こんにゃく・オブ・ライフ

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こんにゃく・オブ・ライフ

 十年前。ある動画が広まった。  荒い映像。何の変哲もないリビングのテーブル。その上のお皿に、こんにゃくがひとつ。 「こんにゃくが、動いた」  衝撃だった。とても短い五秒の動画を、僕は、繰り返し見た。何回見ても、こんにゃくがひとりでに動いている。これは、とんでもない発見だ。 「ヤラセだろ」  だれに言っても、そんなことを言われた。冷たい目で見られた。バカか、と頭を叩かれたりもした。  動画を編集してるだけ。遠くから操作してるだけ。磁石を使ってるだけ。そう見えるだけ。 「でも、こんにゃくは、動くんだ」  僕は、曲げなかった。  昔から、なんで人間や動物だけが、命を宿しているのか不思議だった。ただの食べ物だって、命を宿していても、不思議じゃない。こんにゃくだって、そうじゃないか。 「こんにゃくは、加工品なのよ」  お母さんは、さとすように、言った。 「人間だって、加工品だよ」 「違うわ。私たちは自然なの」 「人間は、神様の加工品だよ」 「神様なんていないわ」  お母さんの言うことは、全然、こんにゃくが動かない理由にならなかった。  こんにゃくの動画は、一ヶ月も経たないうちに、あっけなく流行の渦から追い出された。 *** 「あったね。そんなやつ」  同じサークルのしじみ先輩に、動画を見せた。僕は、とっておきのつもりだった。だから、しじみ先輩の反応の薄さに、腹が立った。 「それだけ?」 「だって、嘘じゃん。編集でどうにでもできるもん。色んな技術があるの知らない?」  僕は、呆れて、下を向いた。 「がっかりだよ」 「は?なにが?」 「しじみ先輩には、がっかりだ」  先輩は恐ろしい顔で、僕を睨みつけている。 「信じろとでも言うわけ?」  僕は、何も話さない。 「これでがっかりとか言われんの、意味分かんないんだけど。キモい。本当キモい」  しじみ先輩は、持ち歩く意味のなさそうな小さいカバンを持って、家を出て行った。玄関まで行って、鍵を閉める。  僕は、寝室に向かった。  扉を開けると、こんにゃくの香りが広がった。体に染みわたる。心臓が落ち着く。  寝室のテーブルには、こんにゃくがひとつ置いてある。上には、固定のライト。対面には、固定のカメラ。  僕は、大学生で一人暮らしを始めてから、こんにゃくの観察を始めた。あの動画のように、いつ動き出すか分からない。だから、カメラも固定して、24時間監視。こんにゃくはすぐに腐ってしまうので、1日おきに変えている。毎日動画を確認して、眠りにつく。今のところ、こんにゃくが動く気配はない。  翌日。友人の村瀬太郎が家に来た。村瀬太郎は、僕のこんにゃく観察のことを知っている。家に入るなり、村瀬太郎は言った。 「いい加減目を覚ましたらどうだ」 「どういう意味かな」 「こんにゃくを、今すぐ捨てるんだ」  村瀬太郎は、険しい顔をしている。 「しじみ先輩に何か言われたでしょ」 「言われてたら、なんだよ」  明らかに、村瀬太郎は動揺した。 「君はいつも、しじみ先輩に都合よく使われてるね。片思いの男は、大変だ」  村瀬太郎が、僕の胸ぐらを掴んだ。慣れていないのか、勢いまかせの村瀬太郎の手は、僕の肌を引っ掻いた。 「調子乗ってんじゃねえぞ。こんにゃくが動くわけないだろ。気持ち悪いんだよ」 「証明できないでしょ」 「やってやるよ」  村瀬太郎は、手を胸ぐらから離すと、一直線に寝室へ向かった。つまり、こんにゃくの観察部屋。村瀬太郎は、テーブルの上のこんにゃくを手に取った。絵に描いたような鷲掴みで。 「こんなのは、ただのこんにゃくだ。動くわけがねえ。もし命が宿ってんならよ、危険を感じたら動くはずだよな」  村瀬太郎が、口を大きく開いた。 「おい、何する気だ」 「なんの反応もないみたいだな。じゃあ」  村瀬太郎が、こんにゃくに、かぶりついた。 「ほら、食えるんだよ、食える」  ぼろぼろと、こんにゃくのカケラが床に落ちたり、村瀬太郎の口の中に消えていったりする。村瀬太郎は、こんにゃくをまんべんなく食べ散らかして、家を出て行った。僕は掃除をして、また、こんにゃくを定位置にセットした。  同級生に、ヴィーガンになった人がいるという情報を知って、はるばる福岡まで来ていた。福岡県久留米市。思っていたよりも、さびれていた。勝手に華々しいものを想像していた。  僕たちは、正午に駅で合流した。  同級生の、キチダさん。綺麗な女性。痩せている。昔は太っていた気がした。立ち話もなんなので、とりあえず、駅近のカフェに入った。 「僕も、ヴィーガンなんです」 「私もよ」 「キチダさんは、なんでヴィーガンに?」 「動物のためよ」 「動物にも、命があると」 「わざわざお肉なんて食べる必要がないの。だって、他にたくさんあるんだもの。それで動物たちの命を奪うなんて、信じられない。それにヴィーガンはとっても健康よ。ヴィーガンにならない理由が、私には全く見当たらない」 「よく分かります」  キチダさんは、髪をかきあげながら、満足そうにしている。  僕は、最後にひとつだけ、聞いてみた。 「こんにゃくは、どう思いますか」 「ぶにょぶにょの?」 「はい」 「何も思わないわ。ただのこんにゃくでしかないし、はっきり言って、どうでもいいわね」 「ということは、食べますか?」 「当然、食べるわね。美味しくないから、そんな機会めったにないだろうけど」 「そうでしたか」  僕は、コーヒー代を奢って、福岡県久留米市をあとにした。ヴィーガンのキチダさんでも、僕の気持ちは、理解してくれなさそうだった。  村瀬太郎が、僕のこんにゃく観察を大学中に言いふらしたようで、どこの授業に出ても、じろじろと見られるようになった。村瀬太郎は、僕とすれ違うと「こんにゃくクン」と、からかってくる。僕は、すねを蹴ってやった。次から「こんにゃくクソ野郎」に文句が変わった。  この現状に飽き飽きしていた僕は、授業中に思い切って手を挙げて、言った。 「教授。こんにゃくが気になってどうしようもないので、帰らせていただきます」  ざわざわとする教室を、あとにした。当分の間、大学には行かない。もし行ったら、今よりもひどい、こんにゃくのあだ名をつけられていることだろう。 「君は、強い根を張っている」  後ろを振り返ると、派手な寝癖の男がいた。 「あなたは」 「ただの大学生だ。君の話は色々と聞かせてもらったよ。さっきも、色々と見させてもらった」 「ああ。さっきの授業に」 「突然だけど、紹介したい人がいる」  彼は、寝癖を揺らしながら、近づいてきた。 「ミト・レイジ。おそらく君の考え方に近いものを持っていて、その極地とも言える」  彼は、住所の書かれた紙を渡してきた。 「ちなみに私は、こんにゃくが好きだ」  寝癖を揺らして、去っていく。僕は、さっきの教室にテキストを忘れたのを思い出していた。もちろん、取りには行かなかった。 「はじめまして。ミト・レイジです」  住所の場所は、教会だった。初めてだったので、色んな所を見ていた。 「教会が、そんなに気になる?」 「初めてなもので」  ミト・レイジは、紫色の髪の毛を地面まで垂らしていた。女性的な、麗しい顔つきをしている。メイクは濃い。名前がレイジなので、勝手に男だと思っていた。そもそも、本名ではないのかもしれない。黒くてペラペラした、僕の知らない種類の服を着ている。 「こんにゃくに、命が宿っていると?」 「はい。そう思っています」 「私も同じ気持ちですよ」 「では、こんにゃくは食べませんか?」 「もちろん食べませんよ」  腹の底が燃え上がるようだった。とても嬉しかった。やっと、やっと、会えた。 「しかし、私からすれば、あなたの考え方は未熟です。まだ道の途中といえる」 「といいますと」 「この世の万物には、命が宿っています。こんにゃくのような、食べ物だけではない。海、山、空のような壮大なものから、塵、雑草、糞のような、ちっぽけなものまで。私たちのようなただの肉体にだけ、命が宿っているなんて不自然でしかない。ならば、神様が作ることのできる万物には、命が宿っているというのは、至極真っ当な考え方なんです。人間も、塵も、神様に作られたと言う点では、同じなのです。どちらも、命を宿しているのです」  銀河のようだった。ミト・レイジの言葉が渦を巻いて、僕の脳みそを混ぜていく。浅はかな考えが、溶けては消えていく。 「あなたの食事は、今、どうなっているの?」 「野菜だけを食べています。いわゆるヴィーガンになります。しかしそれも、辞めようかと」 「すぐに辞めるべきよ。野菜にも命が宿っているの」 「分かっています。ミト・レイジさんは、どうしているのですか」  ミト・レイジは、ポケットから、注射器を取り出した。透明な液体が入っている。 「私の知り合いに宇宙飛行士がいてね、特別なルートで、これを手に入れたの」 「それは一体」 「宇宙エネルギーよ。宇宙というのは、神様と同時に生まれた存在と言われているわ。つまり、神様の触れていない存在。この宇宙エネルギーを定期的に体に取り込むだけで、簡単に生きていくことができるわ。あなた、そこでじっとしてなさい」  ミト・レイジが、注射器を、僕の腕に刺した。宇宙エネルギーが体に染み込んでいく。 「また来なさい。注射をしてあげるわ」  お辞儀をして、教会を出る。  家に帰った僕は、冷蔵庫の野菜を全て捨てた。あとかたもなく、捨てた。こんにゃくだけは、残しておいた。もちろん観察用で。  僕は、ミト・レイジの元に通って、宇宙エネルギーをもらう生活を続けていた。気持ちが良かった。命を奪うことなく、こんなにも健康的に過ごせるなんて。まわりの人間が、醜く見えて仕方なかった。今日も、宇宙エネルギーをもらいに家を出る。ポストの中は、大学からの書類で溢れかえっていた。バカバカしい。 「いないんですか」 「はい。出かけております」 「また来るよ」  ミト・レイジは出かけているようだ。渋々、僕は教会をあとにした。帰り道に「ギガントステーキ」と書かれた、醜さの極みのようなお店を見つけた。どんな恥ずかしいやつらがいるだろうと中を覗くと、ステーキにかぶりついているミト・レイジが見えた。髪の毛は、ただの黒いショートカットだった。髪の毛が違っていても、僕には分かった。あれは間違いなくミト・レイジだ。僕はお店に入って、ミト・レイジの背後に立った。 「宇宙エネルギー!」  ミト・レイジの頭を掴んで、ステーキの鉄板に押し付ける。熱い熱いと醜い声が聞こえる。 「僕は本物だ。お前とは違う」  そう吐き捨てて、お店を出た。あんな野郎の宇宙エネルギーが体を流れていると考えると、ぞっとした。すぐに近くの銭湯に入って、全てを洗い流した。  トイレに行くついでに、鏡を見た。僕の体は、骨に、気持ち程度の薄皮がついている状態になっていた。寝室に戻って、こんにゃくを見つめる。ミト・レイジからの宇宙エネルギーがなくなってから、僕は、何も口にしていない。  ミト・レイジは偽物だったけど、ミト・レイジの言っていた「万物に命が宿っている」という言葉は、正しかった。万物に命が宿っているこの世界では、僕が食べることのできるものは、存在しない。お互いに命を奪い合うような下品な真似を、僕はできない。そんなの、ただの戦争だ。  テーブルの上の、こんにゃくを見つめる。 「お前とは、ずっと一緒だな」  こんにゃくは、まだ、一度も動いていない。 「お前なら、許してくれるかな」  こんにゃくは、ライトに照らされて、カメラに映されている。そうやって、いつまでもそこにいる。僕は、覚悟を決めて、こんにゃくを手に取った。そして、口を広げる。 「いただきます」  こんにゃくの角を、小さくかじった。  久しぶりの味が、口の中へ広がっていく。感謝と共に、罪悪感が押し寄せた。気づけば、目から涙が溢れていた。 「ごめんな…ごめんな…」  泣きながら、こんにゃくを元の位置に戻す。角の欠けたこんにゃくが、また、ライトに照らされて、カメラに映された。 「こんな僕だけど…」  食べるって、生きるって、こういうことなんだなと思った。命を分け合う。相応の覚悟が必要で、憎しみと苦しみに溢れていて、その先には、輝かしい絆が生まれる。 「これからも、よろしく」  一瞬、こんにゃくが動いたような気がしたけど、涙で視界がぼやけていて、よく分からなかった。
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