サンクチュアリ

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 最終的におれが選んだのは、最初に手に取ったホワイトグレーの襟付きボタンシャツと、その下に着るオレンジのTシャツ1枚、ブラウン系の薄手のコットンスラックス(試着室であわすと、サイズは問題なかった。ベルトなしでもずり落ちない。)。それからやはり裸足ではあれなので、「サマーリゾート用品」のコーナーの中から、パイナップル柄がプリントされたシンプルなビーチサンダルを選び取る。 「けどこれ、マジで会計はどうするんだ?」  選んだ商品を両手にかかえ、当たり前の疑問をおれは口にする。 「実際おれ、いま一円の持ち合わせもない。悪いんだが、もしその、一時的に君が金をたてかえてくれるとか、そういう――」 「あはは。だから、さっきから言ってるじゃないですか!」  彼女おかしそうに、きれいな白い犬歯をみせて笑った。 「お金とか、大丈夫ですから。誰も見てませんし。そのまま持って出たら大丈夫ですよ。っていうか、あれです。いまここで、全部着ちゃえばいいし」 「ばかな。それだと万引きになるだろ? 今、一時的に店員がいないとは言え、店の商品を勝手に――」 「だから~。大丈夫ですってば。この店に限らず、ここの町には誰も人はいません。わたしもいつも、ここで適当に服を選んで、勝手に着ちゃってますよ? ほらほら。このワンピースとかも?」  その子はワンピースのスカートの端を両手でつまんで、ふわっと優雅に上げてみせた。むかしのヨーロッパ貴族がお辞儀する的な、優雅なあいさつのあれだ。おれの周囲のリアルでは、今だかつてだれかがそんな動作をするのを見たことがなかったものだから、おれはその彼女の何気ない動作に、一瞬息をとめて見入ってしまった。 「えっと…。となると、あれか? つまり、避難とかか? 何かの災害で、一時的に町民が公民館に避難してるとか。そういう、何か非常事態がここで起きてるのか…?」  さっきからずっと感じていた違和感を、ようやくおれは言葉にした。  車の通らない国道。店員のいない店舗――  そういえば、やたらと店内が静かだとさっきから思っていたが――  本来ならばこういう店にありがちな無難な店内BGMが、まったく流れていない。店の中にある音といえば、天井付けの大型クーラーがたてる乾いた送風音だけ。あまりにも音がなさすぎる。静かすぎる。 「うーん。どこからどう説明していいのか、わたしもちょっぴり困っちゃいますけど…」  その子がかるく息を吐き、視線をおれから外した。右手でそこかかった商品のブラウスのタグを、むだに引っ張ったり裏返したりしながら―― そのあと彼女がおれの目をみて、なんだか意味ありげにニコッ、と可愛く笑った。  そのあとその子は行儀わるく陳列チェストの上に座り、今ここの町の状況をおれに話した。  その話は、正直なところ、にわかにはおれには信じられない内容だった。  まずもって、その女の子自身、おれと同じようにまったく自覚がないままこの町にやってきたという。 「気がついたら、いたんですよ」  と彼女は言った。おれの時と同じで、やはり彼女も――「ふと、気がついたら」さっきのあの浜に立っていた。彼女の場合は水着で現れたおれとは違い、もう少しましな、無難な服装でそこに立っていたそうだ。  状況がつかめないまま、あちこちひとりで歩きまわった彼女は、最終的に、どうやらここには誰もいないという結論に達する。店の中にも住宅の中にも。どこにも誰も存在しない。 「…で、そうこうしてるうちに、本気でおなかが減ってきちゃったものだから。最初、そこのコンビニで、おにぎりを盗んで食べちゃいました。最初はもう、それは緊張しましたよ~? だってわたしも万引きとか、それまで一度もしたことなかったし~」  いまそのシーンを思い出したのか、チェストの上に座った彼女はそこで足をぶらぶらさせ、なにやら少し遠い目をしながらおかしそうに笑った。  そのあと日が暮れてきたものだから、彼女はともかく、近くの目に着いた家に入ってそこで寝たという。一夜が明けても、状況は同じだった。町はやはり無人で、車一台通らない。昼まで待っても何の変化もない。セミの声だけが通りにはひびき―― そのうち空腹を感じた彼女は、こんどは国道沿いの「農協ストア」で、トマトと総菜を盗んで食べた。そして夕食には、同じく農協ストアから「釜揚げうどん」のパックを盗み、家のキッチンで茹でて食べ――   彼女が一時的に侵入したその家では、食器や調理器具は使い放題で、シンクの水も普通に出たという。つまり無人ではあるが、水道や電気などのインフラは途絶えていない――   言われてみれば、たしかにこのレまむらの店内も、電気は問題なく来ている。照明もクーラーも、まるで何事もないかのように平常運転だ。ただ唯一、平常と違うのは―― つまりここでは徹底して、どこにもひとりも人がいないということ―― 「…えっと。それじゃ、期間はどれくらいだ? 君はここに来て、今日で何日になる?」  まだ彼女の話の全体を呑み込めないままで、おれはほぼ反射的にその質問を投げていた。 「ん~。期間かぁ。なんか近頃は、何日とか数えるのも忘れちゃった気がしますけど」  彼女は右手を頭にやって、茶色がかったふわふわの髪を適当になでた。 「記憶もけっこうアバウトなっちゃってますけど。けどたぶん、二年とか? そんなくらいかな?」  さらっと言われたその言葉に、おれはしばらく絶句する。  二年… だと?
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