サンクチュアリ

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 ゆっくりと西からホームに滑り込んできたその列車。停止すると同時に、すべての扉が残らずひらいた。オレンジの光がホームにこぼれる。銀色のボディ、どこか近未来的な洗練したデザインの四両編成―― 各車両の前後に1つずつ配置された扉。その横の電光板には、オレンジの字体で次のように表示されていた。 『うずしお2号 高月行き』 「たかつき…? 高松行き、じゃないのか?」  おれは扉の前で足を止め、その文字列を目で追った。高月―― 聞いたこともない駅名だ。  この列車はいったい、おれたちをどこに連れて行こうとしているのだろう? 実際、この列車の可能性に賭けてここまではるばる来たわけだけど―― いざ、あふれる光がそこからもれて。いま目の前で扉がひらいて。「お乗りなさい」と言わんばかりに光の漏れ出す扉の前に立つと――   なんだか足がすくんでしまう。  いいのか、これは? 乗ってもいいのか、本当に―― 「何とまってるの。はやく乗って。うしろが二人、つかえているのよ?」  槙島スグリが背中を押した。 「あ、ああ。すまない…」  押されておれは。一歩、車内にふみこんだ。  一歩そこを踏んだとき、硬い金属質の床の感触と―― いくつもの―― 短くひらめく遠いいくつものイメージが。アタマのあちこちで、フラッシュのようにひらめいて。一瞬、強いめまいにおそわれる。しかしそれは一瞬のことだ。おれは二歩目を車内に出し―― 扉付近の通路を何歩か進むと、自動で左のドアがスライドする。そこから先は、禁煙指定席車の車内だ。  真新しいカーペットの匂いに似た、車内の内装材の乾いた匂いが鼻をつく。外から見たときのやたらと明るいギラギラした印象とは違い―― 車内はおだやかな暖色照明がともり、しずかで落ち着いた雰囲気だ。シンプルで少し未来的な二人がけの座席が、通路の左右にびっしり並び―― まあ、これは半分以上は予想した通りだが―― ひとりも誰も、乗ってはいない。乗客は、おれと野添とスグリの三人だけだ。 「へえ。きれいな電車ね」  おれの後ろで、ちょっぴり感心したように野添が車内をあちこち見回している。 「ちょっと。はやく進みなさい。なに止まってるの? どこでも空いてるでしょ? さっさと座ればどうなの?」  槙島スグリは、ここでも短気におれと野添にプレッシャーをかける。おれはひとまず―― ぱっと目についた車両中央寄り右側の座席に、ひとまず座った。野添みなみが近くの座席をスライドさせて、おれと正面に向き合うように座席の配置を変えた。結果的に四人がけの席を二人で占領する形になったが。ま、ほかには誰もいないし。特に誰かに、怒られることもないだろう。そもそもおれたちはまだ、切符すらも買ってはいないわけだけど―― 今そのことは、あまり考えないでおこう。  いっぽう槙島スグリは―― ひとりだけ向こうの、少し離れた左側の座席に腰をおろし、不機嫌そうに頬づえをついて、窓の外に視線を向けている。  プシュ……  ドアが閉じるエアの音が、無音の車内に響きわたる。  それから何のアナウンスもなしに、ゆっくり列車が動き出す。  動き出しは思いのほかにスムーズで。田舎列車の単線車両のイメージからは、およそかけはなれたすべからな動きだ。そして車体はみるみる加速し―― 窓の外の暗がりの中を。いくつもの踏切。道路沿いの街灯。そのほか遠くの建物の明かりが―― いくつもいくつも、無音で後ろに飛び去っていく。遠ざかる古い踏切のノイズ。カタンカタン、カタンカタン… 線路の継ぎ目をふむ車輪の響き。列車が小さな橋にさしかかるたびに、ゴオオ… と車輪が大きくきしむ。でもまた橋をわたりおえ、車輪はもとの軽い単調なノイズで再びまわり始める。  おれと野添は―― 横に広い窓にぴたりとひたいを押しつけて、外を流れる闇を―― 飛び去っていく光の列を。二人でずっと見続けていた。言葉は何も見つからなかった。言葉はなにも浮かばなかった。やがて列車は長いトンネルに入った。オレンジの構内等灯が、等間隔にすばやく窓の外を流れて消えた。流れても流れても、オレンジの光の列は終わらなかった。おれはその終わらないまぶしい光の弾丸を目の奥に焼き付けて―― おれはいつしか、自分の意識を手放していた。どこかの遠くの闇の中で―― 波がよせては砕け、よせては砕けた。その闇の中で海は鳴り、風は吠え、そして星たちは散り続けていた。
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