解消していって……それでもなかなか収まらなくてさ。同窓会の時に彼女と出会ってからずっと彼女に求めたいって……たまらなく恋焦がれるように惹かれていった。凪悠が言うように誰にも持っていないあの子だけにある魅力に憑りつかれていったんだ……男として見てもらいたいって望んでいる」
「私には頼りたいって思えれなかった?」
「お前、自分が子ども欲しくないって散々言い続けてきただろう?こっちだって応えてきてやったんだぞ?今更何なんだよ……」
「これでいいのかもしれないね」
「はい?」
「もう少しこれらが具現化されていくのなら、私達の縁も絆も荷解きができそうになるかもね」
「それが今の願望か?」
「うん」
「俺は独りきりになるのに……親友でもいいから離れたくない……」
「親友という情が世間の夫婦より強すぎたから、離すべきなのよ」
「このままずっと独りなのかな……?」
「依那さん、海人の事受け入れてくれるよ。彼みたいな人を彼氏にしたいって話していたしさ。私は反対しないよ」
「やりきれないな……たった八年で赤の他人になりたいのか?」
「その八年が良かったんだと思うよ。その前からも私達知っている仲じゃん。こうしてなったのもお互いがそれぞれ望んでいたことだと明確になったじゃん」
「もう少し飲もう……」
その二時間後店を出て電車に乗り込み重たくなった身体が揺られながら自宅の最寄り駅に着き、凪悠に手を繋がれながら帰宅した。玄関で靴を脱ごうとしたが片脚がふらついて膝から床に落ちてその反動で彼女の腰に抱きついた。
「どうしてなんだよ……」
「海人?吐く?」
「どうしてだよ?……どうして俺の子じゃないんだよっっ?!」
僕は叫ぶように泣きながら凪悠につかまって、そしてその場で酔い潰れて倒れた。幼児の様に泣き出す僕を彼女はやや伏せた顔をしながら身体を手で摩り、僕の片腕を自分の肩にかけて持ち上げ寝室へと歩いてベッドに横たわらせた。
しばらくして水の入ったグラスを枕元の棚に置き、クローゼットを開けて彼女は部屋着に着替えて、僕の着替えの分も枕の隣に置いて部屋を出た。
数時間が過ぎた深夜二時半。ふと目が覚めて起き上がると頭痛が止まらず胸元に手をかけると衣服を着たまま眠っていた事に気がついてシワがあちこちに目立つようについていた。
部屋着に取り替えて衣服をクローゼットにしまい、台所へ行きガスコンロの台の上の照明を点けて、グラスに水を注ぎひと口飲んで壁に寄りかかりしゃがんだ。
凪悠が打ち明けた片山との関係と僕への訣別の意を見せた会話の中に山積みになって埋もれる言葉たちと彼女から発する声の抑揚が脳内を循環するように迸っていく。
やがてそれらが爆破して鳴り響き渡る不協和音。この窓ガラスからベランダへと突き抜けて夜の帷の中へダイブしていきたいほどに、強い引力に吸収されて永久の闇に身を滅ぼしたいくらいだ。
ふとスウェットの中に何かの重みを感じたので手を入れると、いつの間にスマートフォンが入っていた。画面を開いてメールの受信欄をスクロールしていくと、依那の名前に手が留まる。
先日会ったばかりなのにまた会いたいと身体が疼き出し自制ができていない自分を責め立てていきたいと不甲斐なさを覚える。
少しだけ思いとどまりながらも、チャットメールのアプリを開いて、彼女に今の気持ちを聞いてもらいたいと短文のメールを送ってみた。
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