拝啓、僕は貴方のストーカーです

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 拝啓  僕は貴方のストーカーです。二〇〇五年に貴方が新宿にある福田調理師専門学校の二年生だった二十歳の頃から、卒業してタロウレストランに就職し、今年二〇二二年、三十六歳までの約一六年間。ずっと貴方の生活を覗き見していました。  その間僕の存在を貴方に知られることはなかったけれど、先月貴方が住んでいるアパート、駒沢大学の秋桜ハウス一○二号室で、クマのヌイグルミに仕掛けておいた隠しカメラが見つかってしまったので、僕の存在が貴方に知られてしまいました。  僕がストーカーをしていた目的は、貴方に復讐することでした。そもそも僕は貴方のことを絶望的に愛していたのに、その愛を拒絶されたことで憎しみに変わったのです。  僕は貴方のここ十六年間の出来事は、ほぼ大体のことを把握しています。特に男性との恋愛については重要視していました。  そして貴方が知らないまま僕が仕組んだ行為によって、その付き合いの邪魔をしてきました。  僕の目的は、僕が貴方にされたのと同じ様に、貴方が心から好きになった相手から捨てられて、死にたいくらいに傷つく様に仕組むことです。  貴方には僕が誰なのか全く覚えがないでしょうね。それくらい僕の存在は貴方にとってどうでもよかったのです。  でも僕は貴方と面識のあった人間です。僕の正体については追々書いていきたいと思います。  僕が貴方に復讐を誓ってから、最初に貴方に彼氏が出来たのは、二〇〇六年の貴方が二一歳の時、相手は志島孝弘君という、二二歳で方南大学の学生でしたね。  その頃貴方は京王線の調布駅南口から少し歩いた所にある、タロウレストランの店舗で、調理師として働いていましたね。  そして七月二一日に、専門学校に行ってた頃の友達に誘われて合コンへ行きましたね。  お店は新宿にある「天空の宴」という、歌舞伎町の入り口の脇にあるビルの、確か五階だったと思います。  僕はその日は仕事が遅くまであったので、そのお店まで見に行くことは出来なかったのですが、あの頃はまだメールやSNSでやり取りをするよりも、携帯で話して連絡を取り合うことが一般的だったので、貴方の部屋に仕掛けた盗聴器とカメラから、その合コンの後で志島君と電話でやり取りしているところを見て、大体の様子を知ることが出来ました。  貴方が男性と付き合うのは初めてだったのかどうか知りませんが、少なくとも僕が貴方へのストーカー行為を始めてからは、初めて認識した彼氏でした。  もしその志島君と貴方がラブラブになったなら、何か策を巡らせて、貴方が捨てられる様に仕向けてやろうと思っていました。  その後彼から誘われて、貴方が仕事が休みの七月二四日の月曜に品川水族館へ行くと約束した時は、僕も仕事を休みにして貴方たちの後をつけていこうと思いました。  僕の顔を覚えていないことは分っていましたが、念の為に野球の帽子を被って、その頃していた眼鏡を外して変装しました。  結構人が多かったので、すぐ近くにいても気付かれずに、水族館の中を見てまわる貴方たちの後ろを歩いて、何を話しているのか聴くことが出来ました。  品川水族館には僕も初めて行きましたけど、大きな水槽の中がガラス張りのトンネルになってるところが凄かったですね。  貴方は割と珍しそうにいろいろな魚を見ていましたが、志島君の方はそんなに魚に興味がある様子ではありませんでした。  聞こえた会話の中で貴方が「この魚どうやったらさばけるかな」とか言っているのがさすがコックさんらしくて可笑しかった。  志島君はなんだかたわいもない世間話みたいなことをずっといっていて、貴方のことをどのくらい好きなのかもはっきりしない感じでしたね。  途中で貴方がソフトクリームを買いに行っている間に志島君がトイレに行ってしまい、戻ってきた貴方がキョロキョロしている顔が、何だか全然楽しそうじゃないな、と思いました。    その後アパートに帰ってから、志島君から掛かってきた電話の会話でも、貴方は割とどうでもいいという感じで、彼のあやふやな感じに苛立っているのが分りました。  結局また次の休みに誘われた時に貴方は「急に用事が出来たから」とか素っ気ない返事をして終わりにしてしまいましたね。  貴方が志島君とラブラブになる可能性なんて全く無かった。僕は見ていただけで何もしなかったというか、笑ってしまいました。  志島君はまだ若くて恋愛経験もあまりなくて、自分の気持ちにも自信がなくて、貴方とどうしたいという様な、はっきりした気持ちもなかったんでしょうね。  その年はまた同じ専門学校の時の友達、貴方がノッコと呼んでいる人に誘われて、八月十八日と十月十三日にも合コンにいきましたね。  でもこの志島君の経験のせいもあってか、貴方は恋愛に対して冷めた気持ちになっていたのか、男性たちの中で貴方にアプローチしてくる人がいても、貴方が連絡先を教えることはありませんでした。    この年の年末は貴方がタロウレストランに就職して最初の年末でしたね。でも十二月はお店が三十日まで営業するので、貴方は年明けの二〇〇七年一月十日から十二日まで三日間の休みを取って、新潟県新潟市の秋葉区にある実家へ帰省しましたね。  僕も一緒に行きたかったけど、仕事が休めなかったので諦めました。でも実はこの前年の二〇〇六年、貴方がまだ専門学校の二年生だった時の年末には、貴方が帰省するのを尾行して一緒に新潟まで行ったことがあるんですよ。  その時はまだ貴方のアパートに隠しカメラも盗聴器も仕掛けることが出来ていなかったのですが、僕はその頃仕事をしていなかったので、毎日朝から貴方のアパートの近くから貴方の部屋を見張っていました。  そして何処かに出掛けることがあれば後をつけていました。十二月二八日の朝十時頃に、貴方は大きな旅行鞄を持ってアパートから出てきました。  年末だから帰省するのかもしれないと思い、確か地元は新潟だと言っていたから、そんなにお金も掛からないだろうと思って、後をついて行くことにしました。  もし駅で切符を買っているうちに見失ったらどうしようとハラハラしましたが、何処へ行くにもとりあえず僕は駅の入場券を買って、貴方と一緒の電車に乗って、後から車掌さんにお金を払うということで乗り切りました。  東京駅から新幹線に乗って、新潟駅でJRの信越本線に乗り換えて「さつき野」という駅で降りましたね。  貴方のご実家は駅から歩いて十五分くらいのところで、道路とか広々としている住宅街にある「たまや」という食堂ですよね。  ご両親が経営しているんですね。貴方は将来地元に戻って自分のレストランを開くのが夢だといっていましたね。  食堂と繋がっている自宅の中に貴方が入ってしまうと、もう中の様子は分りませんでした。しばらくお店の周りをウロウロして、夜になったらお客さんが沢山きて混んで来たので、僕もお客のフリをしてお店に入りました。  貴方がいたら顔を合わせない様にしようと思っていたけれど、お店には現れませんでした。  その食堂はご両親が切り盛りしていて、お父さんもお母さんも優しそうな人ですね。  お店はそれ程大きくないけれど、とても家庭的な雰囲気ですね。あんかけご飯の定食を頼みました、とても美味しかったです。  その日は何処か近くに泊まらなければならないと思って、でも駅前にホテルとかもないので、タクシーの運転手さんにカプセルホテルみたいなのはありませんかと聞いてみたら、隣の駅にあるビジネスホテルへ連れて行ってくれたので、そこで一泊することにしました。  次の日は貴方の育った地元を歩いてみようと思って、朝から町の中を歩いてみました。  近くを流れている能代川は広くてとても綺麗でした。きっと貴方が子供の頃はこの辺りで遊んでいたのかな、と思いました。貴方が通っていた小学校とかも見てみたかったけれど、名前も分らないので行くことが出来ませんでした。    この年はアップル社から最初のスマートホンが発売になって、四月に貴方もガラケーから買い換えましたね。スマートホンには、持ち主に気付かれずにあるアプリケーションをダウンロードしておくと、本人が気付かないまま電話の会話を盗聴したり、メールのやり取りを盗み見したり出来るアプリがあることを知って、僕は貴方のスマホにそのアプリをダウンロードすることに成功しました。  その時どんな方法を使ったのかについては、追々説明していきたいと思います。  この頃僕は貴方の住んでいた阿佐谷のアパート、西山ハイム一○一号室の中に二台の隠しカメラと盗聴器を仕掛けていました。でもそのスマホのアプリのお陰でより一層、貴方の行動や交友関係について深く知ることが出来る様になりました。  その後貴方に次の彼氏が出来たのは、その年の五月のことでしたね。  ゴールデンウィークに調理場の堤チーフが体調を崩して休んでしまい、他の店舗から何日か交代で調理場のヘルプに来ていた人です。アルバイトだけれど明大前支店の調理場で長年やっているという、常田豹吾という二十七歳の人でしたね。  仕事のある日以外はロックバンドで活動していて、長髪でいかにもロックンローラーという感じの人でしたね。  僕がお店の事情にもどうしてここまで詳しいのかというと、タロウレストラン調布店の中にも、盗聴器を仕掛けていたからです。  僕は変装してお客としてお店に入って、入り口の前にあるレジスターがあるカウンターに一番近い席に座って、ランチタイムが終わってほとんどお客もいなくなり、店員さんも一人くらいを残してランチの片付け作業になる時間を見計らって、隙を見てレジスターの機械が繋がっているコンセントプラグを引き抜いて、盗聴器を仕込んだプラグに差し替えました。  プラグを引き抜いた時にもしレジスターの電源が落ちたらばれるかと思ったのですが、幸いバッテリー内蔵型のようだったので、そのまま成功しました。  盗聴器は高性能マイクで、調布店はそれほど大きなお店でもないので、ボリュームを上げれば厨房で会話している声も拾うことが出来ました。  その常田さんという人はさすがロックミュージシャンというのか、怖い物知らずでグイグイと貴方に気安い口をきいてきて、誘ってくる人でしたね。  僕には全くないワイルドさがあって、貴方がなびいてしまったらどうしよう……と気が気でなかったですけれど、僕の目的は貴方が好きになった人から酷く傷つけられる様に仕向けることだったので、貴方が好きになる方が計画的には好都合なのに、心の中は矛盾していました。  五月十一日の仕事中に常田さんとこそこそ何か喋っているのが聞こえましたが、声が小さくて何を言っているのか聞き取れませんでした。  きっとお店が終わってから何処かへ行こうと誘っているのかと思って、お店が閉店する時間に行って、お店の裏口の近くで出てくるのを待っていました。  まず先に常田さんが出てきて、ちょっと離れたところまで歩いて、立ち止まってタバコを吸っていました。  しばらくして貴方が出てくると、常田さんと一緒に調布駅の方へ行き、その頃まだあった地下通路を通って北口の方へ歩いていきました。  この時も僕は念の為に、野球の帽子を被って、眼鏡を外して変装していました。  そして貴方は常田さんと一緒に北口の飲み屋街にある「クローバー」というちょっとお洒落な洋風居酒屋に入っていきました。  貴方たちが入ってから五分くらい待って、僕もお店に入りました。  貴方と常田さんのことはすぐに見つけて、隣の席が空いていたのだけれど、あまり近いと見つかるかと思って、ちょっとはす向かいの様な位置の、二人掛けのテーブルにひとりで座りました。他にもまばらにお客さんがいたので、それほど目立つこともなかったと思います。  貴方たちの会話は途切れ途切れにしか聞き取ることが出来なかったけど、近々常田さんのやっているバンドのライブがあるので、貴方に来て欲しいと誘っている様でした。貴方は常田さんからライブのチラシみたいなのを見せられて、乗り気でいる感じでした。  常田さんのバンドのライブは五月十九日にあって、その日は貴方の二十二歳の誕生日でしたね。  貴方はその日の仕事を早番にして貰い、夕方五時に早上がりして、目黒川の近くにある祭典館というライブハウスへ向かいました。  僕もその日に合わせて休みを取って、貴方が来ることが分っていたので、ライブハウスの外で待ち伏せていました。  歩いてきた貴方はピンク系のブラウスとオレンジのちょっと短いスカートを履いて、メイクもいつもよりクッキリしていて、凄くお洒落してきている感じがしました。  貴方が中へ入って十五分くらい待って、中で演奏が始まってから僕も当日券のチケットを買って中へ入りました。  ライブハウスというのは初めて入りましたけど、中は狭い中にぎっしり人が入っていて、暗くて顔も見えないし、ステージにも音響機材とか、ドラムセットとかがぎゅうぎゅうに置かれていて、何よりも演奏が地響きみたいな凄い音で、僕は音楽だかなんだか分らなくって、とにかく耳が痛かったです。  貴方はステージのすぐ前で、ベースを弾いてる常田さんから見えるところにいて、凄いノリノリで手拍子したり手を振ったりしていましたね。  演奏会が終わってお客さんたちが外へ出始めると、僕も紛れて外へ出ました。  貴方が出てくるのを見張っていたら、常田さんのバンドの人たちと一緒に出てきて、駅とは反対の方へ歩いていきます。みんなで何処かのお店に入るのかと思い、ついて行きました。  ライブハウスと同じ通りに並ぶお店の中で、二階にある飲み屋へみんなゾロゾロと上がっていきました。そのお店は一人で入るのはとても目立ってしまう感じだったので、僕はお店の前で待っていました。貴方は明日も仕事だから、きっとそんなに遅くまではいないんじゃないかと思いました。  お店に入って二時間くらい経ったとき、貴方は常田さんと二人で階段を降りてきました。  そして駅の方へ向かうだろうと思ったのだけど、途中で常田さんが貴方の肩を抱いて、目黒川の方へ折れて行きました。そして川辺の植え込みの木の影に入って、常田さんとキスをしていました。もの凄く顔を動かしてむさぼりあってるみたいな感じでした。僕はもの凄く悔しくて、涙がポロポロこぼれました。  この時は常田さんのことが憎くて溜まらなかったけれど、僕が復讐するのは貴方に対してなので、ここまで既に二年間、貴方のことを見張ってきたのは、この時を待っていたからではないかと自分を励まして、二人の様子をちゃんと見て、しっかり策略を練っていかなければと自分に言い聞かせました。  貴方が本気で好きになった相手から裏切られる、これこそが僕がやらなければならないことなのです。貴方と常田さんの交際が本格的になってきたところで、常田さんが貴方を裏切る様に仕向ける方法を考えようと思いました。  常田さんは遊び人でいろんな女の子と遊んでいる感じだったので、常田さんの行動を探れば何か良い方法が見つかるかもしれないと思いました。  それから三日後の五月二二日の夜、この日も僕はお店の閉店時間に貴方が出てくるのを見張っていました。先に常田さんが出て来て、この前と同じ場所で貴方を待っていて、後から出てきた貴方と一緒に調布駅から電車に乗りました。  普段なら新宿までいくところを、貴方は常田さんと一緒に途中の桜上水駅で降りて、常田さんに連れられて定食屋みたいなお店へ一緒に入りましたね。  そこで何か食事して、出てくると駅へは戻らずに住宅街を歩いて、古びたアパートに入っていきました。そこは常田さんが住んでいるところでした。  一階の奥の部屋だったし、他に人影もなかったので、僕は足音を忍ばせてドアの前まで行き、聞き耳をたてていました。  キャッキャと楽しそうに笑ってる声とか聞こえて、その後静かになりました。中ではきっとセックスしているんじゃないかと思いました。  貴方は僕がストーカーになってから約二年の間には、誰ともセックスしませんでした。僕がストーカーになる前はどうだったのでしょうか、誰かと男性経験はあったのでしょうか、それともこの時が初めての体験だったのでしょうか、僕はドアの前から体中がブルブル震えるのを抑えながら歩いて、桜上水駅まで戻りました。  貴方は僕のことは塵ほどにも思っていないのに、あんな男とはセックスしてしまうのか、と思うと気が狂いそうでした。  その時は貴方に対する復讐ということよりも、常田さんに対する嫉妬心を強く感じてしまいました。でも貴方が好きな人から傷つけられる様にしてやろうという目的には方向性として矛盾していない、それが嫉妬心からのことであろうと、やりたいことは一致していると思ったので、この思いをぶつけて必ず実行してやろうと自分を励ましました。  桜上水駅から電車に乗って、席に座ろうとして気付いたのですが、僕の下半身はずっと勃起していたのでした。僕はこの時三四歳でしたが、まだ女性とセックスした経験はありませんでした。  家に帰って貴方のアパートに仕掛けた隠しカメラの映像を見ていたけれど、やっぱり貴方は帰って来ませんでした。  翌日の五月二三日は、貴方が毎週仕事がお休みの水曜日でした。僕は仕事だったので夜家に帰ってから、録画しておいた隠しカメラの映像を確認しました。貴方は昼過ぎに一度阿佐ヶ谷のアパートに戻って、着替えを鞄に入れてまた出掛けて行きました。  貴方と常田さんのメールのやり取りを見て分りましたが、その日の夜はまた常田さんのアパートに泊まって、次の日は常田さんのアパートから調布のお店へ出勤したんですね。  僕は心が不安定になって、仕事にも行きたくなくなっていましたけれど、自分の精神状態をどうにかしなくてはと思って、長年無駄に大切にしていた童貞を捨ててしまおうと思いました。そうすれば僕の欲望も落ち着いて、冷静に復讐の方法を考えることが出来ると思ったのです。  ネットで調べて川崎にあるソープランドへ行ってみました。そこへ行くのには変装する必要もないのだけれど、何か恥ずかしい気がして、やはり帽子と眼鏡を取ることで変装していました。  お店に入るまでは緊張したけれど、初めて会う風俗嬢の人はとても感じが良くて、僕が黙っていてもいっぱい話しかけてくれるし、優しい人だったので安心しました。けれど、裸になっても、何をされても僕のペニスは全く勃起することはありませんでした。  始めて生身で見た女性の身体には、まるで現実感がなくて、常田さんのアパートの前にいた時はあんなに勃起していたのに、ピクリとも勃起することなく時間が終わってしまいました。  風俗の女の人は僕にごめんなさいといって謝っていたけれど、風俗の人は何も悪くない、僕はもの凄く虚しくなって、死にたくなりました。  でもそんな気持ちも復讐のエネルギーにしなければ、と思い直して。僕は出来る限り常田さんの後をつけて、行動を探ってみることにしました。  常田さんは病欠していた堤チーフが調布店に復帰してからは、本来の職場である明大前駅にある店舗へ戻りました。  バイトは週に四日くらい入っていて、その他は千歳烏山や下北沢にある貸しスタジオでバンドの練習をしたりしていました。  またバンドのファンの女の子と合コンしたり、明大前店で一緒にバイトしている女の子たちと飲みに行ったりもしていました。  貴方と常田さんとのメールのやり取りを読んでいましたが、常田さんが合コンに行く時などは、貴方にはバンドの打ち合わせに行くとか嘘をついていました。  僕は居酒屋等で常田さんが他の女の子と親しげにしているところを写真に撮って、インターネットの常田さんのバンドが運営している掲示板にアップしました。  それは貴方も見ていたから知っていますよね、その時の投稿者としての僕のハンドルネームはリベンジャーでした。そう、あの時あの画像を投稿したのは僕だったのです。  写真には「モテモテの常田さんには一体何人彼女がいるのかな」みたいなことを書き込んで、貴方に常田さんの乱れた素行が伝わる様にしました。    貴方からの怒りの留守番電話を聞いた常田さんは、阿佐ヶ谷の貴方のアパートへ来て、謝ったけど喧嘩になりましたね。  僕はカメラと盗聴器でその様子を見ていました。貴方たちの喧嘩が激しくなればなる程、僕は嬉しくて溜まらなくなった。  あの時常田さんが貴方に「誰かが俺たちを別れさせる為に盗撮した画像をアップしてんだよ」とかいっていたのは本当のことだったんです。  でも誰が投稿したかなんてことは貴方には関係ありませんでしたね。貴方はひたすら常田さんの酷いところを責めていました。  きっともう常田さんとの関係はダメになるだろうと思いましたが、僕はもっと他の画像も投稿して、もっと貴方を傷つけてやりたいと思いました。  そして掲示板上で常田さんになりすまして、貴方のことだと分る様に「バイトでヘルプに行った先で引っかけた女がくだらなくって、ただの遊びなのにマジになられてまいった~青臭いし色気もねぇし、何よりエッチがヘタで話になんねぇ」みたいなことを書き込みました。この文章を書き込んだ時は、僕のキャラクターとは全く違う、荒ぶれ男みたいな感覚になって、気持ちよかった。  これを見た貴方は部屋で泣いていましたね。だけれど僕としては、策略通りに傷つけてやったはずなのに、何だか全然復讐を果たしたという感じではありませんでした。  満足感もなくて、何より常田さんという人は本当にクズだったので、貴方に復讐をしたというよりは、悪い男から離れさせてあげた様な感じになって、とても違和感がありました。    次の日貴方は早番でお店の調理場で仕込みをしている時に、一緒に調理場を担当してた村永さんというおじさんのアルバイトの人から「何かあったのかい?」といわれましたね。  きっとあれだけ泣いていたから目が腫れていたりしたんでしょうね。貴方は強がって「別になにもありません」と答えていました。  あの村永さんというおじさんは貴方よりずっと年上の様だけど、仕事上は社員の貴方の方が立場が上だから、貴方に指示されることも当たり前の様にしていますね。だけどなんだか田舎の訛りがあって、話し方ものんびりしてて、何よりいい歳なのに髪の毛が金髪で、黒縁眼鏡をして、最初に見た時はびっくりしました。一緒にいたらイライラするだろうな、という感じの人ですね。   その後六月二二日に、調理場のオーブンで焼いていたチキンステーキを出す順番を間違えて、生焼けの物を出してしまい、お客さんからクレームがきた時に、本当は間違えたのは堤チーフなのに、それを貴方のせいにされて怒られたことがありましたね。  その時も、村永さんは慰めてくれてましたね。村永さんは自分の周りの人の様子がおかしかったり、可哀そうな人がいると声をかけてくれる、心の優しい人なのかなと思いました。  揉め事といえばやっぱり調理場でアルバイトしていた女子の浜草さんという人と、貴方は仲が悪かったですね、調理場の人たちのやり取りを聞いてると、浜草さんというのは学生さんなのでしょうか、どうも主任の中野さんという男の人のことが好きなんですね。  でもその中野さんは貴方に好意を持っていて、浜草さんはそれを嫉妬してるから、仕事上の貴方の指示にも素直に従わなくて、八月七日に野菜の洗い方を巡って言い合いみたくなって、貴方も声を荒げていましたね。人間関係というのは何処も難しいものだな、と思いました。  その次の日の八月八日に、貴方は早番で入って早上がりして、調布駅に行って、帰るのとは反対方向の電車に乗って、隣の京王多摩川駅で降りて、多摩川の河原をひとりで歩いていましたね。  アイポッドを操作して、耳にイヤホンを付けていました。きっと聴いているのはいつも部屋で聴いているミスターチルドレンの曲なのかな、と思いました。  多摩川の河原は広くて見通しがいいので、僕はギリギリ貴方の姿が見えるくらいの離れたところから見ていました。  風景を見ていたら貴方が帰省した時に後をつけて行った、新潟の貴方の実家の近くにあった能代川を思い出しました。貴方もきっと故郷の風景を思い出しているのかな、と思いました。  また違う日にも、貴方は何度かそこへ行って一人で河原を歩いていましたね。きっと何か考え事とか、嫌なことがあった時に来るのかな、と思っていました。    そんな感じで、貴方には全く僕の存在を知られることなく、ただ僕が貴方を観察して、貴方の恋愛が上手くいきそうになったら復讐の機会を窺う、という日々を過ごしていました。でも貴方が就職してタロウレストランに配属されてからしばらくして、僕も仕事を始めていたので、貴方が誰かと出掛ける後をつけることが出来ない時もありました。  貴方はゆくゆくは地元の新潟に戻って、ご両親の経営する定食屋さんを洋食のレストランにしたいといっていましたね。そんな夢を持ちながら、休みの日にはコンサートに行ったり、映画にもひとりで出掛けていました。新宿の時もあれば、早番の時は仕事帰りに下高井戸シネマにも行っていました。  アニメの「時をかける少女」を観た時は僕も貴方の斜め後ろで一緒に観ていました。映画の内容よりも斜め後ろからの貴方の姿に見入っていました。ひとりだから誰も見ていないと思って大泣きしていましたね、ごめんなさい。しっかり見ていました。  映画の帰りにはよくひとりラーメンしてましたね。僕もこっそり一緒に食べたことがあります。  この年の暮れもお店は十二月三十日まで営業していて、この年は貴方は二十九日から休みを取って新潟へ帰り、年明け二日には戻って、三日からの営業に出社しました。飲食業はお休みが少ないので大変ですね。  そして二〇〇八年の五月に、貴方に三人目の彼氏が出来ました。  五月十三日と翌週の二十日に、タロウレストランシステムの新宿本社で調理担当の社員たちを集めた研修があって、そこで知り合った新宿西口店の調理主任だった柳川智則さんという、二六歳の人でしたね。  研修の二日目の日の夜、家に帰って貴方は柳川さんと電話していましたね、なんだか料理のことについて熱心に話し込んでいる様で、柳川さんという人は料理に対してすごく真剣で、そんな彼のことを貴方がリスペクトして、惹かれている感じが伝わってきました。  そして勉強の為に、一流レストランを予約して、一緒に食べに行こうと約束しました。  五月十九日の貴方の二三歳の誕生日にも電話が掛かってきて、凄く良い雰囲気になっていましたね。貴方は「祝ってくれる人なんていないんですよ」なんていいながら片手でクマさんのヌイグルミをずっと撫ぜていました。とても楽しそうて、嬉しそうな気持ちが伝わってきました。  五月二九日は早番で朝からお洒落な服装で出社して、夜は早上がりして新宿で柳川さんと待ち合わせて、お茶の水にあるビストロシャノァというフランス料理のお店に行きましたね。  僕は遅くまで仕事があったのでお店を見に行くことは出来なかったけれど、インターネットで紹介されているサイトを見たら、凄く豪華な感じで、コースもひとり一万二千円からなんて、本格的なところですね。  何より僕は貴方が何時頃にどんな顔をして家に帰ってくるんだろうと、そればかりが気になっていました。  録画していた隠しカメラの映像を見たところ、貴方は夜の十時頃に帰ってきました。時間的にも、コース料理を食べ終えてまっすぐに帰ってきた感じでした。そんなところにも柳川さんという人の真面目さを感じました。  そして、貴方が部屋に戻って着替えを済ませ、一息いれたところに丁度柳川さんから電話が掛かってきて、お互いに今日のお礼をいっていましたね、その時も貴方はとてもいい笑顔をして、倖せそうでした。  今回は本当にいい雰囲気で、上手くいきそうな恋愛だったので、今度こそ復讐を果たす時がやってきたのかもしれない、と思いました。    貴方と柳川さんのメールのやり取りを見ていたので、柳川さんのメールアドレスや電話番号も分っていました。なのでフリーメールで設定したアドレスから、柳川さんに匿名のメールを送って、貴方は一見真面目そうに見えるけど、実は男遊びが激しいとか、調布店でも調理場で主任の男性を巡ってアルバイトの女の子と三角関係になって揉めているとか、事実をデフォルメした悪口を書いて、私は匿名の女子ですが貴方のことが好きなので気をつけて欲しいと思いメールしました、みたいな体裁にして送信しました。  その後柳川さんと貴方の電話やメールのやり取りがどうなるかな、と期待していたのですが、柳川さんはそんなメールが来たことをひとことも貴方に話しませんでしたね。  もしかしたら送信出来ていなかったのかと思い、もう一度送ったのですが、それでも柳川さんの貴方に対する態度に変化は見られませんでした。  何でだろうと思い、三度目に送った同じメールに「これは本当に重要なことなんです」と書き加えて送ったのですが、やはり同じでした。  こちらが送信完了になっているので、ちゃんと届いているはずなのですが、これは意識して無視されているなと感じました。  それなら逆に柳川さんの何か弱味か、陥れるネタがないかと思い、また常田さんの時の様に柳川さんの動向を探ってやろうと思いました。  夜柳川さんが勤めている新宿の西口地下にあるタロウレストランの支店へ行きました。お店の裏口を閉店時間から見張っていて、出てきたら後をつけてやろうと思っていたのですが、考えてみたら僕は柳川さんという人の顔を知らなかったので、その日は諦めて帰りました。  次の僕の休みの日に午後からまた行きました。営業時間内にお客としてお店に入って、客席から厨房の中を見ようと思っていたのですが、中々見えるポジションに行けなくて、仕方なく一度出て、ウィンドウの外から厨房が見える辺りの席が空くのを伺いながらウロウロして、空いているのを確認出来た時にまた入って、厨房の中を窺っていました。  ホール担当の人に料理を受け渡しするカウンターに、コック服を着た人が料理を出しに来るのだけれど、女の人だったり、年配の方だったりして中々確認出来ませんでした。  でも何度目かに、休憩に入る時なのかコック帽を外しながら奥から出てきた若い男の人がいて、胸のネームバッジの文字までは確認出来なかったのですが、きっとあの人だろうと思って、また閉店になる夜十時に外で待っていようと思いました。  店の外で閉店時間に待っていると、通用口から従業員の人たちが出てきました。その中に昼間確認した男性がいたので後をつけました。  その人はそのまま地下道を歩いて小田急線の乗り場へ行き、小田原方面の急行に乗って新百合ヶ丘まで行き、そこで各駅停車に乗り換えて次の柿生駅で降りました。  駅の周囲は都心から離れた寂しい感じのする住宅街になっていました。柳川さんはその中を急ぎ足に歩いていきます。  僕はここまできてこの人が柳川さんじゃなかったらどうしよう、と思っていたのだけれど、十分くらい歩いて入っていったアパートの郵便受けを見たら、ちゃんと「柳川」と書いてあったのでほっとしました。  新宿から三十分くらいでした。これから毎日ここまで来て柳川さんの動向を探るのは大変だなと思いました。なので柳川さんのアパートの部屋に、盗聴器だけでも仕掛けられないかと思いました。  僕は計画を立てて、休みの日に朝から柳川さんのアパートの前に張り込んで、柳川さんが部屋を出て柿生駅から小田急線に乗るのを確認してから、またアパートへ戻り、古いタイプの鍵だったので、ネット通販で買ったピッキングセットを使って、何とか開けることが出来て、室内へ入りました。  中は若い男性の一人暮らしとは思えないくらい綺麗にしていて、整理整頓されていました。   僕は盗聴用に用意したスマートホンを仕掛けるつもりでした。デスク用の椅子に乗って、天井から下がっている蛍光灯の傘の上に、電源が繋がっているプラグを二股にして盗聴用のスマホを繋いで、充電しっぱなしの状態にして、マイクがある画面側を下にして置いておきました。  作業が終わって外に出ると、ドアを閉めてまたピッキングで鍵を閉めておかなければならないと思って、誰かに見られたらどうしようとドキドキしましたが、結構寂しい感じのところだったので助かりました。  ただ、終わってアパートの敷地を出ようとした時に、外から入ってきた若い感じの女の子と出くわして、ドキッとしました。  見ていたらその子は僕と入れ違いに柳川さんの部屋のドアの前へ行き、ブザーを押しています。すれ違った位置関係から、僕が柳川さんの部屋を訪ねていたのは明らかなので、顔を覚えられたらどうしようと思い、また声を掛けられたら大変だと思って、そそくさと急いで歩いていきました。  でも、もしかしたらその子は柳川さんと付き合っているのかもしれないと思い、貴方との仲を引き裂くネタになるかもと思いました。  その夜から僕は柳川さんの部屋の盗聴を始めました。夜の十一時過ぎになると、ドアを開ける音がして、帰ってくるとお風呂に入ったり、小さくテレビの音が聞こえていました。  同時に貴方の部屋のカメラ映像も見ていました。貴方が部屋で電話を掛けると、柳川さんの部屋で携帯が鳴って、貴方と柳川さんが喋る会話を両方の盗聴器から聴くことが出来ました。  貴方と柳川さんのお喋りは、お互いにお互いを好きだということが手に取る様に伝わってきて、地獄でした。  でも貴方との会話を終えて電話を切った後に、深夜遅くになって再び柳川さんの携帯が鳴りました。貴方の部屋の映像を見ても、貴方はとうに寝てしまっていて、柳川さんは誰と喋っているんだろうと思いました。  どうも相手は女の人で、柳川さんは相手のことを「ユッチン」と呼んでいる様です。言葉の感じからすると、付き合っている人の様な感じでした。よ~しきたきたと思って、僕は聞き入りました。  柳川さんは付き合っている人がいながら貴方にチョッカイを出していたのだ。と思ったのですが、話している内容からすると、柳川さん的にはもう別れたいと思っているのに、相手の方がなかなか納得してくれない様な、そんな雰囲気を感じました。  僕はあの時、柳川さんのアパートに忍び込んで盗聴器を仕掛けた時に、帰る時に入り口ですれ違った若い女の子のことを思い出しました。可愛い感じの子だったけれど、そういえば何か寂しそうな、思い詰めた様な感じもしたなと。  貴方にこのことを知らせれば、今回もまた別れさせることが出来ると思いました。別れ方としては貴方が無残に捨てられる様な感じにしてやりたいと思いました。  もしかしたらこのまま僕は何もしなくても、柳川さんは結局あの子と別れることが出来ずに貴方を捨てるかもしれない。でももしかしたらそのまま二股で両方と付き合い続けるのかな、とも思いました。そうなればそれが発覚した時に貴方が受けるショックはもっと大きくなるだろう。シメシメと思いました。  この頃の貴方は柳川さんとラブラブな空気になっていたから、部屋でかけるミスターチルドレンの音楽も、陽気な感じの曲を流して、楽しそうに口ずさんでいましたね。僕はよしよし、もう少し泳がせて倖せを味合わせておいてから、ズドーンとどん底へ突き落としてやろう、と思っていました。  柳川さんが別れたいと思っている彼女は、柳川さんと絶対別れたくなくて、柳川さんは泣きつかれている様な感じでした。  聴いていると柳川さんの声は「そんなこといわないで」とか「まだまだ楽しいことがあるから」とか、まるで自殺したいといっている人をなだめている様な感じでした。  それに相手から、他に好きな人が出来たのか、みたいなことも言われているらしく「まだ付き合ってない」とか「これからだからまだ分らないよ」みたいにごまかしていて、貴方のことは言わない方がいいと思っている様子でした。とても困っていて、気の毒な感じさえします。  どうするんだろうと思っていたら、六月十日の火曜日に、柳川さんが仕事が終わってから貴方と新宿で会えないかと誘いがありましたね。  その日は僕も仕事が終わってから新宿へ向かいました。待ち合わせは新宿駅の西口の地下ロータリーでしたね。僕は貴方と柳川さんを確認して、ちょっと間隔を開けて後をついていきました。  どんな話になるんだろうと、ドキドキしました。お店に入るのかと思っていたら、そのまま都庁の方へと続く長い地下道をまっすぐ歩いて、中央公園に入っていきましたね。森みたいな中に通路があって、所々のベンチではみんなカップルが座ってイチャイチャしています。  僕は前の目黒川で貴方が常田さんとキスしてるのを見せられたことを思い出して、また見せられちゃうかもしれないと思い、嫌な気持ちになってきました。  貴方と柳川さんは二人でベンチに座ったけれど、柳川さんはうつむいていて、貴方との間には隙間があって、身体を近づけることもしません。何か喋ってるみたいだけど、僕は離れたところに立っていたし、声が小さいので内容までは聞き取れなくて、とてももどかしかったです。  そうしているうちに貴方がバッグからハンカチを出して目元を拭いているから、泣いているのかなと思いました。柳川さんはまだうつむいたまま、何か申し訳なさそうに貴方に謝っている感じです。  ずっと沈黙があって、その後貴方が立ち上がって歩き出しました。その後柳川さんも立ち上がって一緒に行こうとしましたが、貴方が振り返って「ひとりで帰れますから」みたいなことを言ったのが聞こえました。  そのまま柳川さんは立ち尽くして、貴方だけが駅の方へどんどん歩いて行ってしまいました。  どんな話をしたんだろうと思い、僕は家へ帰って貴方の様子と柳川さんの部屋の音を聴いてみました。柳川さんのアパートにはあのユッチンと呼ばれていた女の子が待っていたらしく、柳川さんは帰ってくると「大丈夫だよ、ちゃんともうお別れだっていってきたから」等と言ってなだめていました。  貴方はよく電話している専門学校の友達のノッコさんに電話して、酷い目に遭ったことを泣きながら説明していましたね。  貴方がノッコさんに話していた内容によると、柳川さんが実は前の彼女と二股を掛けていて、それがもう限界にきたからといって自分が捨てられた。結局最初から自分のことは遊び相手としか思われていなかったんだ。ということでしたが、それは僕の見解からすると、ちょっと違うなと思いました。  柳川さんは本当に貴方のことが好きだったんだと思います。前の彼女のユッチンさんとは、貴方と出会った時にはもう終わっていて、柳川さんとしては完全に別れたつもりでいたのに、ユッチンさんの方は柳川さんのことを忘れられずに、柳川さんに付きまとっていた、という印象です。  この前柳川さんが電話で話していた会話の様子だと、ユッチンさんは別れるなら死んでやる、みたいなことをいって脅迫していたのかもしれません。それで柳川さんはどうにもならなくなって、止むなく貴方と別れなければならないと思ったのでしょう。  貴方はそれから何日か、夜中までワインを飲んで泣いていましたね、貴方はお部屋でよく赤ワインを飲みますね。赤玉パンチとか紙パックに入ったやつとか、安い物が多いけど、阿佐ヶ谷に住んでいた頃は商店街のスーパーダイガメでよく買っていましたね。  今回のケースは、柳川さんの事情の為に貴方が悲しい思いをさせられたということでした。今回も僕が何をしたという訳でもなく、貴方が捨てられたのは不可抗力の様で、何かスッキリしない気分でした。  貴方は柳川さんに騙されたと思って恨んでいる様でしたが、柳川さんも後で一人の時に、部屋でむせぶみたいに泣いている声が聞こえてきました。  僕は柳川さんに貴方の悪口を書いたメールを何度も送ったのに、柳川さんは全く相手にせずに、そんなメールが来たことさえ貴方にいいませんでした。それはきっと、そんな物には惑わされずに貴方を信じて、好きだったからだと思います。  僕は貴方の部屋の隠しカメラの映像で、貴方が泣いている姿を見ていたら、きっと神様というものがいるとしたら、こんな風に人間を見ているのかもしれないな、と思いました。  貴方に復讐してやりたいのに、なんだか守護霊みたいな気分になってきていて、違うじゃないかと思いました。もう一度しっかりと目的を認識しなければ、と自分に言い聞かせました。  僕は貴方が僕のことを完全に忘れてしまっているといいましたが、僕は貴方のことを生涯忘れません。ここで僕と貴方が何処で面識があったのかを打ち明けたいと思います。  僕は二〇〇五年に貴方が二十歳で専門学校の二年生だった時に、アルバイトしていたモアバーガーの中野店で、一年くらい一緒にアルバイトをしていた者です。そこでは僕の方が先輩でした。名前を須賀健二といいます。その時僕は三二歳でした。  貴方が新人としてアルバイトに入ってきた時、僕はあのお店で働いて三年目だったのですが、あのお店でアルバイトを始める前は、僕は大学を出てから三十歳になるまでの八年間、自宅に引き籠もっていました。  僕が大学を卒業した時期はちょうど就職氷河期といって、就職したくても出来ない人が多かったんです。僕は理系の大学を出ていたのだけれど、就職試験を受けてもなかなか内定が貰えなくて、結局小さな印刷会社に非正規社員という形で入りました。だけど営業の仕事が合わなくて、二ヶ月で辞めてしまいました。  僕の家は東小金井にあって、今も両親と一緒にそこに住んでいます。就職に惨敗してからずっと自分の部屋に引き籠もったまま、八年経って三十歳が近くなってきて、自分でもこのままでいいのかなと焦っていた時に、近所に住んでいて大好きだったお祖母ちゃんが亡くなってしまいました。それが悲しいのと、もう本当に自分をなんとかしなければという切羽詰まった気持ちになって、そこでモアバーガーのアルバイトに応募して、中野店で働く様になったんです。  だからあの店で働いていたのは、何か目的があって始めたというよりは、社会に出る為のリハビリの様に考えていました。  あまり初対面の人と話をするのは苦手なので、モアバーガーでも接客ではなく、裏方の調理場の方を希望して入りました。  仕事を始めて最初のうちはメニューの種類とか調理の手順とか、覚えることがいっぱいあって大変だったけれど、だんだん仕事がこなせる様になってくると楽しくて、充実感もあって、なにより一年経った時に貯金が出来て、新しいPCを買えたのは嬉しかった。  そして働き始めて三年目に、貴方が新人のアルバイトとして入ってきました。最初は調理場ではなくカウンターのポジションでしたね。貴方は調理場を希望していたみたいだけど、基本女の子は売り場担当だし、何より貴方の様な可愛い人には接客の方に回って貰いたいという、お店の気持ちはよく分ります。  僕は調理場から、カウンターに立つ貴方の姿を見ていました。テレビアニメのキャラクターとか、アイドルのモーニング娘が大好きだったけれど、生身の女の子、それも貴方の様な可愛い人とリアルにお話するなんてことは、絶対に出来ないことだと思っていました。  カウンターと調理場とはほんの少ししか離れていないけど、遠くの世界にいる人を見ている様な気がしていました。  それが、貴方が入って三ヶ月くらい経った時に、僕と一緒に調理場をやっていた学生のアルバイトが夏休みに海外旅行へ行くとかいって、ポジションが空いた時に、貴方は最初から調理場を希望していたので、ポジションを移って調理場を担当することになりましたね。  僕は店長から貴方に仕事のことを教える様にと指示されていたのだけれど、貴方を見ると妖精の様で、なんだかこの世の者とは思えない気持ちでした。  でも貴方は早く仕事を覚えたいと思っていたから、何でも質問してきて、小さなことでも教えると「ありがとうございます」って可愛い声で答えてくれましたね。  その頃から貴方は、将来は地元の新潟で自分のお店を持ちたい、小さなレストランでもいいから開きたい、といっていましたね。なんて健気な夢を持っているんだろうと思いました。  僕から見た貴方は、モーニング娘の誰よりも可愛いと思いました。何より僕の目の前で動いており、息をして、話しかけると答えてくれる。ああ、これがリアルというものなんだと思い、その日から僕は、仕事に行くのがまるで夢の世界へ行く様な気持ちになっていました。    貴方はきっと、今までに一度も恋愛経験が無い人だと思いました。そして、自分がこんなにも可愛いということに自分では気付いていない。僕が今までに見たアイドルの誰よりも可愛いのに、貴方は全くアイドルになりたいなんて思っていない。地道に働いて将来は自分のレストランを開きたいと思って頑張ってる。一生懸命だけれどオッチョコチョイなところもあって、そこの部分は僕の様な脇役男子が守ってやらなければならない。貴方は何か良いことがあると、どんな小さなことでももの凄く喜んで、そしてその笑顔は弾ける様に眩しい。  僕は毎日、仕事のこと以外にもっと貴方とお喋りしたいと思いながらも、なかなかお話することが出来ないまま、ただ僕の心の中では貴方への気持ちばかりがどんどん大きくなって、言いたいのに言えない、そのことが苦しくて溜まらない、そんな風になってしまい、もう心が抑えきれなくなっていきました。  それから三ヶ月くらい経った頃に、切っ掛けというのか、十月二三日の夕方に新潟県で大きな地震があって、僕は次の日真っ先に貴方に地元は大丈夫なの? と聞きました。貴方は自分の実家は震源地から大分離れていたから大丈夫だったといいましたが、僕はどれだけ心配したか、大丈夫だったのなら本当に良かったと、僕の気持ちをいいました。  そして、その日の仕事が終わるまでずっと思い詰めて、今こそ貴方に僕の思いを伝えなければと思いました。そして、仕事が終わっていち早く片付けを終わらせて制服から私服に着替えると、裏口から出たところで貴方を待っていました。  出てきた貴方に、ちょっとお話があるんですがと言いました。貴方は一緒に帰ろうとしていたアルバイトの友達に先に行ってて、といって、僕と二人でちょっと離れた所にきてくれました。覚えていますか?  そして僕は貴方にこう言いました「もしキミが僕と交際してくれるなら、僕はモーニング娘のことは全て忘れる」貴方はきょとんとしていましたね、僕は自分の声が震えるのを押さえて「お願いします。僕は貴方のことが好きです。もしよかったら交際して下さい」といいました。実際は途中で言葉が途切れたり、つっかえたりしていたと思うけど、とにかく僕の思いを伝えなければならないと思って、頑張りました。  貴方は初めて見る物を目にした様な顔をして「嫌ですあり得ないです」といいました。そのまま行ってしまおうとするので僕は「ねぇ待って」といったら、貴方は「消えて下さい」といって、離れたところで待ってる友達のところへ、振り向きもせずに歩いて行ってしまいました。  僕はそのまま立って貴方が歩いて行った方を眺めていました。わくわくしていた世界が一挙に暗転したというのか、全部が無くなってしまった様な感じでした。  次の日から僕はお店に行けなくなりました。僕は「消えて下さい」と言われたのでもう貴方に見られることは絶対に嫌だと思いました。  この手紙の最初の方で僕は、貴方のことを愛していたのと同じくらい、貴方を憎んでいると書きました。それは貴方に僕の心を殺されたからです。  もしも心の傷の深さを測るバロメーターがあって、傷の深さによって裁く法律があるのだとしたら、こんなにも立ち直れないくらい人の心を傷つけた貴方は、きっと死刑になると思います。  具体的に骨が折れたとか、刺されて血が出たとかいうのとは違って、心に受けた傷を数値で表すことは出来ません。だからどんなに人が人から傷つけられても、心の問題は法律では罰してくれない。今はこれだけ人権とかコンプライアンスとか騒いでいるけれど、法律が罰してくれないのなら、自分で戦うしかありません。  人間は時として、自分ではそうと気付かないまま、相手が生きる気力を失ってしまうほどの酷いことを言ってしまったりするものです。でも、気づかなかったと言われても、言われた方はそれでは済みません。その言葉で生きていけないくらい傷ついて、その傷を一生背負って生きて行かなければならないのです。こんな理不尽なことが許されていいのでしょうか。いいはずはありません。だから僕は人生を奪われてしまった復讐を、貴方に施そうと思ったのです。  社会とか法律がどうとかいう問題ではないんです。これは生物と生物の、生存をかけた戦いです。  可愛い女の子にとっては、ブサメンには生きる権利がないということでしょうか。それならばブサメンとしては可愛い女の子を皆殺しにしてやることしか生きる方法はないのです。社会に完全な平等などというものはありません。何のかんのと綺麗ごとをいってみても、世界から戦いはなくならないのです。   貴方は僕に「消えて」といいました。きっと深く考えもせず、無邪気な気持ちで言ったのだろうと思います。でも、その言葉で僕が一生を台無しにする程傷ついていたという気持ちを、どうしても貴方に伝えたいのです。  その為には、貴方にも僕と同じ様に、地獄の苦しみを味わってもらうより他ありません。  あの日から僕の人生は決まりました。いわばあの日が僕の第二の誕生日だったといってもいい。  僕の計画は、貴方が心から好きになった相手が出来たら、その相手から地獄の様に捨てられる様に仕組んでやることでした。  そのことだけを生涯の目的として生きていこうと決めたのです。貴方は僕の生涯です。貴方に復讐を果たすことが僕の人生なのです。  あの日から僕はモアバーガー中野店に行くことが出来なくなりました。貴方に「消えて」と言われたので消えました。心の中は息苦しい灰色に塗り潰されていました。絶対的な絶望だけがあって、僕という人間には息をしている価値もないのだと思いました。  行かなくなった後、お店の店長から何度か電話があったけれど、出ずにいたらそのまま掛かってこなくなりました。  両親にはアルバイトを辞めたなんていうとまた心配するので黙っていました。そして週に何日かは仕事に行くフリをして出掛けていました。  アルバイトをしていたはずの日中の時間を、映画を観たり、新宿や渋谷で街を歩いたり、ある日は浅草の花やしきで一人で遊んだりもしました。でも楽しいことなんて何もなくて、自分が鬱になっていることも分りました。  でもどうしたらいいのかも分らなくて、お店に行かなくなって何日か経った時、また仕事に戻りたい気持ちはあったけど、でも今更戻る訳にもいかないと思って、でも気になって中野駅まで行って、誰か従業員に見られたら嫌だなと思いつつ、中野店の前まで行きました。  店の入り口からは、椅子とテーブルが並んでいるホールの奥に、カウンターに立ってる人しか見えなかったけれど、カウンターの奥の厨房で、白いコック服を着た人が動いているのは時々見えました。でもどれがどの人なのか、貴方がいるのかどうかも分りませんでした。  悔しくて、駅に戻ろうかと思ったけど、両親にアルバイトをしているフリをしている以上、お店の閉店時間までは何処かで時間を潰さなければならないし、そのままお店の閉店時間まで中野駅の近くをウロウロしていて、閉店時間に近くなったらまたお店の近くに戻ってきました。  店の営業が終わって、いつも帰っていた時間になると、通用口から従業員が出てき始めて、その中にどうやら貴方と、仲良くしていた女子のアルバイトの子が出てきました。僕は離れたところからそっと見ていましたが、何を話しているのかキャッキャと笑い声をあげて楽しそうで、僕とは違う世界にいる様でした。  次の日も早番の頃に出掛けていたのと同じ時間に家を出て、お店の通用口が見えるところで従業員が出社してくるのを見ていました。もし見つかるといけないと思い、野球の帽子を目深に被ってマスクをしていました。  店長も、調理場の生稲さんも来て入っていきました。朝の七時にオープンして、モーニングタイムが始まりました。でもずっと立って見ているのも疲れて、また貴方が出勤してくる夕方になったら来てみようと思いました。  それから夕方の五時にまた来て、また同じ場所からお店を見ていました。貴方は専門学校が終わってからの、六時からの勤務なので、駅から歩いてくるのを待っていました。  六時のギリギリになって早歩きで貴方は歩いてきて、通用口に駆け込んでいきました。貴方の姿を見たのはほんの数秒間でした。    お店はいつも通りに、僕がいなくても全く変わりなく営業していました。  その日は夜また閉店時間に来て、貴方が通用口から出てくると、駅まで後をつけて歩いて、貴方の乗る電車に一緒に乗りました。  貴方は中野駅から中央線で二つ目の阿佐ヶ谷駅で降りて、商店街の途中から折れて住宅地を歩いて行きました。そして僕は貴方の住んでいるアパートと、貴方の住んでいる部屋がどれなのかも確かめることが出来ました。  次の日は朝六時に起きて、親には早番の時間が早くなったといって家を出ました。僕の家の最寄りの東小金井から阿佐ヶ谷までは二十分くらいでした。  昨夜突き止めた貴方のアパートの前で隠れていると、貴方は八時過ぎに部屋から出てきて、商店街を通って阿佐ヶ谷駅へ行きました。  通勤時間で人が多くて、見失いそうだったけど、逆に人が密集しているのですぐ近くにいても死角に入りやすかった。  そして電車に乗って新宿まで行きました。貴方は電車から降りると凄い早足で歩くので、見失わずについていくのが大変でした。  ホームから西口の地下道を歩いて、地上に出てからはルミネの前を通って大通りに沿って歩いていき、その先の道路沿いに建っている、福田調理師専門学校のあるビルに入って行きました。  それは二〇〇五年の十月二八日金曜日のことでした。この日から僕は、貴方の行動を監視して何月何日に何があったのか、貴方の住んでいるところからの通学、学校の授業の時間、バイト先への道順、毎日の買い物、遊びに行くところ、その他生活パターン等、分ったことを全て詳しくノートに記録していきました。  でも僕はふと、僕はひとりで一体何をしているんだろう、何が僕にここまでのことをさせているんだろう、と思って考えてみました。  それは、最初は不思議だったからです。僕は貴方に「消えて」といわれて姿を消しました。それなのに、アルバイト先のお店は何も無かった様に変わりなく毎日営業されている。僕は殺された人間の様に傷つけられたのに、僕を殺した貴方は何も無かった様に毎日学校へ行き、僕がいなくなったお店でアルバイトしている。これって一体何なのだろう? と不思議だったからです。  そんなことを考えながら、毎日朝は貴方のアパートから出掛けてくる貴方を出迎えて、一緒に新宿へ行き、また学校が終わる時間に出迎えて、アルバイトがある時は一緒に中野店へ行き閉店まで待っていて、貴方と一緒に電車に乗って阿佐ヶ谷まで帰ってくる。アパートへ帰る途中、貴方が商店街で買い物をしたりするのも見ていました。  貴方がバイトの休みの日には、貴方がお友達とお茶しているのを見ていたり、また映画館へ入ったら一緒に入って観たりしていました。  十一月十四日月曜日。貴方は学校が終わった後でいつもの様にアルバイトへは向かわず、専門学校の友達と五人で何処かへ遊びにいく様でした。男子が三人で女子は貴方ともう一人、多分よく電話で話していたノッコさん? でしょうか。  ついて行くと新宿駅西口にある、一棟全部がカラオケになっているビルへと入っていきました。一人の男子が受付に申し込んで、貴方たちは店員の人に案内されていきました。  貴方たちが乗ったエレベーターの表示を見ていたら、三階で降りた様でした。男の子が三人いたので気になって、僕も一人でカラオケを申し込んで、部屋に案内して貰いました。僕が案内されたのは四階の小さな部屋でした。  部屋に入ってドリンクを注文して、従業員の人が届けにきた後、部屋を出て貴方たちがいると思う三階へ降りて、明かりが点いている部屋の窓をひとつずつ覗いていきました。  中々貴方たちを見つけることが出来ずに通路の突き当たりまでいくと、トイレのドアが急に開いて貴方が出てきました。  アッと思って目が合った時に身体がよろけてしまい、貴方の腕にちょっとぶつかってしまいました。貴方は「すいません」といって友達がいる部屋へと入っていきました。  この時も変装用に野球の帽子は被っていたけれど、マスクはしていなかった、それどころか貴方は今確かにしっかり僕の顔を見たのに、僕への反応は全く何の認識も無い人への反応でした。  僕は消えてなんかいない、今ここにいて、こんなにも苦しんでいるのに。貴方は僕の顔を見ても覚えてもいないんだ。目眩が起きて意識が朦朧としてくる様でした。  僕は何度も貴方たちが歌っている部屋の前を通って、小さなのぞき窓からチラチラと中の様子を窺っていました。  もう僕が須賀健二であるということがバレてもいいと思いました。というよりも、僕がここにいることをどうして分ってくれないんだ。という気持ちにもなりました。  でも僕には全く関係なく、貴方たちは賑やかに歌を歌って、タンバリンでリズムを取って、楽しく盛り上がっていました。  ただ救いだったのは、貴方は一緒にいた三人の男の子たちとベタベタすることなく、見るからに普通の学校仲間にすぎない、という距離感だと思ったことくらいです。  僕の貴方への監視は十一月の下旬になっても続きました。見張る為には外にいなければならない時間が殆どだし、寒いので防寒着をたくさん着込み、使い捨てカイロをあちこちに貼る様にしました。靴の中にも仕込みました。  僕は一体何をしているんだろう、と思いながら、でも僕のやることはこれしかないと思った。それは復讐でした。僕がこの状況から救われる為には、僕の殺された心を取り戻す為には、貴方に同じ苦しみを味合わせることしかない、きっと僕と同じ様に傷つけてやる。  十月頃から貴方は就職先を決める為に就職活動を始めていて、十月十六日には神田にあるフランス料理の会社を訪ねて、二三日にはお茶の水にあるレストランチェーンの会社の説明会に参加しましたね。リクルート用のスーツがカッコいいと思いました。  この年はまだ就職氷河期が続いていて、一般的には厳しい状況だったと思うけど、飲食業界では比較的影響が少なかったのでしょうか、十一月五日には就職することになるタロウレストランシステムの説明会に参加しに行きましたね。  貴方が検討していた三つの会社の中では、直営店の店舗数も一番多くて、他の二社が割と高級なコンセプトだったのに対して、タロウレストランはどちらかというと庶民的なファミレスに近いコンセプトでやっている会社でした。  貴方は将来地元に帰ってレストランをやりたいといっていたから、もっと高級志向で本格的に料理を追求するのかと思っていたけれど、今貴方のご両親が新潟市で経営している食堂「たまや」みたいな庶民的なお店を目指すことに方向転換したのかな、と思いました。  僕は、その頃自分の両親にはまだモアバーガーでバイトをしているフリを続けていました。この先どうなっていくのか僕には希望も何もなかったけれど、貴方は前を見て自分の将来に向かって進んでいる。それが何かとても理不尽で恨めしいことの様に思えました。  この年の十二月二八日に貴方は新潟の実家へ帰省しました。その時に僕が後をつけて一緒に行ったことは先の方に書きましたね。  貴方は年明けの一月八日にこちらへ戻ってきて、学校は十日から再開、貴方は学校では彼氏を作っている形跡はありませんでした。  何故こんなに可愛い子がいるのに男の子たちは声を掛けないのかな、と思いましたけど、やっぱり僕が思っているとおり、貴方は自分で自分の可愛らしさに気がついていなくて、だから周りの男の子たちが貴方に好意を持っているということにも気付いていないのだろう、と思いました。  専門学校を三月に卒業して、四月からはいよいよ就職先のタロウレストランで現場のお仕事が始まりましたね。  四月一日と二日は新宿の本社へ出勤して、三日目からは配属先の調布店に出勤しましたね。僕は阿佐ヶ谷のアパートからついていきましたが、その日はリクルートスーツではなかったので、いよいよ現場のお店へ行くんだな、と思いました。  阿佐ヶ谷から中央線で新宿へ出て、そこから京王線の急行に乗りました。新宿からは十五分ちょっとで、そんなに遠い感じでもなかったですね。    それからも僕は毎日貴方が出社していくのについて歩き、阿佐ヶ谷の西山ハイムには盗聴器と二台のカメラを仕掛けました。  カメラを仕掛ける時は発見されないように細心の計画を立てました。実行する前に一度忍び込んで下調べをして、部屋にある物に違和感なく紛れ込ませようと思いました。最近のカメラは片手で握れるくらい小さくて高性能なんですよ。  ひとつめのカメラは玄関ドアの上にあるブレイカーボックスの中に、カバーに小さな穴を開けてキッチンが見渡せる様にしました。  ふたつめは部屋にあった白い木枠の置き時計と全く同じ物を探して買ってきて、その中に盗聴器とカメラを仕込んで、貴方の物とすり替えました。外側の小さな傷とか汚れ具合もよく見て、出来るだけ同じ感じに傷をつけておきました。  時計は電源がコンセントで繋がっているし、貴方が動かすことがあっても、大体自分で見やすい場所に置いてくれるので、必然的にカメラからも貴方を見やすい場所になりました。  二台のカメラと盗聴器で、部屋での会話と貴方の姿をフォローできました。間取りは六畳の和室とキッチン、それに追い炊きのお風呂がついていましたね。勿論お風呂やトイレの中までは見えていないので安心して下さい。  ただお風呂から出てきて何も身につけないでウロウロしていた時等は、申し訳ありません。でもそこで貴方の姿を録画したり、画像をどこかに投稿したりということは絶対してないので安心して下さい。  そしてこの頃僕も、貴方のことを監視するにも交通費や機材費とか、いろいろとお金も掛ってしまうので、何か収入のある仕事をしなくてはと思い、アルバイトを始めました。両親にもモアバーガーの仕事を辞めて、新しい仕事に就いたことを伝えました。  仕事をしている間は勿論貴方を監視していることは出来ないけれど、家にいる時はずっと二階の僕の部屋に篭もって、パソコンで貴方の部屋の様子を録画した映像と盗聴器の音声を確認していました。  貴方は夏の暑い頃はシャワーだけ浴びて、冬の時期だけお風呂を沸かしますね、朝は六時に起きて朝シャン、メイクはあまりしない方だけれど、化粧水と乳液は毎日つけていますね。貴方の生活を盗み見ることは、もの凄くドキドキしました。愛しいのと同時に憎しみからくる胸の鼓動でもありました。  貴方は部屋にいる時ミスターチルドレンの曲をよく聴いていますね。特に「足音」「星になれたら」とか「彩り」という曲が好きですね。僕は全然知らなかったけれど、一緒に聴いているうちに詳しくなってしまいました。  時々電話で話をするのは、実家のお母さんと、あとは専門学校の時のお友達、ノッコさんですね、遊びに行く約束や合コンの誘いもありました。そうして七月に新宿歌舞伎町の合コンで、例の最初の彼氏、志島君という学生と知り合いました。  その後五月にロックンローラーの常田さんとのことがあって、その次の年の五月に本当にいい人だった柳川さんとのことがありました。  二〇〇九年の三月に、貴方は配属先が異動になって、四月から渋谷の円山町にある店舗へ移ることになりました。あの辺りは〝うらしぶ〟とかいってお洒落で美味しいお店があるというけれど、キラキラしたラブホテルも沢山あって、僕から見ると如何わしい印象でもありました。  三月二六日に、調布店の従業員さんたちと送別会があって、四月一日からは円山町の店舗へ出勤しましたね。今度は阿佐ヶ谷から新宿へ出て、山手線で渋谷までという通勤になりました。  僕が驚いたのは、調布店で貴方の部下として働いていた例のおじさんアルバイトの村永さんが、貴方が異動になると調布店を辞めてしまったことです。  僕が盗聴していた会話の感じでは、貴方に対して特別な感情を持っている様には思えなかったけれど、その後貴方が異動になった円山町店へまたアルバイトに応募してきて、同じ系列の経験者として採用されてしまいました。  この時お店で、貴方の異動先へと追いかけてきた村永さんと貴方との関係をとやかくいう人はいなかったのでしょうか。僕の目から見ても村永さんは貴方のことを仕事の先輩として慕ってはいても、恋愛感情みたいな物は持っていない様子だったから、お店の人も何も思わなかったんですかね。  村永さんは貴方が恋愛のことやお店での人間関係なんかで嫌なことがあると、すぐに察知して心配したり気遣ってくれる人でしたね。  思い遣りのある人で、貴方に献身的に仕えている様な感じでした。ちょっとトロくて、九州の方なのかな「そいじゃけん」とか田舎のなまりがあって、何か世間に対して引け目を感じている様な印象でした。  類い希に見るお人好しな人なのかなとも思うけど、本当は貴方に会った頃の僕と同じで、実は心の中で貴方のことを好きで、でも決して受け入れて貰えないことが分かっているから、だから親切なフリをしているしかないのかな、とも思いました。  でも一方では、僕は少なくともこの人には貴方を取られる心配は無いだろうな、と思っていました。こんな僕でさえも優越感を覚えるというような、良くいえば安心できる、でも何か応援したくなる感じもしていました。  五月十九日に貴方は二四歳の誕生日を迎えました。この頃は誰とも付き合っていなくて、専門学校のノッコさんともあまり連絡を取らない様になっていて、コンビニでショートケーキを買って、ひとりでいつもの赤ワインを飲んでいましたね。  画面越しに僕はおめでとうを言いました。直接言うことが出来たならどんなにいいだろう、と思いましたが、貴方は望んでいませんよね。  貴方はスマートホンで検索して、渋谷に近いところで賃貸アパートを探していました。阿佐ヶ谷から調布に通うのと、渋谷とではむしろ渋谷の方が近かったけれど、勤務先が変わったのと、十九歳で上京してから阿佐ヶ谷には五年間住んだので、気分を変えたいという気持ちもあったのでしょうか。  貴方が検索サイトで閲覧しているアパートを僕も盗聴アプリを起動して一緒に見ていました。東横線とか井の頭線、田園都市線の沿線を探してましたね。  そういってはなんだけど、貴方の会社はそんなに給料が良い方ではないから、渋谷からの距離と、家賃との折り合いでなかなか苦労している感じでした。  五月二十五日、貴方は代々木駅にある不動産屋を訪ねて、チェックしておいたアパートを三ヶ所見て回りました。どの物件へ行くのか僕にも分っていたけれど、不動産屋の車に乗って行ってしまったので、そこから先は一緒に行くのを諦めました。    貴方は引っ越し先のアパートを田園都市線の駒澤大学駅から歩いて七分くらいのところにある、秋桜ハウスに決めました。渋谷までは駒澤大学駅から三駅で、一〇分も掛からないところでした。頑張れば自転車でも行けそうな距離でしたね。  部屋の間取りはまた六畳とキッチン、それに追い炊きのお風呂とトイレという、阿佐ヶ谷のアパートと同じ様な間取りでした。阿佐ヶ谷よりはキッチンが少し広い感じでしたね。  貴方が引っ越しの準備を始めそうだったので、配電盤のボックスの中に仕掛けておいたカメラの方は回収しようと思いました。カメラと盗聴器を仕込んだ置き時計は、そのまま持っていって引っ越し先でも使ってくれれば問題ないと思いました。  七月二二日に、貴方が仕事に行っている間に阿佐ヶ谷のアパートへ忍び込んで、配電盤のカメラは回収しました。  貴方は八月一五日から三日間の夏休みを使って、駒沢大学へ引っ越しました。引っ越し屋さんのトラックで、運転手さんに手伝って貰って、一日で済みましたね。  カメラと盗聴器が仕掛けてある置き時計は、新居でも阿佐ヶ谷の時と同じ様にベッド脇の棚に置かれたので、立ち上げて見てみたら六畳間の中はほぼフォローすることが出来ました。  また置き時計の他にもう一台隠しカメラを仕掛けようと思っていたので、カメラをセットする場所を決める為に、貴方が仕事に行っている間に忍び込んでみようと思いました。  駒澤大学駅から歩いていくと、今度のアパートの周りは高級住宅街の様で、土地付き二階建ての大きな家が多かったですね。世田谷区というのはやはりイメージ通りの高級感があるなと思いました。  九月一六日に、やはり貴方が仕事に行っている間に、一○二号室に忍び込みました。置き時計の画角は六畳間をフォローしているので、もう一台はキッチンの全部をフォロー出来る位置にしたいと思いました。  阿佐ヶ谷と同じ様に配電盤のボックスも考えたけれど、今度の配電盤の位置からするとほぼ反対側の壁しか映らなくなってしまうので、どうしようかと悩みました。  他のキッチンにある冷蔵庫や電子レンジに仕掛けることが出来れば良かったのだけれど、冷蔵庫も電子レンジも内部から穴を空けてレンズを通すというのは、技術的に難しかった。  家電ということでいうと、貴方が音楽を聴くのに使っているCDコンポが手頃なのだけれど、これは置き時計と同じ六畳間にあるので、ある程度画角が置き時計と同じになってしまうので、あまり意味がないと思いました。  キッチンに置かれた小ぶりの食器棚の上に、貴方が東京に上京した時から大事にしている茶色いクマのヌイグルミがありました。もしこのお腹の中にカメラを仕込むことが出来れば、お腹の中からレンズの先端が出る様に出来れば、今置かれているこの位置からならば、キッチン全体が見えるかもしれない、と思いました。  ただこのヌイグルミは、貴方がよく電話しながら傍らに置いて撫ぜてみたり、胸に抱いたりして、また置く場所もよく動かすので、置かれた場所によっては何も見えなくなるかもしれない、と思いました。また何より電源を繋ぐことが出来ないので、定期的に電池の交換をしなければならないのが難でした。  でも、他にキッチンを見渡せるところで、カメラを仕込むのに良い物も見つからなかったので、このヌイグルミしかないと思いました。結構毛むくじゃらなので、背中を裂いて中にカメラを入れて、同じ色の糸を使って上手く縫合すれば出来そうだな、と思いました。スマホで撮影して、同じ色の糸と縫い針等の道具を用意して、また来ようと思いました。  そして後日、また貴方が仕事の日に忍び込んでヌイグルミにカメラを仕込む作業をしました。考えた通りに上手く仕込むことが出来て、結果的には貴方に抱かれたり、場所を変える度にいろんな場面を見せてくれて、僕はクマのヌイグルミになって貴方に可愛がられている様な気分も味わえて、面白かったです。  でもやはり電池の寿命が短くて、頻繁に見ていると四日か五日目には切れてしまうので、その都度また忍び込んで電池を入れ替える必要がありました。  ヌイグルミの背中の縫った糸を解いて、カメラを取り出して電池を入れ替えて、また中に入れて縫うというのも結構大変で、電池が切れてしまってもしばらくそのままにしてしまうことが多かったです。何週間か、長い時は何ヶ月もそのまま映らない期間が続くこともありました。  タロウレストランの渋谷円山町店にも、お客のフリをして何度か訪問していました。調布店の時とはメニューの種類が大分違って、やはり土地柄なのか、ファミレスっぽかった調布に比べて、お酒のおツマミ的なのが多いですね。ワインも沢山あって、生ハムとか、ピザも小さなサイズがあったり、チーズとか、サラミとかの種類も多かったですね。  調布店よりもお店は狭かったし、客席と調理場の境がガラス張りになっているので、コック服姿の貴方を見ることが出来ました。  一緒に調理している村永さんも確認しました。いつもの黒縁眼鏡だけれど、金髪だった髪は黒髪になってて、やっぱり動きが鈍い感じでした。でも貴方にとっては頼りになる部下なのでしょうか。    その翌年二〇一一年の三月十一日に、東北の地震が起きました。街もテレビも自粛ムードで、渋谷の街も明かりが消えて暗くて、全部が喪に服してる様な感じでしたね。今のコロナの自粛とはまた違った悲壮感がありました。   この年も貴方は淡々と毎日の仕事をこなして、男性と恋愛する様な気配はなくて、本屋さんに寄って経営に関する本を買ったりしていましたね、これは将来地元に帰ってお店を開く為の勉強なのかな、と思いました。  僕の毎日も、この頃はちゃんとアルバイトにも行っていて、そして時間の許す限り自宅の二階にある、僕の部屋のPCで貴方のことを見ていました。  その翌年二〇一二年の五月に、お友達のノッコさんから久しぶりの電話があって、貴方に紹介したい男性がいるということでしたね。  ノッコさんの彼氏の友達で、食品メイカーで企画開発の仕事をしているとかいってましたね。その人は貴方の久しぶりの彼氏になる、安岡健太さんという人でした。  待ち合わせは六月八日に新宿の居酒屋「ラオレターニ」というお店でしたね。この日は僕も仕事が終わった後で同じお店に入り、ちょっと離れた席でしたが、ノッコさんとノッコさんの彼氏と、貴方と安岡さんの四人の姿を拝見しました。  ノッコさんは多分以前に貴方が専門学校時代に同級生たちとカラオケに行った時にいた方ですよね。  ノッコさんと貴方の前に座っている男性二人のうち、スウェットを着てラフな感じの人がノッコさんの彼氏で、かしこまったスーツを着た人が紹介される安岡さんだとすぐ分りました。  安岡さんは三三歳ということで、今までの貴方の歴代の彼氏たちからするとずいぶん大人な印象でした。スーツ姿だったこともあるけれど、今までの合コンのノリとは違い、最初から結婚を意識しているという様な、何か本気の意気込みという様な物を感じました。  あまり真面目過ぎる人も信用出来ないと思うけど、安岡さんはとても誠実そうで、良い印象でした。これから先の貴方とのやり取りをしっかりチェックしていかなければ、と久しぶりにやることが出来て嬉しかった。  その日は居酒屋でお開きになって、貴方がお店の前で別れて帰った後で、残った三人は一緒に歩いていくので僕はそっちの後をつけていきました。そうしたら近くの喫茶店に入って、ノッコさんが今日の貴方の印象とかについて、紹介した安岡さんに聞いていました。  安岡さんは貴方のことを、とても性格が良さそうで、容姿も可愛らしいし、とすごく気に入っている様子でした。  僕はそんなの当たり前だと思いました。貴方を紹介されて気に入らない男なんている訳がないと思いました。だから貴方の反応次第では、これは付き合いが始まってしまうな、と思いました。  そのまま僕は安岡さんの後をつけようと思って、新宿駅でノッコさんたちと別れてひとり山手線の方へ向かうのを追っていきました。安岡さんは山手線で品川へ行き、そこから東海道線に乗って川崎駅で降りました。  駅から歩いて一〇分くらいのマンションでした。一階のロビーはガラス張りで、入り口はオートロックになっていて、昼間は管理人の人が常駐している様です。これは今までの貴方や柳川さんとかのアパートとは訳が違う、素人がピッキングしたくらいではドアを開けて忍び込んだり出来ないだろうなと思いました。  安岡さんのマンションに盗聴器を仕掛けることは出来ないと思ったので、貴方との電話での会話や、メールやラインをまめにチェックしていくことにしました。  貴方と安岡さんのやり取りを見ていると、安岡さんは言葉遣いとか、誘い方とかがとても大人っぽいですね。これまでの若い者同士の時の砕けた感じとは違うと思いました。年齢的にもそうだけど、直接結婚を意識してるとこういう風になるのでしょうか。  僕はこの時三九歳だったけど、なんだか全然僕の方が子供っぽいと思って、やっぱり社会から取り残されている感じがしました。  貴方の方も安岡さんのことを心から大好き~というときめいた感じではなく、お互いに相手の希望を尊重しながら、着実に交渉を進めていこうという様な、そんな感じがしました。  でもやっぱり、貴方が男性との恋愛を成熟させていくのを許す訳にはいかない。壊してやらなければと思いました。貴方たちのテンションはいまいち低かったけれど、僕は復讐の鬼としての本分を奮い立たせていかなくては、と思いました。  安岡さんは次に、今度は二人で食事に行きましょう、と誘ってきましたね。それも銀座のお寿司屋さんでした。大人のお誘いなんだろうけど、なんだか「僕にはお金があるんですよ」といってるみたいなのがちょっと鼻につく感じがました。貴方の方も「銀座でお寿司なんて初めてです~」って嬉しそうだったけど、それも何だかわざとらしくて嫌でした。  安岡さんは貴方の仕事の都合に合わせてくれて、次に貴方が早上がりの六月十六日に有楽町の駅前で待ち合わせましたね。貴方はきっと精一杯背伸びしたお洒落をして行ったのでしょうね。僕はその日遅くまで仕事だったのでお店には行けませんでした。どうせ行ってもそんな高そうなお店には一人で入る勇気は無かったと思うけど。  家に帰ってすぐPCを立ち上げて、貴方の部屋の様子を窺っていました。貴方が帰って来たのは十一時過ぎでしたね。安岡さんとはどんな雰囲気だったのか、以前の彼氏との付き合いみたいに、帰ってきてまたすぐに電話するという様なこともなく、貴方は淡々とシャワーを浴びて、寝る支度をして、どんな気分でいるのかと窺う暇もなく電気を消して寝てしまいました。  僕はその二日後の休みの土曜日に、早朝から安岡さんのマンションに張り込んでいました。会社員だといっていたから、土曜は仕事には行かないで、天気もいいから何処かに遊びに出掛けるかもしれない、と思ったのです。  この前貴方が安岡さんに紹介された日に、後をつけてきた時は夜だったし、何よりマンションの入り口がオートロックで、安岡さんの他に人影も無かったので、安岡さんがロビーの入り口を開閉する鍵を回してドアを開いた時に、住人のふりをして一緒に入るということも出来ませんでした。だから建物は分っても安岡さんがどの部屋に住んでいるのかも分りません。入り口の脇に並んでいる郵便受けにも、部屋の番号だけが書いてあって、住民の名前は分からない様になっています。  僕はただ入り口を見張って、出てくるのを待っているしかなかったのですが、十時頃になって安岡さんが出てきました。  ちょっと色のついた、緑っぽいセーターを着て、肩に細長いケースを下げています。ライフルみたいだなと思ったけど、頭の方が音符みたいに膨らんでいるので、ゴルフのクラブが入っているのだろう、と思いました。  安岡さんは歩いてJR川崎駅ではなく、京浜急行の川崎駅まで行き、品川行きの電車に乗って、多摩川を渡った次の駅で降りました。  そして、電車の中から見えた河原でゴルフの練習をしている人たちのところへ行って、プレハブの受付みたいなところへ入り、そして他の人たちが並んでボールを打っているところへ行き、空いているところへ立って、川へ向かってボールを打ち始めました。  パカーンと音がして、白いボールが遥か遠くへ飛んでいきます。小さい頃父に連れられてゴルフ練習場へ行ったことを思い出しました。他の打っている人たちと比べてみても、安岡さんはかなり上手い方なんじゃないかと思いました。  誰かここに知り合いでもいるのかなと思っていたけれど、途中で自動販売機で買ったジュースを飲んだりしながら、そのまま二時間くらい一人で打っていました。  それが終わるとまた駅へ歩いて電車に乗り、川崎へ戻って、駅の前にある中華料理のお店へ入り、炒飯と餃子を食べながらビールを飲んで、そのまま一人でマンションへ戻っていきました。  ただの独身サラリーマンの休日の過ごし方を見た感じでした。この日は貴方とも連絡を取らなかったみたいですね。あまりガツガツしていない、余裕があるところも大人なのでしょうか。  安岡さんは次のデートに貴方を東京湾クルーズに誘ってきましたね。浜松町の晴海埠頭から大きな船に乗って、東京湾を周回しながら食事するなんて、凄くロマンチックですね。  僕はそういう気取ったのはあんまり好きではないけれど、といっても負け惜しみにしか聞こえませんね。  六月二八日の木曜日の夜、貴方は浜松町の駅で安岡さんと待ち合わせて、そこから晴海埠頭へ行って一緒に船に乗ったんですね。時間は夜の七時から九時半までのコースでした。  調べたら一人二万円もするんですね、安岡さんはマンションもオートロックだし、さぞ社会的ステイタスのある方なんだろうなと思いました。  ロマンチックな夜を過ごして、貴方は倖せだったのでしょうか、船の上から東京の夜景を眺めて、キスでもしたのでしょうか、もっと倖せな気持ちにどんどんなればいい、それでこそ僕の復讐の効果が倍増されるのだ。と思う様にしました。  どうやって貴方が傷つく様な別れ方をさせてやろうか、と考えました。安岡さんは真面目で、誠実な人だから、また前に柳川さんの時にした様に、貴方の悪い噂を匿名メールで送ってみようと思いました。  前と同じ様に、いつでも削除できるフリーメールのアドレスを設定して、差出人名を「貴方を守る女より」と書いて文章を書きました。  貴方のことを、暇さえあれば男を漁る為にクラブやイベントに出掛けていて、前の店舗では調理師の男を巡って女子大生のアルバイトと揉め事を起こして、危うくクビになりそうになった。等とあることないこと書きました。そして安岡さんに送信しました。  前の柳川さんの時は、送っても全くスルーされて、柳川さんはそんなメールが来たということさえ貴方には言わなかったけれど、安岡さんはどうかな、と思いました。  それから貴方の方には、実は安岡さんには別居している奥さんと娘がいて、そのことを友達のノッコさんの彼氏にも隠して貴方を紹介して貰っている。という嘘のメールをしました。  どうなるかな、と思っていたら、貴方はまずノッコさんに電話をして、こんなメールが来たという話をしましたね、ノッコさんは信じられない、彼氏に確かめてみる、といっていました。  その後何分かしてノッコさんから電話があって、彼氏は安岡さんのマンションに遊びに行ったことがあるけれど、一人暮らしで付き合っている彼女もいなくて、別居した奥さんがいるなんてことは聞いたことがない、ということでした。  ノッコさんと貴方がいろいろ話をして出した結論は、きっと誰かが安岡さんと貴方が付き合うのを邪魔しているのだろう、というものでした。  でもその後貴方が安岡さんに連絡を取ろうとしても、電話は繋がらないし、メールもラインも返事がこなくなってしまいましたね。  そうして三日くらいが経った時、ようやく安岡さんから電話があって、安岡さんはすぐに、貴方について、酷いことが書いてあるメールがきたけれど、それは本当のことなのかと聞きました。それに対して貴方が、男漁りだなんて、そんなことは私はやってないのに、誰かが嫌がらせしてるんです。と説明しました。  貴方の方も、安岡さんについて、別居している奥さんがいるというメールがきたことを話しました。それも事実無根だと安岡さんはいいましたが、安岡さんの方は、誰かが自分たちの邪魔をする為にそんなメールを送りつけていることは間違いないけど、自分の知り合いの中にはそんなことをする人がいるはずはないから、きっと貴方の方の知り合いの誰かがしていることだといいましたね。  この会話を聞いていて、安岡さんに対する貴方の気持ちが引いていくのが分りました。  僕は失敗したなと思いました。貴方の気持ちが引いていくのではなく、安岡さんの気持ちが引いて、貴方の気持ちを踏みにじる様に持って行きたかったのに、なかなか難しい物ですね。  このことが切っ掛けで貴方と安岡さんの間は険悪な感じになって、そのままどちらも連絡を取らなくなってしまいました。  安岡さんは社会的なステイタスのある方だから、そんな匿名のメールを送りつけて人に嫌がらせをする様な人と関わりのある相手とは結婚したくない、ということだったのでしょうか。  貴方にとっては、安岡さんと自分との、両方に匿名のメールを送ってきたのは誰なのか、が重要な問題でした。  安岡さんのいう様に、貴方の周囲にいる誰かなのかとノッコさんと話していました。それは確かに、貴方が以前に調布店で中野主任を巡ってアルバイトの女の子とちょっと揉め事みたくなったことは事実だし、そのことを知っているとすれば職場の関係者でしかありえないですからね。  でも僕は全然仕事の関係者ではないし、貴方が覚えてもいない人間だから、貴方が僕の存在に思い至るとは全く心配していませんでした。むしろ思い出せる物なら思い出して欲しい、くらいの気持ちでしたから。  結局は貴方にそんなメールを送ってくる人がいるなんて身に覚えがないから、ノッコさんとの話の中には、やはり安岡さんの方に横恋慕している女性とか、捨てられて恨んでいる女がいて、貴方との関係を邪魔してるんじゃないかと、そんな考えもありましたね。  それとも、もっと深読みして、もしかしたら安岡さんには何か他に理由があって、貴方との関係を終わりにしたかったから、自分で匿名を装って貴方と自分とにそんなメールをでっち上げて送っていたんじゃないかとも。  結局何を考えても堂々巡りで結論は出ずに、ただ貴方には人間への不信感というか、人間関係の怖さみたいな物が残った様でした。そして僕にはまた、貴方に復讐行為をしたというよりも、後味の悪さが残りました。  翌年の二〇一三年に、僕は貴方のスマートホンにまた最新型の盗聴アプリをインストールすることに成功しました。どんな手を使ったかについてはまた後で説明しますね。  そのお陰でそれからは貴方が何処にいるのかの位置情報や通話、メールやSNSのやり取りだけでなく、貴方の知らない間に遠隔操作でスマホを起動することも出来て、貴方のスマホの周囲の音をいつでも盗聴することが出来る様になりました。  貴方は仕事で調理場にいる時も、コック服のポケットにスマホを入れていたので、僕は仕事場での貴方の会話も全てクリアに聴くことが出来る様になりました。  ただコレを頻繁にしていると、貴方の知らない間に電力を消費しているので、バッテリーが無くなるのがやけに早いなと思われないか心配したのですが、貴方は毎晩寝る前に充電してくれていたので、助かりました。  五月十九日の土曜日に、貴方は二八歳の誕生日を迎えました。この日はノッコさんと、もう一人女性のお友達と一緒に新宿の居酒屋で誕生会をしましたね。  僕は貴方のスマホに仕込んだアプリケーションのお陰でその場にいなくても、三人の会話を逐一聞き取ることが出来ました。  ノッコさんは昨年貴方に安岡さんを紹介してくれた彼氏とまだ付き合っていて、安岡さんはあの後どうしているのかというと、婚活パーティで知り合った人と付き合っているというお話でしたね。  ノッコさんと一緒に来た、マイと呼ばれていた子もまだ独身で、彼氏もいないといっていましたね。最近は皆さん結婚年齢が上がってきているから、珍しいことではないのかもしれないけど、でも他の同級生で既に結婚して子供がいる人のことを話題にしてたのには、やはり結婚ということに少なからず関心はあるんだろうなと思いました。  貴方が実家のお母さんからお見合いの話を持ちかけられたのは、この後でしたね。  貴方は最初全然その気はないといっていたけれど、いいから一度里帰りして、ついでにちょっと会ってみればいいじゃない、というお母さんの説得に負けて、夏休みに新潟へ帰ることになりましたね。  七月十七日と十八日に休みを取って、貴方は新潟へ帰省することにしました。僕は仕事があったのでついていくことは出来なかったけれど、新しい盗聴アプリのお陰で、貴方が誰かと会話をしている声はほぼ聞くことが出来ました。    貴方にはお兄さんがいるんですね、話している内容によると、お兄さんには結婚の決まっている彼女がいて、今回の縁談はお兄さんの仕事関係の知り合いで、地元で会社をやっている社長さんの息子であるということまで、推察することが出来ました。  貴方のご両親と、お兄さんも、お兄さんの彼女も皆良い雰囲気で、いい話だいい話だと貴方の気持ちを盛り立てようとするけれど、それに対する貴方の受け答えを聞いていると、乗り気じゃないという気持ちが伝わってきました。  そもそもその相手というのが、貴方の小中学校の同級生の従兄弟であるというところに、何だか狭い地域でまとまっていく宿命みたいな、何だか郷里ならではの息苦しさみたいな物があって、聴きながら僕もこれはきっと嫌だろうなぁと感じていました。  ご両親は、もしその人と一緒になれば、将来貴方が地元へ戻ってレストランを開く時にも、力になってくれるかもしれないと、貴方を納得させようと一生懸命でしたね。  誰も貴方の気持ちを汲んでくれる人はいなくて、周りに勧められれば勧められる程、貴方の中に反発心が起きてくることが手に取る様に分りました。  着いて二日目にお見合いの会場に行くのも、気が重そうできつかったですね。ご両親は相手が来て、会ってお喋りとかすればきっと気持ちも変わってくるんじゃないかと思っているみたいでしたが、いざ相手の方が現れて、お互い少しは昔面識があったらしいけど、なんだか格式張った様な挨拶を交わして、貴方の声も小さいし、先方の両親と貴方の両親ばっかりペチャクチャ喋って、良い日よりですねだの、若い人は将来が楽しみですねだの、貴方とお相手そっちのけで、希望ある未来について語っていましたね。  貴方の声が聞こえないだけに、きっと詰まらなそうな顔をしているんだろうなと、想像がつきました。可愛らしい、どんなアイドルにも負けない様な貴方が、そんな詰まらない田舎に押し込められていい訳がない、という憤った気持ちが僕の中に沸いてきました。  そして定番の、後は若い二人に任せて、というの、本当にいうんですね、笑ってしまいました。賑やかな二組の両親が席を外して、二人きりになってからは、お相手の方が「今日はありがとうございます」とか「東京の方はどうですか」とか場を取り繕おうとして言葉をかけていましたね。  貴方の方も相手の気を悪くさせてはならないと思って、なるべくなごやかに、思い遣りを感じさせる言葉で返答していましたね。  二人の家族の皆がいい人で、貴方が倖せになるように暖かく導いてくれているけれど、貴方はひとり東京で調理師として腕を磨いて、将来お店を開く為に経営を勉強して、そんな自分の人生なのに、親が勝手に決めた人と結婚して、地元に戻ってこいというのは、自分の向上心が踏みにじられてる様な気がしますよね。  貴方は夕方になるともう帰らなきゃ、といって、時間が無いアピールをしだして、お見合いの返事は帰ってからするといって、そそくさと実家に戻って、帰り支度をして出てきてしまいました。  帰りの新幹線の中で、スマホの中にデータ録音していたミスチルの曲を聴いていましたね。特に「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」という曲が貴方の心情に合ってる気がしました。貴方はリピートして三回聴きました。時々鼻をすすり上げてるみたいな音が聞こえたのは、きっと泣いているのかな、と思いました。  毎年の年末年始に貴方は実家へ帰ることを楽しみにしていたのに、こんな風に泣いて戻ってくる日がくるなんて思ってもみませんでしたね。僕は遠く離れた自分の部屋にいたけれど、僕だけは貴方の気持ちを知っていました。    この後お母さんからお見合いのいい返事を聞かせて、という電話が二回ありましたね。貴方はまだ考えさせてといっておいて、お見合いの相手だった二宮さんへ直接電話を掛けて、ごめんなさいといって頭を下げて謝っていました。  そして電話を切ったあと、また安い赤ワインを飲みながら泣いていましたね。またミスチルを聴いていました。この時は「君が好き」と「常套句」という曲を繰り返し聴いていました。好きな女の子への男の子の思いみたいな内容の歌詞だけれど、貴方にはお見合い相手の二宮さんに申し訳ない気持ちがあるのかな、と思いました。  このことがあって、それ以降は貴方は男性との恋愛というものに白けてしまったというか、すっかり冷めてしまったのか、恋愛系のテレビドラマさえも見なくなって、興味を失ってしまった感じでした。  そして仕事に行くと調理場の村永さんがまた、貴方が何も話さなくても「疲れた顔してるけど大丈夫?」とか声をかけてくれましたね。  その上貴方のことを、美人ですよとか、とても魅力的ですよとか、勇気づけることを言ってくれます。あの人はアルバイトだから、上司を持ち上げなくてもいいと思うのに、本当に心から優しいことだけを言ってくれている様で、何だか気味が悪いくらいですね。  僕はそんな村永さんの心理が計り知れなくて、考えてしまいました。貴方を慕って、貴方が異動になるとそれに合わせて調布店を退職して、貴方の異動先の渋谷円山町店へアルバイトとして応募してきて、それなのに貴方に対する恋愛感情は全く感じさせないし、歳が離れているということもあるだろうけれど、十歳くらいの年の差カップルなんて珍しくもないのに、実はこの人は同性愛者なのかもしれないな、とまで思いました。  そんな村永さんだからなのか、貴方はとても親しくなって、僕が見ている範囲で一番付き合いの深い人間になっていました。  貴方はミスターチルドレンのCDを貸してあげたり、新しくオープンした店があると仕事の帰りに一緒に行ったり、果ては同じ日に休みだった時には映画を観に行ったりもしていましたね。  でも僕は、貴方がデートに出掛けても、村永さんの時だけは盗聴したり、後をつけたりする必要は無いと思っていました。それは二人の会話のやりとりには恋愛を匂わせる様な言葉は一切出てこなかったからです。  村永さんがそういう方だということは分ったのですが、貴方の方はそんな村永さんのことをどの様に感じていたのでしょうか。二人の様子を見ていて、僕はずっと貴方にそのことを聞いてみたいと思っていました。  翌年の二〇一四年、更に貴方は円山町店から新宿南口の店舗へと異動になりました。きっとそうするだろうとは思っていたけれど、村永さんもまた円山町店を辞めて、貴方の後を追って新宿南口店にアルバイトとして応募しました。  ここまでして村永さんが自分の異動先の職場へついてくるということに、貴方は何も感じなかったのでしょうか。  村永さんは貴方に対して恋愛感情があるなどとは微塵も感じさせないけれど、客観的に見ていれば、村永さんの気持ちはそうとしか思えないじゃないですか。  あんなに貴方のことを理解して、愛していた人はいなかったのではないでしょうか。それなのに貴方は本当に村永さんの気持ちに気付いていないのか、それとも気付かないフリをしていたのでしょうか。  この頃村永さんはお店にきた本社のマネージャーさんから、契約社員にならないかと勧められたみたいですが、契約社員になると配属先を会社に決められてしまうので、断ったみたいですね。  新宿南口店への異動で、渋谷よりも少し遠くなってしまいましたが、円山町店は渋谷駅から大分歩かなければならなかったので、その分を差し引けば通勤時間はそう変わりませんでしたね。なので貴方はアパートを引っ越すことなく、そのまま駒澤大学駅から渋谷まで出て、山手線に乗り換えて通勤していました。  そうしてまた新宿南口店での日常が始まって、またファミレス的なメニューが中心になり、貴方と村永さんはまた調理場で淡々と日々の仕事をこなしていきました。  その頃は僕の方も仕事は安定していました。生活の方も父親は既に定年して、自宅のローンも払い終えて、気楽な年金暮らしになっていたし、二階の部屋での僕のストーカー生活も安泰でした。  貴方の日常に刺激的なことが全く起こらなくなったこともあって、膠着していたというか、ただ日々が過ぎていきました。でも変わらずいつも貴方のことを見ていました。  翌年の二〇一五年、貴方は三十歳になり、十月の人事で調理場の主任になりましたね。村永さんはお幾つになられたのでしょうか、相変わらずただ貴方の側にいましたね。  二〇一五年から二〇二〇年になるまで、貴方は恋愛をしませんでした。お店の同僚と何人かで居酒屋に行ったりすることはありましたが、特定の男性と付き合うことはありませんでした。  以前から貴方は合コンとかには出ても、自分から積極的にアプローチする方ではなかったけれど、この頃は毎日の仕事が充実していれば良いという感じで、恋愛には興味が無い様子でしたね。  僕の目から見れば、こんなに美しい花が咲いているというのに、皆から見られているだけで、そのまま枯れていってしまうのだろうかと、何か哀れみの様な、物悲しさを感じていました。きっと貴方にとっては大きなお世話だろうけれど。  貴方が将来地元へ戻ってレストランを開きたいという夢も、経営の本を買って勉強したりはしていたけれど、実家の食堂はまだご両親が元気にやっているし、貴方はお見合いして断った件もあって、実家との交流もぎくしゃくしていたせいもあってか、中々レストランの夢に近づく気配はありませんでしたね。  貯金も百五十万円くらいで、三十五歳としては多いのか少ないのか僕には分らないけれど、将来の為に貯金しているという感じでもありませんでした。  確か村永さんは貴方より十歳以上年上だったから、四十歳よりは上だと思うけど、相変わらずアルバイトの地位に満足している感じでしたね。ただ貴方と一緒に仕事が出来るというだけで。二人とも独身なのに、端から見ていると奇妙な関係に映りました。  もう村永さん以外に貴方を誘ってくる男性もいなくなりましたね。この頃村永さんとはちょくちょく居酒屋に行ったり、映画を観に行ったりもしていましたね。  僕は思います、村永さんは貴方に気付いて欲しいのではないでしょうか、貴方を心から愛する男性は僕だけだよ、と。  よくドラマとかであるじゃないですか、一番大切な人は一番身近にいた……なんて。でも貴方は気付かなかった、というより気付かないフリをしている様にも見えました。  やはり貴方から見て村永さんの様なイケていない男性は、恋愛に発展する可能性は無かったのでしょう。貴方はことあるごとに村永さんのことを決して男性とは意識していないのだということを、強調している様でした。  そして村永さんの方も、そんな貴方との関係性を受け入れている様でした。  僕としては貴方に復讐することが目的で、ずっと貴方の恋愛を監視していた訳ですが、ここまで貴方が恋愛をしなくなってしまうと、もう僕はずっと一人でいる貴方のことを見守っているだけでいいかな、と思う様になってきました。まるで貴方を見守る守護霊の様に。      貴方が三五歳になる二〇二〇年からコロナウィルスの騒動が始まって、お店に来るお客さんもガクンと減ってしまいましたね。四月七日に初めての緊急事態宣言が発令されて、貴方の給料も二割カットになってしまいました。  村永さんもバイトに入れるシフトを減らされてしまい、貴方に会えるのも週に二、三回程度になってしまいましたね。  この頃からですよね、貴方はスマホでマッチングアプリを検索し始めて、登録したり、またお見合いパーティのサイトを見たりしていました。  年齢的にも三十代後半になってきて、恋愛というよりは現実的に結婚ということを考え始めたのかもしれない、と思いました。  それとコロナのせいで収入が減ってしまった危機感も影響しているのかな、とも思いました。  というよりも何よりも、僕もそうだったのですが、仕事が減って家に一人でいる時間が長くなって、孤独感を感じることが多くなったことが一番の影響かな、とも思いました。    去年二〇二一年の十月に、感染者数がもの凄く減って、四回目の緊急事態宣言が解除になった時に、中途採用で就職した高井透さんという人が、新宿南口店に配属されてきましたね。高井さんは四十代前半といったところでしょうか。  貴方がコック服のポケットに入れていたスマホから、調理場での高井さんとの会話を聴いていました。何だか物静かで、でも調理師としての経験は豊富みたいで、仕事は何でも出来て、頼りがいのありそうな人でしたね。  最初は貴方や村永さんの方が高井さんに仕事を教える立場でしたが、やっているうちに段々と高井さんの実力が発揮されてきて、逆に貴方の方が教わることも出てきたり、貴方が主任で高井さんは副主任なのに、上下関係に反してキャリアの上下関係になった様な感じでした。  でも高井さんはどこまでも物腰が柔らかくて、貴方とはとても良い関係になっていきましたね。    段々良い雰囲気になっていく二人のことを、村永さんがどんな思いで見ていたのかと思うと、僕は心から同情してしまいました。  貴方は高井さんが店長や他の従業員たちと話している会話で、高井さんの前の職場はコロナで廃業してしまったことや、高井さんがバツイチで独身であること等も知って、より一層高井さんに興味を抱いた感じでした。  休憩室で高井さんと二人になった時に、貴方は自分に彼氏はいないといって、将来は地元に帰ってレストランをやりたいとか、いろいろ高井さんに話していましたね。  高井さんも貴方に、将来自分でそんなお店が出来たらいいですね、そんな夢があるなんて素晴らしいとかいって、貴方の事を褒めていました。  その後一度仕事が終わって貴方が高井さんと新宿駅まで一緒に歩いた時に、高井さんが今度一緒に飲みに行きましょうと誘って、貴方は「はいそのうち」とかいって、言葉を濁すような感じで、印象としてはやんわり断った様な感じになってしまったので、後で家に帰ってから後悔していましたね。  赤ワインを飲んで、なんでもっと〝行きたい〟って感じに言えなかったかなぁ、とか言って自分を叱っているところは笑ってしまいました。  でもその何日か後に、仕事中にちゃんと言いましたよね、高井さんに、今度また良かったら誘って下さいと、高井さんに「はい分りました」と言われて、その日は貴方は家に帰ってからご機嫌で「シーソーゲーム」や「ユースフル・デイズ」とかミスチルの楽しい感じの曲をガンガンかけていましたね。    二〇一二年の安岡さん以来、九年ぶりに貴方に彼氏が出来るのかと思い、僕は色めき立ちました。  何日かして、仕事中に高井さんは貴方に、今日はどうでしょうか、と誘ってきましたね、貴方がいいですよと誘いに応じたので、僕も仕事を早く終わらせて後をつけてやろうと思いました。  男の人と一緒にいる貴方の後をつけるのは久し振りだったので、何だかドキドキしました。あまり新宿南口の近くだと他の従業員に見つかると思ったのか、高井さんは貴方を連れて東口の繁華街の方まで歩いて、新宿通りのビルの上の方にある居酒屋「月光館」という店に入りました。  僕も後から一人でエレベーターに乗って入りましたが、この頃は丁度緊急事態宣言が解除されて、感染者数も激減していた頃だったので、居酒屋も一時的に昔の活気が戻っていて、混んでましたね。テーブル席には空きがなくて、仕方なく僕は貴方たちとは大分離れたカウンター席に座るしかありませんでした。  離れていたけど会話だけは貴方のスマホに仕込んだ盗聴アプリでちゃんと聴いてやろうと思いました。ところがマイクが周りの雑音も一緒に拾ってしまうので、うるさくてとても聞き取り難かった。  でも高井さんの声は低くてよく通るので比較的聞き取り易かった。高井さんは五年前に離婚して、子供もいなくて独り身だから、もし貴方と一緒にお店が出来たらいいのに、なんて言ってましたね。初めてのデートだというのに、それはもうプロポーズしてるのと同じですよね。  それに対して貴方は即答はしなかったけれど、本当にそんなことになったらいいですね、高井さんなら頼りになるし、みたいなことを言って、まんざらではない様子でした。    その後何日かしてまた焼き肉屋さんへ行って、そのお店は高そうだったので僕は入らずに帰りましたが、貴方と高井さんはどんどん良い雰囲気になっていきました。  でも正直なところ、貴方の楽しさは、純粋な恋愛というよりも、そろそろ結婚相手を決めたいという現実問題の方が先に立った、意地悪ないい方をすると、楽しさを演じている様な感じもしました。  それはきっと高井さんの方でもそうなんじゃないかと思いました。いってみればいつかの安岡さんがもう少し焦っている様な、高井さんも早くまた結婚して、まだ若いうちに子供とか家庭を作りたいという様な、そんな展望が見え隠れする接し方だと思いました。  高井さんの物の言い方とか凄く丁寧で優しいんだけれど、心の内では打算的みたいな、いやそんなことを僕がいうのはおこがましいですね。  貴方は職場では高井さんとそんな関係になっていることはおくびにも出さず、勿論村永さんにも何も話していませんでした。  でも村永さんはきっと察しの良い人だから、高井さんと貴方が少しでも言葉を交わしているところを見れば、何となく雰囲気で分ったんじゃないでしょうか。  そう思うと、僕は村永さんの胸の内を全て理解しているとは思わないけれど、きっと僕の想像している通りなのだとすれば、あまりにも気の毒な気がしてしまいます。  貴方が仕事中に交わしている高井さんとの会話も、村永さんとの会話も盗聴していましたけれど、貴方と高井さんは時々誰にも聞こえないところでちょっとイチャイチャした様な、他の皆の前とでは違う、親しげな言葉を交わして楽しんでいましたね。  村永さんはそんなこと全然気付いていない様な物言いをしていたけれど、でも貴方と高井さんのひそひそ話の後で村永さんの話す声が聞こえると、言葉尻がちょっと震えていたり、声の調子に明らかに動揺が感じられたりしました。貴方は全く気付いていなかったのでしょうか。  長い年月をずっと貴方を慕って仕事をしてきた村永さんにとって、目の前で高井さんと貴方の距離がどんどん近くなっていくのを見ているのは、さぞ辛かったのではないかと思います。  そんなことはお構いなしに貴方と高井さんとの間柄は進んでいきましたね。高井さんはその頃都営新宿線の西大島駅の近くに住んでいたけれど、今度一緒に部屋を借りて住もうという話になりましたね。  まだ貴方たちは出会って二ヶ月も経っていないというのに、僕が二人の仲をどうやって引き裂いてやろうかと考える暇もないくらいに展開が早くて、とても焦りました。  村永さんも段々追い詰められていたのでしょうか、貴方の側にいる時に何か言おうとしても言えない様な、話したいことがありそうな素振りを感じました。でも貴方の方はそれを察して、何もいわせない様に避けている感じがしました。  そうこうするうちに、貴方と高井さんは一緒に住むアパートを探し始めて、小田急線の沿線とかを検索していましたね。貴方はまだ物件も決まっていないのに引っ越しの準備まで始めていて、あの夜は仕事が終わってから高井さんが貴方の部屋に遊びに来て、荷造り中のダンボールを見て、貴方が捨てる物と持って行く物とを分けるのに、僕のカメラが仕込んであるクマのヌイグルミをどうするかという話になって、そして高井さんが弄っているうちに、背中に縫い目があることに気付いてしまいました。  電池を入れ替える度に縫ったり解いたりを繰り返していたので、さすがにほつれが酷くなっていたのでしょうね。そして中に堅い物が入っていることにも気が付いてしまいました。  高井さんが貴方に何か仕掛けがあるヌイグルミなの? ときいたけど、貴方はそんなことないといって、中に仕込んであったカメラを発見されてしまいました。  それを見た貴方は気持ち悪いと凄く怖がって、高井さんに誰かこんなことをする相手は思い当たらないのかと聞かれても、さっぱり心当たりがないといっていました。  それが十二月十三日のことでした。高井さんは警察に届けようと言ったけど、貴方はそうしたら犯人を刺激してもっと悪いことをしてくるんじゃないかと言って怯えていました。  でも高井さんは、これは間違いなく犯罪だから、黙っていたら余計に危ないからといって、警察へ電話を掛けました。  一時間もしないうちに警察官が二人来て、その後で盗聴器の専門家の人もきて、置き時計に仕掛けたカメラとマイクも発見されてしまいました。  突然のことに貴方は呆然としている様だったけれど、高井さんはどんなことがあっても貴方を守るとかいって、頼もしかったですね。  貴方は次の日の朝一番にアパートの管理会社に電話を掛けて、事情を説明して、実費でも良いのでドアの鍵を付け替えて貰える様に頼みました。  不動産屋というのは居住者が変わる度に鍵を付け替えてる訳だから、専用の工務店も決まっているのでしょうか、手配も早くて、その日のうちに付け替えてしまいました。それで僕が持っている貴方の部屋の合鍵は使えなくなってしまいました。  僕はカメラが見つかったショックで動揺してしまい、ちょっと復讐どころではなくなってしまったのだけれど、でもこのまま貴方を高井さんと倖せになんてしてたまるものかと、自分の思いを喚起して、どうにかしなければ、と考えました。    そしてまた村永さんも、きっと貴方が高井さんと一緒になってしまうかもしれないと思って、決断を迫られる状況になっていたのではないでしょうか。  それは僕がかつてそうだったから分るんです。村永さんは、心から恋をしている人が、他の人の物になってしまうかもしれない、このままでいいのか、例え自分の恋が実らないのだとしても、このまま何も言わずに、自分の気持ちを伝えることもせずに、このまま取られてしまっていいのだろうかと、追い詰められていたのだと思います。  でも村永さんは気が小さいから、何しろこれまで十五年もの間、貴方の側にずっといながら、貴方に対する気持ちはおくびにも出さずにいた訳だから。今更遅すぎるんだよと思いましたが、でもその一方で、貴方がもし村永さんの様な、いわゆるイケていないけど心の優しい男と一緒になるのなら、僕はこれまでの復讐心を忘れて、祝福してもいいような、そのことで僕の心も救われる様な気もしていたんです。  そしてもしそうなっていれば、貴方が視力を失うことも無かったんです。  覚えていますか、僕はその時の村永さんの言葉を貴方のポケットのスマホから聴いていました。村永さんは貴方に気持ちを打ち明ける勇気がなくて、それでも厨房で貴方と二人だけになった時に、やっとのことで口に出したのが、貴方に「結婚という物についてどう考えていますか」という質問でした。  貴方はもし良い相手がいるならそのうちに、とか言って、適当にはぐらかそうとしました。でも村永さんは頑張って更にこう言いました。 「もし年上の人と結婚するのだとしたら、歳の差は何歳くらいまで許容範囲ですか」と、そうしたら貴方は年上ならギリギリ十歳までかな、と言いましたね。  この時貴方は三六歳、村永さんは四七歳でした。ギリギリ十歳まで、ということは十一歳差の村永さんはギリギリでアウトです。ということを貴方は村永さんに宣告したということですよね。僕には貴方がきっぱりとそれを言いたかったのだろうと聞こえました。  やはり村永さんの夢は叶いませんでした。貴方は村永さんの様な人間を男性としては全く意識していないのでした。貴方には十歳も年上でイケていない男のことなど、異性としては眼中になかったのです。十八年前の、僕が須賀健二だった時と同じ様に。   もし、貴方が高井さんではなく村永さんを選んでいたら、僕は身を引いて、ストーカー行為もやめようと思っていました。その本当の理由は、村永規弘は僕自身が演じていた人物だからです。  僕の本名は前にも書いた通り須賀健二ですが、二〇〇五年に貴方に傷つけられて、その翌年の二〇〇六年に、容姿を変えて貴方が働いていたタロウレストラン調布店に、村永規弘としてアルバイトに応募して、採用されました。    話を十七年前に戻して、本当の僕が貴方の前から姿を消して、その一年後に人相やキャラクターを変えて、村永規弘として貴方の前に現れたところから説明したいと思います。  全ては貴方に復讐する為でした。僕は貴方の行動を監視したり会話を盗聴するだけでなく、復讐の手段を考える為に、もっと近づいていたいと思ったのです。  そこで自分の素性を隠して貴方が働いているお店に、アルバイトとして入り込むことを考えました。  先のカラオケ店で顔を合わせてしまった一件で、おそらく貴方が僕の顔を覚えていないとは思っていましたが、あの時は忘れていても、さすがに一緒に仕事をする様になれば段々思い出すかもしれないと思い、やはり名前を変えて、変装したり、話し方とか感じを変えなければならないと思いました。  なるべく貴方と出会った時の容姿とは違う感じにしようと思いました。まず体重を減らそうと思い、毎日の食事を一回にしました。調布店へ面接に行った時は、僕が須賀健二として貴方に接していた頃からは五キロくらい痩せていました。  髪型を変えて、短髪にして、美容院で金髪に染めて、黒縁の眼鏡をして、喋り方も僕が小学六年まで住んでいた九州の出身ということにして、大分弁で話すことにしました。  性格も作ろうと思いました。全くの別人にした方が、演じやすいと思ったし、僕自身と差別化する為にも、考えてなるべく僕の嫌いなタイプの性格にしてみようと思いました。  田舎者で、決して怒らない性格。弱いかわりに優しい。真面目だけれど使えない。僕自身も決してアグレッシブな方ではないけれど、全体として生きていることに覇気が無い様な、僕から見てもじれったくなる様な人間にしようと思いました。  それと、実は村永規弘という名前は、僕が引き籠もっていた頃にインターネットの掲示板で知り合った人から借りた名前なんです。  アルバイトといっても給料を振り込む口座を作る時とか、税務署の申告とかで、偽名を使うとバレてしまうかもしれないので、本籍の住所と名前だけは実在の人物である必要があると思いました。僕はその人とは実際には会ったこともありません。  その僕とは全く別人の村永規弘さんという人には、今も毎月謝礼として一万円を支払っています。  実在の村永さんは僕よりも年上なんですが、お店に提出する履歴書には嘘を書いてもバレないと思い、僕の歳から二つ下げて設定しました。こうして僕は村永規弘という当時三二歳の架空の人物を作りました。  こんなことが上手くいくだろうかと恐かったけれど、思い切ってなりきってみると、自分にこんな能力があるとは驚いたくらい、ちゃんと演じることが出来ました。それも貴方への恨みによって引き出されたエネルギーなのかもしれません。  調布店にアルバイトの面接に行ったのは、貴方が新入社員として配属されてから二ヶ月くらい経った頃です。  年齢の他にも履歴書には嘘を書きました。現住所も、本当は東小金井の実家だけれど、それだとそんな遠くからわざわざ調布までアルバイトをしに来るのは不自然だと思い、東小金井からの通り道で、調布から近い飛田給に住んでいることにしました。  店長から、この店を選んだ理由はと聞かれて、家が近いことと、前からこのチェーンのレストランが好きだったから。という答えをしました。  大分弁で喋る設定として、九州から東京へ出てきて就職したけれど、リストラされてしばらく引き籠もっていた、と話しました。それは実際に八年も引き籠もっていた期間があるので、まんざら嘘でもなく、村永規弘としての気持ちで話すことが出来ました。  それから実家で一緒に住んでいる父と母には、僕が急に容姿を変えて仕事先も変えてしまったことを納得させる為に、イメージチェンジして新しい人生を踏み出すんだ、と説明しました。  また働くお店が調布駅にあることを伝えておかないと、後々都合が悪いことが出てくると思い、何故わざわざ離れた調布まで行くのかという理由として、知り合いに紹介して貰ったから、ということにしておきました。  その後貴方が渋谷店、新宿店と異動するのを追いかけて行ったことに関しては、気心の知れた人と一緒に仕事をしたいから、という説明で不自然とは思っていない様でした。  なにせ僕は長年引き籠もって心配をかけていたので、親としては僕が外へ出て働いているということだけでも、十分にありがたいと思っていた様です。  それでもやっぱり、調布店で働き始めた時は、一年振りに貴方に相対して話すのに緊張しました。貴方が須賀健二としての僕の顔を覚えていないことは分っていたし、一年の月日が経っているし、容姿を変えて、キャラクターも作りこんではいるけれど、でも同じ調理場で働くということは、長い時間一緒にいて話をすることになるし、バレる時がくるかもしれない、と不安でした。  でも貴方には全くその気配はありませんでした。僕のことを一年前にモアバーガーでアルバイトしていた須賀健二と結びつけることはなかったですね。落としていた体重もしばらくして元に戻って、そのまま増え続けてしまったけれど、貴方は微塵も村永規弘と須賀健二とを結びつけて考えることはありませんでした。やはり僕のことは記憶の片隅にも残っていなかったということです。  モアバーガーの時とは逆に、今度は僕が貴方の後輩として、仕事を教わる立場になりました。僕は村永として出来るだけヘイコラして、貴方を立てて、貴方のいうことは何でも聞く人間、という印象に持っていこうと思いました。  そんな村永に対して貴方は、自分の方がずっと年下なのに、と恐縮していましたが、どんなに貴方が村永である僕を年長者として立てようとしても、僕は「とんでもないですけん」とかいって平身低頭して、絶対に低姿勢を崩さない様にしました。  僕には貴方が村永の正体に気付かないという自信がついて、そのままずっと短髪で金髪にしていようと思っていた髪の毛も、染め続けるのが面倒になって、何年かして黒髪に戻しても平気でした。  こうして僕はまた貴方と一緒に狭い厨房の中で仕事をすることになりました。間近で見る貴方はやはり素敵でした。僕にはみるみるあのモアバーガーで出会った時のトキメキが蘇ってきました。  今までに好きだったモーニング娘の女の子たちと引けを取らないくらい顔形が整っているのに、動画やステージでしか見ることの出来ないアイドルとは違い、息づかいのある、僕と同じ生物である生々しさがあって、リアルでした。  でも、貴方は同じ空間にいても僕にはまったく手の届かない物、それどころか今では恨みの対象。それでも僕は、素性を隠しているのだとしても、こうしてまた貴方と間近に会うことが出来たことが、凄く嬉しかったです。  綺麗だ、好きだと思えば思うほど、地獄の底に突き落としてやりたい衝動も増してきます。  僕にとって貴方は他の女の子とは違う、何しろこんな僕にも一時は親しくなれた間柄だったのだから。僕にとって、リアルに言葉を交わすことが出来た唯一の美少女だったのだから。  モアバーガーでは、仕事を覚える為だけだったとはいえ、一度は僕を必要としてくれましたよね。時々僕には、貴方が僕を頼りにしてくれてたんだ、という幻想が蘇りました。  そして同時に、僕を絶望的に傷つけたことに微塵も罪の意識も感じていない、僕のことを覚えてもいないことに、グツグツとはらわたが煮えくり返っていました。  愛しいと思うと同時に、僕の時間はあの時から一秒も進んでいないということを、何年掛かってでも、貴方に思い知らせてやりたいと思いました。  僕が演じる村永というキャラクターを、貴方は当初、年上なのにどうしてそこまでペコペコするのかと、ちょっと不審に思っている様子でしたが、僕が徹底して演じているうちに、貴方は村永としての僕を信頼してくれる様になりましたね。  そしてまた、貴方は仕事に対して本当に一生懸命だと思いました。僕がいうなんておこがましいと思うけど、健気に頑張っている姿を見て、僕は本当に応援してあげたいなと思っていました。  そして仕事覚えが悪くて使えない村永に、親身になって仕事を教えてくれましたね。村永はオーダーを間違えたり、オーブンで火傷したり、失敗ばかりして「すんません」と謝ってばかりいましたが、貴方は優しく、堤チーフに怒られた時も庇ってくれたりして、村永としての僕はとても倖せでした。  勿論貴方は村永に職場の部下としてしっかり仕事が出来る様になって貰いたい、という気持ちだったのだと思うけど、僕はこうして村永としていれば、貴方に優しくして貰えるんだと思いました。  でも貴方の心の中には、自分で仕向けておいて何ですが、頭が悪くて使えない村永に対する優越感というか、もっといえば蔑みの気持ちも内在していると思いました。  それでも僕は、一緒に仕事を出来ることが倖せだった。ここでは後輩という立場だから、貴方に対して下から目線を保つ様にしていたけれど、ごめんなさい心の中では上から見下ろして可愛いと思っていました。貴方が可愛くて可愛くて、たまりませんでした。  貴方から親身になって教えて貰ったお陰で、僕はメニューの一通りのレシピを覚えて、何をオーダーされても調理して出すことが出来る様になりました。  僕がここで働くのは貴方への復讐の為だったけれど、モアバーガーで働いていた時と同じ、仕事をこなしている充実感がありました。  僕は大学を出た時就職に挫折して、三十歳まで引き籠もっていたことはお話しましたが、社会の何の役にも立っていない、自分では何をすることも出来ない無気力感から、ちゃんと働いてお金を貰っているという、人としての自信をまた持つことが出来ました。     あの頃の調布店は調理場の堤チーフは嫌なところがあったけど、ホールのアルバイトも気持ちの良い子が多くて、楽しかったですね。  早番の日は朝六時に起きなければならなくて、寒い日なんかは辛かったけれど、それでも仕事に行くのが嬉しかった。勿論村永としてですが、貴方と仕事を出来るのが楽しかった。  そんな日々が続いていくうちに、僕は村永と僕のどちらが本当の自分だか分からなくなるくらいでした。  貴方はまた、将来地元に戻って洋食のレストランを開きたいことや、ミスターチルドレンが大好きだということを、村永にも話してくれましたね。  僕はそんなことは既によく知っていたから、貴方が喜ぶ様に相づちを打って、貴方の話には全肯定でリアクションしました。貴方は嬉しそうに何でもお話してくれましたね。ただ恋愛のことを除いては。  貴方の信頼を得る為に、村永としては貴方のことを異性としては一切意識していないことを強調していました。そのお陰で貴方は村永をとても気が合う目下の友達として心を開いてくれましたね。  なので僕に対して貴方は隙だらけでした。僕はあの頃貴方が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートの合鍵を作って持っていたといいましたが、それは貴方が休憩に入った後、事務所に置きっぱなしになっていたポーチから鍵を出して、写真に撮って、メーカー名と製造番号で合鍵屋さんに注文して作って貰い、取り寄せることが出来たのです。  そして貴方が仕事で僕が休みだった水曜日に、一度貴方のアパートへ侵入してカメラと盗聴器を仕掛ける場所を吟味して、また次のタイミングで仕掛けました。配電盤のボックスと白い木枠の置き時計に仕込んだことは前にも書きましたね。  こうして僕は職場では村永規弘としての日常を演じながら、一方では須賀健二として貴方の私生活を監視して、学生だった志島孝弘君、ヘルプで来たロックンローラーの常田豹吾さん、いい人だった柳川智則さん、高級サラリーマンだった安岡健太さんたちとのお付き合いを邪魔してきたのです。  二〇〇七年に貴方がスマートホンに買い換えた時は、僕は一人で休憩に入った時に事務所のロッカーから貴方のスマホを取り出して、盗聴アプリをダウンロードしておくことが出来ました。  そしてその後二〇一三年のホワイトデーの時には、僕はバレンタインデーに貰った義理チョコのお返しだといって、貴方のスマホにゲームアプリをインストールしてあげるといって操作した時に、遠隔操作で起動したり周囲を盗聴できる最新版の盗聴アプリを仕込むことが出来ました。  二〇一九年に貴方が新しいスマホに買い換えた時にはダメになるかと思ったけれど、使っていたスマホのデータがそのまま移行されたので、盗聴アプリも新しいスマホに引き継がれて、そのまま使うことが出来ました。  僕はあの頃から貴方の生活をほぼ全て把握していました。貴方は調理師として働きながら都会に生きる、とても可愛い女の子。煩雑な日常の中で、地元にレストランを開きたいという夢がかすみそうにもなるけれど、一歩一歩進むしかないんだ、と思っている。そして時々恋もして、職場や学生時代の友達と飲みに行くのも好きな、普通の女の子でした。   そんな貴方を観察しているうちに、僕の中では村永規弘としての従順な僕と、貴方を恨む須賀健二としての葛藤が生まれてきました。  僕はこのまま村永として、貴方の同僚として楽しくやっていければいいじゃないか、と思う様になったんです。男女の関係でなくてもいいじゃないか、仲良くやっていくだけでもいいじゃないか……と。  村永として貴方を見ているうちに、貴方のことを異性としてではなく、本当に人間として思い遣るだけの心にもなれる気がしてきたんです。  貴方と一緒に仕事をして、たまに一緒に遊びにいく、そんな風に過ごせた数年間の月日は、僕の人生の中で、一番倖せだったと思います。一緒に映画館の客席で、横に並んで観ることができた「万引き家族」と「ジョーカー」は一生の宝物です。   でも、貴方に彼氏が出来る気配があると、途端に須賀健二としての復讐心が蘇り、貴方をおとしめる算段を考えてしまうのです。  貴方から絶対の信頼を得られるくらい一生懸命仕事が出来たのも、また貴方に対して仕事の同僚として優しくできたのも、いつか来るべき、貴方を地獄の苦しみに陥れる日がくると思っていたからです。その日の為にと思えばこそだったのです。  でもいつしか、もしかしたら、もし村永として貴方に愛を告白したら、受け入れてくれるということもあるのではないか、という考えが意識に浮かんできました  でももし告白したら、あの忌まわしい、貴方に復讐を誓った出来事がまた起こるに違いないと思い、出来ないと思いました。  でも僕は、ずっと悩んでいるうちに決意しました。村永として長年の思いを口に出して、貴方に告白することを。  その顛末は先に書きました。村永がやっと絞り出して口にした言葉、貴方は結婚するのなら年齢差は何歳まで許容範囲ですか、という問いに、十歳までと即答しました。村永には一切何の可能性もない、希望は微塵もないということでした。  やはり貴方は僕や村永の様に、人は良いけど男性的な魅力に欠ける男より、ワイルドな常田さんとか、頼り甲斐のある柳田さんや安岡さん、高井さんの様な男に惹かれるのです。  復讐はやめて村永として貴方と倖せになれるのなら、と思ったけれど、貴方には僕の真心が分からない、伝わらない。  それで僕は否応なく決意しなければならなくなりました。貴方が高井さんと一緒になるというのなら、当初の目的である復讐を果たさなければならないと。  でも今回は、そんな悠長に計画を立てている暇もなく、貴方と高井さんの結婚へ向けた計画がどんどん進んでしまい、その上貴方の部屋でクマのヌイグルミに仕掛けた隠しカメラが発見されてしまいました。  あの日僕は、仕事が終わって自宅に戻り、自室のPCを立ち上げてから、その事態を知りました。  置き時計に仕掛けた方のカメラとマイクで、高井さんがクマのヌイグルミからカメラを取り出し、怖がる貴方を説得して警察に通報する様子を見ました。  その夜のうちに警察が来て家宅捜索みたいになりましたね、そうこうするうちに置き時計に仕掛けたカメラとマイクも発見されてしまい、映像が切られて、残されたのはスマホに仕込んだアプリから聞こえる音だけになってしまいました。  警察の人にスマホの盗聴アプリのことも指摘されたらどうしようと思っていたけれど、幸い警察の人もそこまではいいませんでした。  でも僕は突然のことにとてもショックで、しばらくは何が起こったのか理解出来ないくらいでした。  その翌日、僕は村永として仕事にいき、普段と変わらない調子で貴方に「何かあったの?」と話しかけました。貴方は村永には話してくれないかな、と思ったけれど、貴方はクマのヌイグルミから隠しカメラが出て来たことから、警察を呼んで調べて貰ったら置き時計からもカメラが出て来たことも話してくれました。  僕は内心激しく動揺していたけれど、やっぱり村永は貴方に頼りにされているんだと思って嬉しかった。とても複雑な心境でした。  村永としての僕は、最後の務めとして、ストーカーから貴方を守る為に協力しなければならないと思いました。  本当は警察に通報する前に相談してくれていれば、通報したら相手が逆上して何をするか分らない、とかいって止めることも出来たのかもしれないけれど、既に高井さんのせいで警察沙汰にされてしまったので、どうにもしようがありませんでした。  僕は貴方に、今までに誰か男の人から恨みを買う様なことは無かったのかと尋ねました。貴方は全く何も身に覚えがないといいました。この時また僕の心の中では、復讐の火がぶり返して、燃え始めた気がしました。   しかし、こうなってはもう無理だ。もう貴方と高井さんとの仲は止められなくなってしまった。と思いました。  そして警察の調べが進んで、発見されたカメラからの送信記録とかを辿って僕に調べが及ぶかもしれない。そして貴方のスマホに仕込んだ盗聴アプリも発見されてしまうかもしれない。  そしてもうひとつ、須賀健二という本当の僕は、今年で五十歳になってしまうのです。貴方は高井さんと倖せになって、僕は五十歳の年寄りになってストーカーとして警察に逮捕される。そんなことは考えられない。  僕は、貴方が恋した相手から残酷に捨てられる、という復讐が上手くいかなかった場合の最終手段として、工業用アルコールであるメタノールを入手していました。  ネットで検索すると、メタノールは別名メチルアルコールといって、もしも十ミリリットル飲んでしまうと失明するそうです。一度に飲まなくても、何度も飲んでいると身体に蓄積されて効果があるということも分りました。  飲むと最初は普通にお酒を飲んだ時と同じような状態になるだけで、とくに症状はないそうですが、翌日から頭痛、めまい、腹痛、悪心、嘔吐のほか、目がかすんだり、物が二重に見えたりし始めて、視神経の萎縮と視野狭窄というのが起きて、何日か症状が進んで失明すると書いてありました。   そうです、僕は最終的には貴方にいわれた「消えてよ」という言葉を実行しなければならないと思いました。僕の存在が消えるというのではなく、貴方の目が見えなくなることで、必然的に僕の姿も消えるということです。    貴方の部屋へ忍び込んで、いつも飲んでいる赤ワインの、飲みかけのボトルか紙パックがあれば注入しようと思っていたのですが、貴方は部屋の鍵を変えてしまったので、新しい合鍵を作らなければなりませんでした。  でも貴方はさすがに警戒心が強くなっていたので、前とは違い職場で休憩する時もロッカーにしっかり鍵を掛けてしまい、鍵の写真を撮ったり製造番号を知ることが出来ませんでした。  ボヤボヤしていると今にも警察の捜査が僕に及んでしまうかもしれない、そう思って凄く怖くて、焦ってきました。  僕は考えて、ボトル入りのちょっと高い赤ワインを買って、コルクに長い注射針を刺してメタノールを注入しました。そして貴方にはたまたま人から貰ったので、クリスマスシーズンだし、プレゼントするということにしてみました。  幸いにも貴方の中には、部屋に隠しカメラを仕掛けた恐ろしいストーカーと、お人好しでマヌケな村永とを結びつける発想は微塵もない様でした。  「ありがとう」と何の躊躇もなく嬉しそうに受け取って「やっぱり辛い時に頼りになるのは村永さんだね」といってくれました。  もう隠しカメラは無いので、貴方の様子を窺うのはスマホからの盗聴だけしかありません。でも音だけではよく分らない、僕の最後の復讐を見届けることが出来ない。僕はどうにかして貴方がどうなるのかをこの眼で確認したいと思っていました。  それから毎日、僕は仕事をしながらいつ貴方に異変が起こるかとドキドキしていました。でも貴方はすぐには僕のあげた赤ワインを飲まなかったのか、普通に仕事にきていました。  僕は脇にいて、高井さんと貴方が時々アイコンタクトしたり、小声で何か話して笑ったりするのを苦々しく思いながら、早くあのワインを飲めばいいのに、と思っていました。  そしてあと数日でクリスマスだから、きっと貴方と高井さんは二人で食事に行ったり、デートするんだろうと思いました。 もしかしたら貴方はあのワインを高井さんと一緒に飲むかもしれない、だったらメタノールは十ミリリットルではなく、二人分の二十ミリリットルにすれば良かったと思いました。でもそんなに入れたらワインの味が変わってしまい、口にした時にバレてしまうかもしれない、とも思いました。  そもそも復讐の対象ではない高井さんを巻き込んでしまうのは気の毒かな、とも思ったけれど、不可抗力ならば仕方がないかな、なんて僕も結構いい加減でした。  そんなことを考えながらも、僕は今にも警察が来て逮捕されるんじゃないかと思い、恐々としていました。発見された隠しカメラとマイクには僕の指紋が沢山ついているから、もし警察が貴方の周囲の人物から全て指紋を取って照合とかすれば、ひとたまりも無く僕が割り出されてしまう。  そんなことも考えていたのですが、全くそんな気配は無かった。ストーカーといっても、相手に危害を加えたり、殺したりということではなかったので、警察もそれ程本腰を入れて捜査していないのかな、とも思いました。  そして何も起きないまま、僕は毎日スマホで貴方と高井さんとの、新居への引っ越しのこととか、結婚式の相談とか、また夜は高井さんが貴方の部屋へきてセックスしているらしい声とかを、聴かされていました。  だけど、貴方はまだ僕のあげたメタノール入りのワインを開けている気配はありませんでした。  あれは村永さんから貴方が貰った物だから、高井さんと一緒に飲むのは何か悪い? みたいに思ってくれているのかな、とも想像していました。真相はどうだったのでしょうか。  年末になって、この年も貴方は実家に帰省しませんでしたね。この頃の貴方はもう毎年実家へ帰省するということはなかったけれど。この年は高井さんとの将来へ向けたラブラブな年越しを過ごしていましたね。  お正月になって、お店は元旦と二日だけがお休みでした。高井さんは岡山県の郷里へ一度帰ってくるといって、元旦に新幹線に乗って行きました。  元旦の夜でしたね。貴方はひとりでミスチルの曲をかけて、何かガサゴソしている音が聞こえていた中に、ポンという音が聞こえて、もしやあのワインのコルクを引き抜いたのかな、と思いました。  その後コップに注ぐトクトク……という音がして、僕はいよいよ飲むんだ、と思いました。  パリパリと何かスナック菓子を食べるみたいな音がして、貴方は流れている音楽に合わせて口ずさんでいましたね。  僕の隠しカメラを見つけた時はあんなにも怯えてたけど、頼もしい高井さんが守ってくれてるし、結婚の計画も着々と進んでいるし、凄く倖せな気分なんだろうなと思いました。  でもこの時貴方の身体の中に、僕の仕掛けた猛毒が流れ込んでいたのですよ。  遅くなってまた高井さんから電話が掛かってきて、ラブラブなトークをして、電話を切ってからもまたミスチルをかけ直して、また何度かワインをコップに注ぐ音がして、静かになったのは夜中の二時か三時くらいだったでしょうか。  どうなったかな……とドキドキして眠れませんでした。次の日も昼過ぎから貴方の部屋の音を聴いていました。  部屋の掃除をしたりしている音がして、また高井さんに電話して、そっちはどう? とかお喋りして、僕はまだあのワインをそんなには飲んでいないから平気なのかな、と思いました。  夕方頃に何かジュウジュウ料理している音がして、かすかにコップがテーブルに置かれる様な、またボトルからワインを注いでる様な音もしました。  きっとまた飲んでいるんだろうと思いました。僕が注入したメタノール十ミリリットルを飲むには、ボトルをひとりで全部飲んでもらわなければならないので、僕はもっと飲め、もっと飲め、と応援していました。  そして年明け、お店が営業開始の一月三日の日に、貴方はお店に来ませんでしたね。体調が悪いから休むという連絡があったと、店長から聞きました。  僕はやっとワインの効果が現れたのかな、と思いました。でもまだ分らない、普通に風邪とか引いただけかもしれないと思い、心配している高井さんの様子を気にしながら、どうなるのかと思っていました。  貴方はその日の夜に自分で救急車を呼んで、そのまま入院してしまいましたね。  高井さんは凄く心配していました。病院に行ったけど、コロナでお見舞いは禁止されていて、会えなかったといっていました。  肉親でも会えない状況だったから仕方ないと思うけど、高井さんは仕事が終わると毎日貴方に電話して、でも病室ではスマホは使えない規則だから貴方もすぐには折り返し出来なくて、ましてや目が殆ど見えないといっていたから、看護師さんに付き添って貰って休憩所に連れて行って貰わなければならないから。なかなか電話も出来ない感じでしたね。  高井さんと電話で話す貴方は、目が見えないといって、恐い恐いとずっと泣いてるみたいでした。貴方を心配する高井さんの様子も常軌を逸している感じがありました。  貴方たちの会話で、貴方が運び込まれた時の状況を知ることができました。あの日、一月二日は朝から凄い二日酔いみたいになって、酷い頭痛と吐き気がして、症状があまりにも酷くて、夜になっても治まらないので救急車を呼んで、世田谷の救急病院に運び込まれたということでしたね。  病院では急性アルコール中毒という診断を受けて、ベッドで点滴を受けているということでした。  僕はそれがネットで調べた、メタノールを飲んだ時の症状と一致しているので、間違いなくあの赤ワインを全部飲んだのだと思いました。貴方はひとりで飲んでくれたんですね。身体が震えました。  そして症状の原因が分らないということで、最初に入院した救急病院から新宿の大学病院へ転院しましたね。  僕は貴方に会いたかった。どうなったのか、貴方の目がちゃんと見えなくなっているのか確かめたかった。でも、大学病院もお見舞いは禁止になっていたから、どうすることも出来ませんでした。  高井さんはお店で仕事をしていても、貴方のことが心配すぎて上の空の様な感じでした。  僕も焦っていました。大学病院でいろいろな検査をすれば、何か毒物を飲んだ可能性とかも考えられて、僕のあげたワインのボトルからメタノールが検出されて、きっと僕は警察に逮捕されるだろうと思っていたから。きっとこれが僕の人生の最後にしたことになると思っていたから。  僕は貴方と高井さんとの電話の会話で、貴方がいる病室の番号を聞けないかと思っていたのだけど、中々情報は得られませんでした。  ならばもう一か八か村永として貴方に電話して、聞き出すしかないかと思っていたのだけれど、高井さんがお見舞いに病室まではいけないまでも、何号室にいるのか教えてくれたら、病院の建物の外から窓に手を振るといって、貴方は病院の七階の、七〇四号室にいるといいました。  その夜高井さんは病院の敷地内に入って、建物の下から貴方のいる病室に向かって手を振ったんですね、でも貴方にはその高井さんの姿を見ることは出来なくて、なんて可哀想なんだろうと思いました。  でも僕は、高井さんの様には大人しくしていられませんでした。もうこれが最後だから、後のことなんてどうなってもいいから。お見舞い禁止の規則を破ってでも、貴方のいる病室へ突撃しようと思っていました。 僕はどうすれば貴方の病室へ行けるのか計画を立てようと思って、まずは下見をしに病院へ行きました。  一月七日の金曜日に、僕は早番の早上がりだったので、夕方の四時に仕事を上がって、西口にある病院まで歩いて行きました。  さすがあの病院は大きいですね。テレビの医療ドラマに出てくる様な、ピカピカで大きな建物でした。一階は車寄せのロータリーみたくなっていて、正面の入り口の脇には警備員の人が立っています。でもそれ程厳密に通る人をチェックして見ているという感じでもなかった。  建物に入ると、中はすごく広々していて、長い受付カウンターがあって、ロビーには長椅子がたくさん並んでいます。そこには外来で診察を受けに来た人とか、入院している患者さんとか、いろんな人が座っていました。  パジャマの上に上着を羽織っている人は、きっと入院患者の人なのかなと思いました。僕も診察を受けに来たか入院している患者のフリをすれば、ここまでは入ってこられると思いました。  エレベーターは受付の奥にありました。貴方の病室は七階だといっていたから、エレベーターに乗ることが出来れば、七階まで行くことが出来ると思いました。  今このまま行けば行ける様な気もしたけれど、失敗しない為には落ち着いて、今一度計画を立てて、次に仕事が休みの十一日に決行しようと思いました。  その日、なるべく人の出入りが多い時間が良いと思って、午後にしようと思い、二時頃に病院に行きました。  病室を訪ねるのに手ぶらで行くのは失礼かなと思ったけど、見舞いは禁止されているので何か持っているのはむしろマズイと思いました。入り口の脇に立っている警備員の人をちょっと気にしながらロビーに入りました。  エレベーターに乗って上階の病棟へ行くには、入院している患者のフリをした方が良いと思って、一階のトイレの個室に入って、鞄に入れてきたパジャマに着替えて、その上に上着を羽織りました。  何食わぬ顔をして受付の前を横切り、エレベーターの方へ行きました。  エレベーターが到着するまでの間、ちょっと緊張したけれど、努めて何気ないフリをしていました。これが僕の人生最後の行事の様に思っていたから、肝が据わっていたというか、半分開き直っていたので、周りの人に気配を消しておくことが出来たのかもしれません。  エレベーターが到着して、ドアが開くと中から白衣を着た看護師さんと、年配の患者さんの様な方が出てきました。僕はすれ違いに中へ入って、心中では焦りながらも、何気ない風を装ってドアを閉めるボタンと、行き先ボタンの七階を押しました。他に乗ってくる人もなく無事にドアが閉まって、七階まで上がることが出来ました。  七階でエレベーターを降りると、廊下を歩いて、ナースステーションみたいなところを通りました。中に看護師さんが何人かいたけれど、何か忙しそうで、僕に注意を向けることはありませんでした。  その先の病室の番号を見ながら歩いて、四番目の七〇四号室に着きました。  扉の脇の表札を確かめると、貴方の名前が書いてあります。ドキドキしました。  最初は扉をちょっとだけ開けて、中を覗いてみました。ひっそりしていて、まるで誰もいない様でした。  そっと扉を開けて中に入りました。ここまできて、貴方がどんな風になっているのかを見るのが恐くなりました。  病室の中はカーテンを閉めて、照明も点けずに暗くしてありました。目が見えないということなので、なるべく刺激を与えない様にしているのかな、と思いました。  入ってすぐにベッドがあって、でもそこには誰も寝ていませんでした。あれ、と思ってよく見ると、ベッドはカーテンで仕切る様になっていて、その向こうにもう一つベッドがあるのが分りました。二人部屋の病室だったんですね。  奥の方へ入って、仕切りのカーテンをめくってみると、そこに貴方が寝ていました。でも最初は確かに人間が寝ているけど、暗いし顔がよく見えないので、貴方なのか確認出来なかった。  小さな声で「こんにちは」と声をかけると、貴方は「誰ですか、村永さん?」といって上半身を起こしてくれました。声を聴いてすぐに僕だと分ってくれたことが、飛び上がる程嬉しかった。  貴方は目に包帯を巻いていて、起きたまま真正面を向いていて、僕の方を向いてくれません。  貴方は「どうしたの? お見舞い禁止なのにどうやって入ったんですか?」と聞きました。僕は「どうしても来たかったから、コッソリ入って来ちゃった」といいました。  貴方は「そんな、凄い村永さんがそんなことするなんて」と驚いていましたね。  僕は「大変だったね、大丈夫?」といいました。貴方は今は大分収まったけど、最初はず~っと気持ち悪くて、呼吸も苦しかったといいました。そして、頭痛とか息苦しさは大分収まってきたけれど、目がかすんできて、もう今は殆ど見えなくなってきて、とても恐いといいました。  僕は貴方が僕の姿が見えないから、手を握ってもいいかと尋ねました。貴方はいいというので貴方の手を僕は包むみたいにして握りました。  生涯で初めてでした。貴方の手をつかめるなんて。というかそもそも女の子の手を握るなんてことが信じられないことでした。温かい、これも僕がしたことの成果なのかなと思いました。  僕は自分の口から出た言葉を、我ながらよく言えたもんだと思いますが「大丈夫だよ、絶対よくなるよ」と言っていました。  すると貴方は「病院に調べて貰っても原因が分らないって、点滴とか目薬とかしても全然効かなくて、もう今ほとんど見えなくなっちゃってるんだよ~」といって泣きました。  貴方は自分で見えないから恥ずかしいということもないのか、隠そうともせずに顔をしかめて、包帯の下から涙を流して泣きました。うう~と大きな声を上げて。可愛らしかった貴方がこんなに醜い顔をして泣いているんだと思いました。  この時僕は微笑んでいました。この時は貴方を哀れむというよりも、充足感に満たされていました。これが今まで僕のしてきたことの結果なのだと思いました。それは恐ろしさもあるけれど、しっかりと受け止めなければならない自分の成果だと思いました。    これから先、僕が辿る人生、刑務所に入れられて、両親や兄からも恨まれて、貴方のお店でアルバイトする為に名義を借りた村永さんにも迷惑をかけて、もう到底まともな生活をすることは出来ないでしょう。  そしてそれは今、この瞬間から始まり、この先僕は死ぬまで片時も忘れることはないだろうと思い、しっかりと胸に焼き付けておかなければと思いました。  そして僕は勝ったのだと思いました。貴方への恨みを立派に果たしたのだと思いました。  僕は逮捕されて何十年も刑務所へ入らなければならないのだろうけど、それが僕が人間として生きているこの世の掟なのだとすれば、仕方のないことだと思います。  法律が罰してくれないので、僕が貴方に罰を与えた。それに対して社会の法律が僕に罰を与えるのでしょう。それでおあいこです。  僕の人生はこれで終わったのです。この後のことは所詮全て終わった後のことです。  この手紙を貴方は自分で読むことは出来ないのだから、今誰かが貴方にこの手紙を読み聞かせているのでしょうか、だとすれば少なくとも僕と貴方の間にいる、この手紙を読んでいる第三者の方が、この全ての事実を知ったことになります。僕の人生を知って貰えたということに、僕は喜びを感じます。  僕は貴方と添い遂げたのです。貴方は勿論望んではいなかったでしょうけれど、事実上貴方は僕のパートナーでした。僕の人生は貴方でした。僕は貴方と人生を過ごしたのです。  最後に病室で会った時も、僕は自分の素性を貴方に話しませんでした。最後まで村永規弘として、貴方にとっては頼りになる、心優しい男でいたかったからです。  これで僕の人生は完結です。物語は終わり、後のことはもうどうでもいい。                                                                      敬具
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