19.

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十月の秋麗に入った頃予定よりも早く僕と凪悠(なゆ)は区役所の戸籍係の窓口へ行き、離婚届を提出して再び呼ばれると書類は当日に受理された。 その後に凪悠は食事をしないかと言い出して六本木ヒルズの敷地内にあるフードコートの中へ入りタイ料理店の店内へ入ると凪悠はメニューを見てカレーが食べたいと即決で言い、僕も同じものを選び海鮮カレーと生春巻きを注文した。 「引っ越しも来月か。そう考えると早いな。片山さん仕事は落ち着いたのか?」 「うん。商談上手くいったみたいで来週にはワシントンから特待で社員が来るって言っていた」 「新聞社の海外事業本部だよな?競争心凄そうだな……」 「それでも活気あるから毎日が刺激になるって。なかなかできない職種だから彼も入社した時ガチガチに緊張しっぱなしだったって」 「そうか。イギリスだったっけ、小学生まで住んでいたんだろ?経験があるから何かと交渉がうまそうな人柄が見えるよな」 「あ、妬いてる?」 「そうじゃない。良い人に巡り会えて凪悠も自慢できるだろう?それにお前もそういう人を支えていかないといけないんだからうかうかしていられないぞ」 「あまり根詰めなくてもいいよって言ってくれている。私も自分の仕事好きだしすっかり顔を覚えられているから雑談も楽しくなっているよ」 「雑談ばっかりしていないでちゃんと接客しろよ」 「やっているわよ。誰かと違って天邪鬼(あまのじゃく)じゃないし……」 「余計なこと喋るな。冷めるから食べろよ」 しばらく僕らは学生時代に戻ったように会話を弾ませていた。凪悠はいつだって冷静に相手の表情を伺いながら物を言う。僕にとってはそれが彼女から篤行に報いる愛情を与えてくれていたように毎日を過ごしていったようなものだった。依那が言っていたように片山と悪意を持ちながら関係を持つなどとそのような人付き合いをする人間ではないことは百も承知だった。 どんなに淡白でマイペースな思考でも彼女は彼女の道がある。僕はその途中に出会い共に生きて暮らしてきたがどんな存在であれ数年の間でかけがえのない仲であったことには後悔はない。彼女も多くを語らなくともその眼差しで僕を見てきてくれたことが何よりの大きな財産になった。 あともう少しで僕らは別々の道に踏み入る。今こうしている時間はやがて終わりを遂げる。 僕らは食事を終えた後他の店頭でウィンドウショッピングをしては凪悠が好きなマフィンを購入して店外に出た後地下鉄に乗り家路に向かった。 その月の末日、凪悠は休暇を取り自宅で引っ越し用の段ボールに自分の荷物を詰め込んでいき、僕が書斎で仕事をしている時にも廊下を走り歩く音が響くくらいに忙しく動いていった。退勤をしてからリビングへ行くと幾つかの箱にテーピングをしていたので手伝おうかと声をかけたが夕飯の支度をお願いしたいと言ってきたので、僕は台所に出向き冷蔵庫に一晩漬け込んでおいた鶏肉が入ったタッパーを取り出して水気をきって片栗粉をまぶし、油を敷いた深めのフライパンを熱した後肉を入れていききつね色になった頃合いを見てバットに上げて唐揚げを作っていった。 その匂いが漂っていったのか凪悠がつられるように僕の背後に来て盛り付けを手伝うといい皿を取り出して並べていった。大根と小松菜の味噌汁をお椀に装いテーブルに出していき、二人揃って食事をした。 十一月。同じ関東地区に早期で初霜が降りた頃、一台のトラックがマンションの前に到着して、引っ越し業者の人が二人自宅に入り荷物を運んでいき一時間ほどで作業が終わると彼らが先に凪悠の新居へと向かった。ソファに横たわるように座り込む彼女を見てレモングラスのハーブティを淹れてマグカップを渡すと身体を丸めながらゆっくりと啜っていった。 その隣に僕も座りしばらく無言で疲れを癒すように半分ほどの家財道具が置いてある部屋を見渡しては彼女がため息をこぼしていた。 「だいぶすっきりしたな」 「うん。片付くとこんなに広かったんだね」 「今の心境はいかがですか?」 「何よそれ。どこのインタビュアーの?」 「これから行く新居に向けて今の気持ちを聞きたい。どうだい?」 「そうだな。ここも八年居て長く感じたけど今度のところもできればそれ以上に長く暮らしていきたいな」 「新しい旦那様とはうまくやっていける自信はいかがですか?」 「ふっ……真新しい生活が待っているから今からワクワクしている。若い時みたいなドキドキ感はそんなにないけど、じっくりと構えながら彼を支えていきたいですね」 「そう、それでいいよ。凪悠らしくて最後の最後まで安心していられる」 「そういえば依那さんとはどうするの?」 「付き合うことは決めたよ。まだ一緒に住むかはこれから決めるんだ」 「年下だしそっちの方が良い意味でドキドキした毎日が待っているわね。良いじゃん色男」 「いちいち一言が多いぞ。……なんかさ、ほんの半年前に会ったばかりなのに、こんな風に巡り会えたのが不思議なくらいなんだ」 「自分の人生ってさ照明器具みたいにスイッチを押すと明かりか灯って温めてくれて、消すと冷却するように嫌なほとぼりも消されていくでしょう?」 「そうだな。そのスイッチ一つで道筋って変わっていくようなものだもんな。俺らってそのうちの一組だったのかな?」 「そんな気がする。それでも凄く楽しかった。特別贅沢なんかしなくても時々お酒で飲み交しては朝方まで酔い潰れていたり、休みが取れたら一泊だけの旅行も悪くはなかったし。お互いの友達も家に呼んで色々話し込んでいったり……」 「意外と色の濃い生活だったよな」 「そうだね」 僕は凪悠の肩に手をかけて目線を合わせると僕の手を握り肩に頭を持たれてきた。 「こんないい奴と別れるのって周りから見たら勿体ないって言われそうだね」 「いい奴か。今気づいたのか?」 「ねぇ。キスしようか、最後にさ」 「あと数日はここにいるだろう。最後の日にしないか?」 「今したい。もうこんな日が来ないんだよ。……今してください」 僕らは身体をきつく抱きしめあった後唇を重ねて舌を絡めながらキスをした。
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